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人生が慢性便秘

今まで生きてきて、一番苦手なこと。
「押し出す」
内側から湧き出る情熱がない。
表現したいと思うことがない。
朝から快便だったことがない。

便秘だと意識したのは中学に入ってから。
母親がう◯こが出ないとドクダミ茶を朝から死ぬほど飲んでいて、そういえば私も1週間ぐらい出ないことあるなと気づいた時から便秘人生は始まったんだと思っていた。
勉強によるストレスか。
恋愛=セックスだと、田舎のヤンキー中学でこの世の真実を目の当たりにしたことによるショックか。
戦前から引き継がれてきたような上下のしきたりと、新興宗教のお祈りのような応援の掛け声に染まった部活の疲労か。
はたまた、攻撃的ゾンビ家族からの攻撃をかい潜るバイオハザードのような毎日の家庭環境か。
ドクダミ茶を飲めば、それらから解放されて、快腸快便、全てがうまく行く人生になるのだろうか。
一縷の望みをかけてドクダミ茶を盲信した。

いや、そんな夢のようなことはあるはずなかった。
生まれた時から快便だったことはなかったのだから。
赤ん坊の頃にすでに「う◯こが硬すぎて、マッサージをして出していた」と母親から聞かされていたなと今思い出した。
便秘が筋金っている。
ドクダミ茶ほどのもので私の便秘が改善したのなら、今頃、地方公務員として安泰の生活を送っているか、20代の頃にお見合いしたエリート官僚の妻としてスマートに収まっているか、留学したまま帰国することなく海外でかわいいハーフの子供でも育てていることだろう。

いまだに便秘は改善されていない。
人生もどこかまだ生き詰まっている。
ただ、朝、おにぎりと味噌汁を食べればそれなりに“便意“というものを催してくれるようになった。
コーヒーとパンの時は、気に入らないのか、洪水を起こしてくれることもある。
少なくとも、多少の意思表示はしてくれるようになった。
私の腸。
ドクダミ茶で全てを終わらせようとして、ごめんよ。
あと、どのくらい一緒に生きれるかわからないけど、お付き合いよろしく頼みます。

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