意味がないことに取り組む価値について
髙橋新平です。本noteは自社内の社内報に掲載した内容を転載しています。
なんの文脈だったかは忘れたのですが、会食の席で“意味がないことに取り組む”ということはどういうことなのか?ということを話す機会があったので、社内報に書いておくことにしました。
オリンピック3連覇の野村忠宏さんのお話
僕はみんなご存知の通り、新卒でダイキン工業というメーカーに入るのですが、その研修の一環で著名人の講話を聞くというものがありました。
グループによって聞ける方は違うのですが、どのグループも素晴らしい方の講話を聞く機会に恵まれました。
僕のグループは柔道オリンピック3連覇の野村忠宏さんの講話をきくことになりました。
その中のお話を一部抜粋します。
意味がないことにどう立ち向かえばよいか?
講話のあとにダイキン工業の新卒社員からの質問を受けてくれる時間がありました。
ある新卒の社員がこのような質問を野村さんにしました。
「配属先で意味のない業務をさせられそうな印象を持っており、どうしたらいいでしょうか?」
と、たしかに世の中の新卒からの認識だと仕事に対してそういうイメージってあるよなと思いました。
一方で僕自身は“こんな質問するやつナメてるやつだな”と思って聞いていました。笑
意味があるとは何か?
野村忠宏選手がどう回答するのかとても気になって興味津々でした。
記憶の限りで言語化します。
僕はこの言葉を聞いたときに、今考えるとどうしてそうなったのか分からないのですが、感動して泣いてしました。
意味があるかを判断すること自体の無価値さ
ここからは僕の私見になります。
意味がないとか、意味があるとか、そういうものは自分が経験して、そこにどういう意味づけをするかで決まるものだと思っています。
また、野村さんの言葉を意訳すると、「今の自分自身には意味があるということを見極めるだけの経験や能力が不足しているんだな」と思うと良いんじゃないかと。
そう思ったわけです。
ですから会社に携わったり人生を過ごしていると、一見意味がないように見えることや意味がないとしか思えないようなことも、振り返ってみたら意味があったと思えるかもしれない。
もしかしたら、そのことに意味づけできるのは自分自身だけなのかもしれない。
そう思いました。
例え話になりますが、すなちゃん、かんえいは創業期のourlyでフォーム営業という一見すると意味のなさそうなことをずっとやっていたそうです。
(詳しくは二人に聞いてください、もしくは社内報で書いてもらいましょう。)
でも、それが本当に意味がなかったのかどうかは二人にしか分からないですし、そういった歴史の上に今のourlyがあることは紛れもない事実だと思うんですね。
なので、なにかの取り組みに対して“意味がある”“意味がない”と判断することがおこがましいとさえ言えるんじゃないかと思っています。
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