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なぜ革職人になったんだっけ?

はじめまして。大分県と福岡県でFAR EAST HORIZONという革工房をしている革職人55歳です。お店には公式サイトもブログもFacebookもInstagramもあるのですが、それぞれ伝えたいことが異なり、自分の思いを伝えるにはnoteがいいのかな、とここにたどり着きました。お付き合いいただけるとうれしいです。

革工房を構えたのは2000年7月7日です。田舎で、当初は電気も水もない建物で店を始め、すでに21年目。最初の数年は手縫いだけで革製品を作り、やがてミシンも導入し、いろんなものを作ってきましたが、極力天然素材で作るように努めています。また、フェアトレードにも関わっていますがそれはまた改めて。

noteでは毎回テーマを決めて、革職人として何を考えているか、時には編集者時代にあったこと、また釣りやカヤックフィッシング、旅やバイクツーリングなどで経験して、自分の創作や精神のベースになっていることなどをつらつらと書いてみたいと思っています。

本題:

青春時代からバンド活動に没頭し、大学生からはバイクにも熱中。出版社に就職してからは飲食店や物販店はじめ、観光情報などをひたすら取材していたころ。取材先の面白い人たちに会って話を聞きながら「あれ?俺、この人たちみたいに、何か物を作る方が好きなんじゃないか?」と思うようになりました。

考えてみれば社会人になってもバンドをバリバリやって、夜中にスタジオに入ってまで続けていたのは、曲を作ってそれを聞いてもらう、つまり表現をしたかったからじゃないのかと思うのです。「音楽」が目的なのではなく「表現」が目的だったんじゃ?

情報誌の仕事をしていたのも物書きが好きだったから、写真をとって文章を書くのが好きだったから、な気がするのです。

ロックが好きで、バイクが好きな自分が物を作るんだったら何だろう?ボンヤリと考え始めたところに出会ったのがレザークラフトでした。

その頃は結婚してフリーの編集者&カメラマン&ライターをしていて、子供(双子)も生まれていました。「レザークラフトをやってみようと思うんよ!」と言った私に妻は「いいやん、やってみたら」と軽く言ってくれました。これがすべての始まりです。趣味ではなく最初から、いずれ仕事にしたい、と思って始めました。

初めて作ったコインケースに「お、俺けっこうできるやん」と思ったのが才能なのでしょう。いや、才能というのは上手に作れることではなくて、自分を否定しない「自己肯定力」「鈍感力」のことです。数年して再び目にしたこのコインケースはまあまあ残念なものでした。なぜこれを作って「俺、できる!」と思ったのかわかりませんが、前のめりでないと何も進まない、ということはあるものです。

実は幼少期に粘土細工が好きで「大人になったら陶芸家になる!」と思うくらいだった私は工作が大好きで、いろんなものを作ったりバイクの整備をしたり自分で塗り替えたり、楽器のカスタムをしたりしていました。そうした経験もあって「手で物を作ることを仕事にする」という考えにのめり込んで行ったのだと思います。

私はとてもしつこい性格で、長く続けることは苦になりません。一度好きになったものに飽きない、と言えばいいのでしょうか。10代のころに好きだったミュージシャンは今でも好きだし、好きなものが増えていくだけのことです。あれもこれもしながら、レザークラフトもガッツリ練習していました。

それから大分県の田舎に引っ越しました。仕事は引き続きフリーの編集者です。観光地なので地元のことを記事にして売り込んで、福岡や東京の雑誌に記事を書いていました。そのうち革製品を売ってみたくなり、初めてフリーマーケットに出てキーホルダーが1個売れたり、一軒の服飾店に革小物を商品として置いてもらい、1ヶ月に1個くらい売れたり売れなかったり。自宅にテレビ局が「都会から移住して何かを始めようとしている人」として取材に来てくれたり。そんなことをしているうちに町内で土地を買い、店を開くことにしたのです。

まだヤフオクもamazonもWifiもスマホもない時代。

次回は「田舎で店をするということ」について書きます。たぶん。

公式サイト:http://horizon0707.stars.ne.jp/FEH/TOP.html

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