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#FC今治
ファンの貢献でクラブは発展する #はじめてのJリーグ リュイス プラナグマ ラモス
スペインから単身で今治へ。人との出会いとクラブのビジョンに惹かれて海を渡ったリュイス監督。サッカーとの出会いから監督として大切にしていること、はじめてのJリーグとなる今治のことを語ります。
サッカーをはじめたきっかけは?
小さな頃に父と弟と一緒にボールを蹴り始めたのがきっかけです。父はサッカーが大好きでテレビでサッカーの試合を良く観戦していました。私が7歳になったときに街のチームに入りました。
ファンに恩返しを忘れない #はじめてのJリーグ レオミネイロ
母国ブラジルで19歳からプロサッカー選手としてのキャリアをスタートしたレオミネイロ選手。2015年にJリーグデビューしその後も韓国、カタールなど各国で経験したことやファンへの想いについて語ります。
サッカーを始めたきっかけは?
父の影響です。父はプロサッカー選手になることが夢でした。ブラジルでは子供たちはみんなサッカーが大好きで、私もボールを7歳から蹴り始め、親に連れられて地域のチームに入って
地元愛あふれるチームの一員になりました #はじめてのJリーグ 澤上竜二
セレッソ大阪から期限付き移籍で加入した澤上選手。都会のビッグクラブから地方都市今治に来て感じた「地元感」。今までのサッカー人生と、はじめてのJリーグを戦う今治の印象を語ってくれました。
子どもの頃、Jリーグに関する思い出はありますか?
自分の出身地の奈良にはJリーグのクラブがありません。ですので、スタジアムに行けたのは年に1回ほど、大阪でセレッソ大阪の試合を見に行くくらいでした。その頃のことで
Jリーグは近くで起こる夢の対象 #はじめてのJリーグ 駒野友一
昨シーズンにFC今治に加わり、J3昇格の立役者となった駒野選手がJリーグに帰ってくる! ワールドカップに2度出場の実績を持つベテランが、子どものころに見たJリーグの思い出や、楽しくプレーすることの大切さを語ってくれました。
駒野選手にとってはじめてJリーグを意識したのはいつ頃でしょうか?
Jリーグ開幕元年の1993年、そこでJリーグを意識しましたね。
それまでは日本代表の試合とかも見ていまし
僕はFC今治のビジョンが好きです #はじめてのJリーグ 橋本英郎
Jリーグが開幕した年は中学2年生。プロ化で湧き上がる日本サッカー界を体感した橋本選手。当時の雰囲気や今年はじめてのJリーグを迎える今治で感じることを語ってくれました。
1993年にJリーグが開幕したときの雰囲気は覚えていますか?
サッカーを続けるにあたって、Jリーガーを目指すという新たな目標ができました。
サッカーをはじめたきっかけは6つ年上の兄の影響でした。Jリーグが開幕したころ、僕は中学
僕は歴史を繋いでいます #はじめてのJリーグ 中野 圭
今年で6年目チーム最古参の中野選手。FC今治のRe:StartからJ3までを知るベテランがJリーガーになったときのことから、今治で過ごした5年間のことまで語ってくれました。
はじめてJリーグを意識したときのことを覚えていますか?
子どものころはJリーグを意識することは多くなかったです。
小さいころからサッカーをやっていて、プロサッカー選手に漠然となりたいとは思っていました。しかし、Jリーグと
Jクラブが街にあることの覚悟と可能性 #はじめてのJリーグ 修行智仁
Jリーガーになることを目標にプレーをしていた大学時代。その後の道のりも決して平坦なものではなかった修行選手。プロ生活で体感した、Jリーグがある街の雰囲気について思うことを、語ってくれました。
はじめてのJリーグと聞いて連想するエピソードはありますか?
僕はJリーガーになりたかったのですが、大学卒業後は当時JFLに所属していたガイナーレ鳥取に加入しました。その後、同じくJFLだった町田ゼルビアに
海外で挑戦する夢をかなえる #はじめてのJリーグ チョン ハンチョル
新加入のハンチョル選手。夢をかなえるため来日、2018年にJリーグにてプロデビューを果たしました。今治に来て2か月、日本語と韓国語を織り交ぜながらチームメイトと会話する様子や、今治の街について話してくれました。
ハンチョル選手は、韓国のご出身ですが、Jリーグを知っていましたか?
はい。高校時代のチームメイトのパク・ソンス選手が、卒業後に愛媛FCに加入したんですよ。その時から、Jリーグを意識する
地域の子どもに夢を届ける #はじめてのJリーグ 園田拓也
Jリーグ元年に9歳の少年だった園田選手。少年時代のJリーグとの思い出や、Jリーガーとして地域と関わってきた経験を語ってくれました。
Jリーグが開幕した頃の印象に残る思い出をお聞かせください。
Jリーグ開幕は1993年、自分が9歳のときですね。僕自身はその時すでにサッカーをやっていました。ただ、まだ小さかったので、Jリーグが開幕したという凄さはあまりまだ理解できたいなかったと思います。
当時の
頂きを目指す決断力 #はじめてのJリーグ 山田貴文
一度はあきらめたJリーガーへの道。決断の裏側には、自ら厳しい環境に飛び込むことをいとわない、山田選手の生き方がありました。子供の頃にTVで観ていたJリーグという舞台に立つ、今の気持ちを語ってくれました。
はじめてのJリーグという言葉を聞いて、率直に思うことをお聞かせください?
自分にとって、JリーグはTVで観ていた舞台でした。ようやくそこに立つことができるので、ワクワクやドキドキをすごく感じて
スタジアムはワクワクであふれている #はじめてのJリーグ 玉城峻吾
子どもの頃からサッカー一筋。しかし、5年前にJリーグデビューを果たした際には、楽しくプレーできていないのでは? という葛藤に出会った玉城選手。時を経て、Jリーグに再チャレンジするその気持ち、4シーズン目となる今治でのことを語ってくれました。
はじめてのJリーグと聞いて思い浮かぶことを教えて下さい。
子どものころからサッカーが大好きで、Jリーグもずっと見ていました。いち観客として見ていた舞台に、
今を当たり前に感じてはいけない #はじめてのJリーグ 長島滉大
時間があればレッズの試合に足しげく通った少年時代。選手として2016年に今治にやってきたときは四国リーグで、アルバイトをしながら戦っていました。それから4年、J3の舞台に挑戦する今の心境を当時のことを交え語ります。
はじめてJリーグを意識したエピソードはありますか?
小さいころ埼玉に住んでいたのですが、浦和レッズの存在が常に僕の生活にはあったと思います。
小学校1年生のころ、新聞配達員の人か
地元に帰る決断 #はじめてのJリーグ 有間 潤
地元愛媛でJリーガーになると決意した。二足のわらじを履くサッカー生活から、今治でチャレンジすることを決断した有間選手。今シーズンからJリーガーとして未知の領域に飛び込む、その思いを語ってくれました。
はじめてのJリーグという言葉を聞いて連想するエピソードはありますか?
子どものころからJリーグは憧れの舞台でした。いつかプロサッカー選手になって、Jリーグでプレーしたいと強く思っていましたね。
変化を恐れず成長を求める #はじめてのJリーグ 林 誠道
昨季J3で11得点と自己最高の成績を残し、ガイナーレ鳥取からFC今治に加入した林選手。環境を変え新たな挑戦を決断したきっかけや、今の素直な気持ちを語ってくれました。
子供の頃に、Jリーグの試合を観戦した思い出はありますか?
はい。セレッソ大阪の試合をよく観に行っていました。
実家が兵庫県の尼崎市にあるのですが、家族や小学校のサッカーチームのみんなと一緒に、大阪の長居まで足を運んでいましたね。