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熱いから触るな!
なんでこんなにおまえは熱いんだ!!

夏になると、別れた旦那から良く言われてた言葉

だが…
最初は違った

なんでこんなにあったかいんだ…。
人間湯たんぽだな(笑)

はじめて過ごしたベットの中で言われた言葉

想像しなくていいです🫸

道産子DNAをもつわたし
寒さには強いが暑さに弱い

逆に鹿児島男児は
暑さに強いが寒さに弱い

勝どきの高級マンションに住み、毎日銀座で豪遊していた彼が、ある日突然😳渋谷のボロいアパートに引っ越していた

狭い2Kのアパートで、日当たりも最悪

ひとり寂しく過ごしていたんだろうと思った

それは大量のビール缶の山が部屋の片隅にできていた

冬の東京は生きていけない、とぼやいていたが

そんな彼と一晩、その部屋で過ごし

こんなにあったかい温もり、初めてだ

彼はわたしに抱きついて離れなかった
そんな彼のカラダは氷のように冷たい

ひとり寂しく、寒い布団の中で毎日震えながら夜を過ごし
何を思ってこの東京で過ごしてきたのだろうか

この人は🤔…

毎度のことだが、どうもわたしはこの手の男性を拾ってしまう😂

面倒見てやらないとダメかと
お人よしというか、バカというか
道産子の人の良さというか

銀座ホステスはダメ男が好きなんです😂

どうしようもない人と思って、わたしは結婚した
そして7回目の結婚記念日に離婚を申し込んだ

あれから1年が経つが、今だから言えること

当時、人間湯たんぽのように温かったわたしのカラダは、実はホットフラッシュの温かさだった(笑)

ホットフラッシュの温かさが鹿児島男児との距離を縮めたのだ



▶︎若年性更年期障害の中で、子を産むか産まないか


38歳でわたしは閉経をした😳
しつこいくらい更年期だの閉経だのって書いているが、このBlogを読んでも、わたし関係ないと思っている人が大半だ

それは前講師の助産師も言っていた

彼女のBlogにも書いてあったが(たまにこっそり読んでる)

なぜ更年期前に気づくのが大事なのかって

その症状が出て、更年期だと思いたくないから我慢をする
症状が悪化してきてどうしようもなくなって、婦人科外来に行く
検査の結果、更年期以外の病気がみつかる😳

こんな流れだ

そんな患者ばかりと向き合い続けた結果、助産師はその悲痛な思いが伝わらず、悩み続けるのだろう

そして医療従事者の大半が、うつを発症する

ということを、スクール卒業生から教えてもらった🤔

理由はさまざまだとは思うが、正義感の強い人ほど、うつを発症しやすいのではないだろうか

わたしの場合は、若年性更年期障害の症状が出る前に、何かカラダに異常があったのかというと、全く思い当たることがない😳

思い当たるとすれば、上司のパワハラや部下との確執など、強いストレスを抱え続けていたということだけだ

そして、ある日突然その症状が現れたのだ

ホットフラッシュ(上半身ののぼせ)
不安と恐怖

この2つが毎日、自分のカラダを襲ってくるのだ😔

カラダの不調を上司に伝えたその日から、パワハラがさらにひどくなっていった

使えないやつは早く会社を辞めろと言わんばかりの状況だった

それもあり、わたしは会社を辞め独立をするわけだ

独立をした旨を、当時勤めていた銀座のクラブで話をしたら、真っ先に彼がわたしに言った一言

お前は、1年持たないな

その言葉をバネに、わたしはもうすぐ起業9年目を迎えようとしている

何をバネにビジネスを頑張るのかというと

1年持たないと言われて、ハイそうですねとは言いたくない
その悔しさをバネにここまできたのだ

ボロクソに言ってきた男となぜ結婚したのか🤔

そのどうしようもない鹿児島男児は、わたしにとってビジネスの師匠なのだ🤔

鹿児島男児のそのどうしようもない人生から、ビジネスの基本を学ぼうと思ったのだ

彼との結婚は、知人友人銀座仲間の9割が大反対だった😂

結婚しても6ヶ月以内に離婚する

賭け事のネタとして取り扱われる始末😂

6ヶ月でダメになると思われていたわたしたちは、6年間夫婦として過ごした

結婚した頃、彼に言われたひとこと

子どもどうする?

閉経したてほやほやのわたしにとって、最大の悩みだった

実際、統合失調症で入院中の母にも同じことを言われたのだ

やっと孫の顔が見れるのね

ふたりから言われた言葉は、わたしにとって苦痛でしかなかった

そして彼に一言🤔

あなたは子どもが生まれると離婚する傾向があるから、やめておきましょう

実は彼はバツ2で、3人の息子がいる父親なのだ

鹿児島の実家から『本家を継ぐ子どもが必要だ』と言われていた

3人の子どもたちは、元嫁に育てられているため、『本家を継ぐ子ども』ではない

鹿児島の実家でも、あなたはもう39歳だし、『早く産まないとね』と言われ、わたしの心の中は複雑だったのはいうまでもない


▶︎『この代で終わりにしよう』を決めた


鹿児島の実家は、『本家を継ぐもの』が必要だった

わたしの場合はどうだろうか🤔

実際、わたしの場合も『本家を継ぐもの』にあたるが、彼の嫁になった時点で、『本家を継ぐもの』消滅😂

だが、離婚をし、わたしはまた『本家を継ぐもの』に戻る羽目になった

結婚生活の中で、なぜか彼と同じ考えをもっていた

もうお互い、この代で終わりにしよう

彼は、両親(父親)に対して確執があった
わたしも両親(どっちも)に対して確執があった

もうお互いに『本家』という存在にうんざりしていたのだ

子どもができれば、代がまた続いていく

もう、この代で終わりにした方がいい

という結論になり、子どもを作ることをやめた

そして、鹿児島の実家の母に『わたしは子どもが産めません』と伝えたのだった

統合失調症で入院している母には、なんと言えばいいのか…
正直悩んだのだが、ハッキリ言ってしまった方が楽だと思い、打ち明けてみた

そうしたら😳

別に産まなくてもいいわよ、養子縁組でいいんじゃないの?

そんな簡単に言うべきではないと、その時は注意したが

統合失調症の母の症状は、認知症の症状も入り始めていて、精神科の看護師さんが

北海道の話をよくしてますよ
よっぽど帰りたいんでしょうね

と、教えてくれたので
北海道に帰りたいのか尋ねたら

わたしそんなこと一言も言ってないわよ😂

よし、孫が欲しいとか養子縁組とか、そんな話はきっと忘れている

聞いてみたら、案の定、覚えていなかった

というわけで、『本家を継ぐもの』はわたしの代で終わることになった


▶︎冬は湯たんぽ、夏は灼熱地獄のホットフラッシュ


結婚前は、湯たんぽのような温かさと言い、毎晩、抱きついて眠っていた彼だが
夏になると彼の態度が急変する

熱いから触るな!
なんでこんなにおまえは熱いんだ!!

それも、夜中になるとわたしのカラダは灼熱地獄のような熱さなのだ

結婚当初はまだ夜の銀座にいたので、帰りはいつも終電時間

銀座出勤の日は、彼もまた歌舞伎町や新宿三丁目で飲み歩き、終電を逃し、事務所で寝泊まりの生活をしていた

今思えば、わたしたちは夫婦ではなかった

婚姻届を出した恋人といった関係だ

互いの仕事のことには一切口出しをしないし、互いの仕事についても知らないという関係だ

結婚しても、夜の銀座を辞めなかった理由

それは10年この世界で頑張ると決めたからだ

個人事業主に必要なメンタルやマインドを、この夜の世界で学ばせてもらった

途中で辞めるという考えを持ち合わせていなかった

だが、更年期の症状は薬で抑えているだけだということもわかっていた

夜中のホットフラッシュも、自律神経のバランスを崩しての症状だ

そろそろ限界かもしれない🤔と思っていた矢先、彼が一言…

いい加減、銀座を辞めろ

銀座という街は狭い世界だ

たまたま働いていた店が、彼の友人が経営する店だった😳
そんなこと知らずに働いていたのだから

オーナーからは、◉◉の嫁と😂あちこち言いふらしていたw

そのおかげで、わたしの源氏名が『人妻バニー』と命名されていたことを後から知った😂

さらに、結婚したことをオーナーママに報告しなかったため、目をつけられるという😭

まさか、あんた、わたしの客と結婚するとは思わなかったわよ

いや、あなたの客ではありませんが

湯たんぽのようにあったかいと言ってくれたあの頃が、いちばん幸せだったと今でも思う

その湯たんぽのぬくもりは、ホットフラッシュだった

そして、夜の銀座を卒業し、規則正しい生活を送るようになった途端、ホットフラッシュの症状が消えたのだ

湯たんぽのような温かさは消え…

冬になり、ちっともあったかくないと言われ

抱きつかれることもなくなり😭

夫婦間に隙間風が😂

ぬくもりはホットフラッシュじゃなくても大事です


▶︎更年期という時期は、人生の分岐点


更年期という時期に、わたしはさまざまな人間模様を銀座という街で見続けてきた

そして、わたし自身もいろんな人生を経験させてもらった😌

二足の草鞋生活、結婚、離婚と、本当に苦労人だ

更年期という時期は、人生の分岐点だと思う

45歳〜55歳という10年間は、親の介護もあれば、子どもの巣立ちを迎えたり、今までと違う出来事が訪れる時期でもある

その時期をどう乗り越えていくべきか

その先の自分の人生をどう過ごしていけばいいのか🤔

わたしは今、その分岐点にいる

様々な人との出会いと別れを繰り返し、ようやくここまで辿り着くことができた

起業して、3月で9年目を迎える

個人事業主として、わたしは10年頑張ると決めて、どんなに辛いことがあっても耐え抜いて、ここまで続けることができたのだ😌

オーガニックを広めたい

という想いではじめたオンラインスクールが、あるスクール生の一言がキッカケで
『女性ホルモンと更年期』の講座も開講することになった

そこから、助産師との出会いで、日本の医療の現場を知ることになった

更年期という時期がいかに大事かを伝えたい助産師の想いを今、わたしが引き継いでいるのだ

それは、今まで自分のカラダが教えてくれた『更年期』という症状

そして、抗うことをせず、すべて受け入れて『更年期』という時期がいかに大切なのか😌

6ヶ月間ともに講座を開講し、知識を伝え続けた助産師に変わり、わたしは自分の信念を貫く想いで、この講座を続けている


彼との別れで、結婚生活の間無視し続けていた『更年期』と向き合っている

そして、自分のこれからの人生をどう過ごしていけばいいのか

ゆっくり考えながら、自分の心とカラダと向き合っていこうと思う

わたし、まだ更年期じゃないから

と思っている人々に、わたしの体験談を交えて『更年期』の時期がこれから先の人生において、大切な時期だということを伝え続けていく信念だけは、ブレてはいない

理解を示そうとしない人たちを振り向かせるのが、プロというものだ😌

知識だけを提供しても、振り向いてはくれない

助産師は知識を、元銀座ホステスは経験から感じた『更年期』という人生を

助産師と元銀座ホステス(エステティシャンですが)がタッグを組んで講座開講している理由は、これなのだ

他のスクールでは学べない『更年期という人生論』

わたしがいちばん伝えたいことをこれからもnoteに綴っていく😌





佐方ともみ 
美容業界28年目 エステティシャン
IOB認定オーガニック専門家
食べて痩せるオーガニックダイエットBioeat(ビオエット)®︎協会代表
フェミニンケア×更年期プラクティショナー養成講座主宰兼講師

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