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【歌詞】「二月すいか」の思い出の歌

歌詞 「せんせい」 

(語り)  
ベトナム人のハアイさんは、その頃まだ日本に来たばかりで、毎日いろんなことに驚いていました。炊飯器の機能が多いだとか、USJの入場料が東京までの深夜バスの運賃より高いだとか、いちいち目を丸くしては、はしゃいでいました。私は、ひょんなことから、週に一度、一時間、玉出のマクドの100円コーヒーで、ハアイさんに日本語を教えることになったんです。

「もしもし先生 ちょっと あう いいですか?」。ある日、珍しく電話してきたハアイさんは、自転車で駅まで来て、見たこともない大きなマンゴーをくれました。薄緑色で南国の匂いがしました。でもハアイさん、と私は言いました。「あう いいですか」は、「う」を「え」にかえて「会え ますか」

別の日、ハアイさんは恐る恐る聞きました。「先生 エラいは へんな大阪弁ですか。バイトの人、笑いましたから」。でもハアイさん、それは「エロい」じゃないですか。エラいとエロいは、全然違います。「新幹線いい 速い! ベトナム電車遅い」。でもハアイさん、私は、遅い電車に 乗る 乗ります 乗って 乗ってみたいです。

ハアイさんは「春巻き」を「ハラマキ」と言ったり「マスク」を「マクス」と言ったりしました。ある日「二月むいか」を「二月すいか」と言ったので笑いが止まらなくなりました。ハアイさんは気を悪くして「先生、さっき、そう言った!」と怒り出して、絶対言ってないしって余計おかしくて。つられてハアイさんも笑い出して、「二月すいか」が何でこんなにおかしいのか、私は、その時に、先生ではなくただの友達になってしまったんじゃないかと思います。


♪ ヒユウ ファン タン ホア 
 ヤン フォ ミュウ ファ ハアイ
 ヒュウ ファン タン ホア 
 ヤン フォ ミュウ ファ ハアイ
 暑い国から やってきた 
 大きな目に雪が降って 
 その目の中で雪がとけた
 先生 自転車 警察にとられた 
 テッキョホカンリョーって なんですか


(語り)
ライブに呼んだらオカマの客が騒いでて「男の人やで」と言うと、小さい声で「わかった」と言いました。雨の中、傘をささずに現れて、大丈夫日本の雨、弱い、て言いました。レッスン中にメールの着信音がなると「すみません」て言いました。でも「中国人きらい」と悪い顔で言ったりもしました。先生、ベトナムのアヒルの血、食べたい? アヒルの血? 血は「食べる」じゃなく「飲む」やねんけど、まあええか。アメフト選手みたいな絵のTシャツ着てたのに、かっこいいね!って言ってしまいました。

やがて東北で地震と津波が起こりました。「先生 こわい 私 毎日ニュース見た 野菜 放射能ついた 何食べる知らない」。帰りたい? はい、帰りたい。でも、やっぱりまだいる。たぶん。ハアイさんはそう言いました。
 
「私エレベーターで おはようございます言った その人 黙って行った」 ある日、珍しく怒ったようにハアイさんは言いました。「どうしたん? つまらない?怒っている?」いろいろ聞いたら、辞書をぱらぱらめくって「たぶん、これ」と指差しました。いつも無邪気で明るいハアイさんが指したのは「寂しい」という言葉でした。

 
何ヵ月かたったある日のこと、三重県で出会ったベトナムの人と結婚するといって私をびっくりさせ、11月にベトナムへ帰っていきました。ずっとあのままで素朴でいてほしいとか、そんなことは言いません。あなたが夢見たように、いつかあなたの国の電車は速くなり、炊飯器のボタンは増えることでしょう。私は、ふとした時に、一緒に笑ってしまった「二月すいか」を思い出したりしながら、ただあなたの幸せを願っているのです。

  
♪ ヒユウ ファン タン ホア 
 ヤン フォ ミュウ ファ ハアイ
 ヒュウ ファン タン ホア 
 ヤン フォ ミュウ ファ ハアイ
 暑い国から やってきた 
 大きな目に雪が降って 
 その目の中で雪がとけた
 先生 自転車 警察にとられた 
 テッキョホカンリョーって なんですか



この歌詞を、
自身の音楽ユニット<ラムファン>で歌っています。

 

2011年頃に、ベトナムから技能実習生として来日して大阪で暮らしていた年下の友人にボランティアで日本語を教えていました。後に、その頃のエピソードをもとに歌の歌詞を書きました。劇団のメンバーとの音楽ユニットで稀に語り歌っています。歌詞にあるように最初は「せんせい」として出会いましたが、ささいな言い間違いに大笑いしたことをきっかけに、正しい「せんせい」ではなくなってしまったんだと思います。彼(歌詞の中では女性のイメージです)は、絶対ヤなことだっていっぱいあったはずなのに、無邪気で、そして、ほんとにやさしいひとで、自分が、ずるくて、卑怯で、汚れまくっているような気になったものでした  今も思うけれど、あの日々は、決して、私が外国から来てひとりでがんばってる人を応援したとかではなくて、やさしいってこんな感じなんだと、やさしいほうがいいんじゃないかな と、教えてもらってた気がします。

今、彼は、故郷のベトナム中部の村で、当時、三重県で知り合った同郷の美しい奥さまと、二人のお子さんと、ご両親やたくさんの家族とともに、幸せに、そしていきいきと忙しく暮らしています。冒頭の写真は、私が彼らの村を訪れたときのものです。ずっとSNSでつながっています。なんと最近デング熱に罹ったんだそうです。今は、なかなか会うことは叶いませんが、きっとまた会えると思います。会いたいと思います。

会う 会います。 

会える 会えます 会えます か。




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