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天国へのエレベーター

私は人が死ぬことの意味が理解できない。


祖母が亡くなった。


悲しみも寂しさも感じなくて、
涙さえも流れない。


彼女と私には十数年会わない時期が存在する。

そして、ここ数年は
一年に一度だけ数分挨拶をしていたくらいだった。

それが作用していたのだろうか。

これが魂の消えてしまった人間、タンパク質。
とても美しく、まるで人形のようだ。

これが初めて棺の中の彼女を見た時の
第一印象だ。

化粧をしていると後で聞いて
だからか、と納得する。


大人たちが忙しそうだから私も手伝いたいのに拒否されて、見よう見まねでやると失敗し、座っていなさいと叱られる。

そう忙しなく目まぐるしく回る環境を不思議に思いながら、じっと、ごった返す人達を眺めていた。

火葬場へ着く。

工場のような煙突のある建物に案内されると、そこに彼女が横たわっていた。

抗えない事実がそこにある。

死、という現実。

後半の人生で彼女と巡り合った人間たちは
様々な言葉をかけて、別れを惜しんでいた。

前半の人生で、彼女はどんな人達と出会って別れてここまで過ごしてきたのだろう。
連絡も取れず懐かしむことしかできない悲痛の別れもあったのだろうか。

ふと、思う。

今私の周りにいる大事な人々は、
私が死ぬ時、どこにいるのだろう。

死ぬ年齢や場所によるかもしれないけれど、
誰か一緒にいてくれるだろうか。


待合室まで案内されると、
しばらくは待機らしい。
人間量のタンパク質を燃やすには
それなりの時間がかかるそうだ。


待合の人混みに疲れ、
外に出ると煙突からモクモクと
空へ放たれている。

雲ひとつない青空に浮かぶ薄灰色の煙。
この位置からだと、煙突の先が空を突き抜けているように見えるのは不思議だ。

そして思い出す。

そういえば。

私は祖父が亡くなった時も外にいて
あの煙突を天国へ向かうエレベーターだと
勘違いしていた。

今振り返ると
幼い人間はなんて想像力が豊かなのだろうと思う。

ちなみに小さかったからか
その時は灰も骨も見ることは許されなかった。


大人は言う。

人は死んじゃうと
お星様になってあなたを見守ってくれるの。

いいえ、星はただの物体。

人は死ぬと
おばけになってあなたのそばにいてくれるの。

いいえ、おばけはただの錯覚。

人は死ぬと
灰と骨になってそれで終わり。

それなのに。

人は供養され、お墓に閉じ込められ、
これから先も大切にされる。

理解はできないけれど。

物理的にありえないとどこかでわかっていても、
あの頃の私を信じたいと思ってしまう。

だってあれが天国へのエレベーターならば、
祖父母はまた対面しているということだから。
そこで幸せでいてほしいと、願いたいのだ。


私は人が死ぬことの意味が理解できない。


でも、人が祈るその世界は美しくあってほしい。


そう思った。

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