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【ニュースコラム】葬儀代9600万に乱世の姦雄を思う

―GHQにMr.WHYとあだ名された人が遺した“葬式無用 戒名不用”という言葉

日本人離れした容貌と体躯を持ち、イギリス仕込みの流暢な英語でマッカーサーを一喝した白洲次郎さん。その白洲さんの遺言が“葬式無用 戒名不用”だったことはあまりに有名なエピソード。

このまま本題に入りたいが、昨晩、恐れていたニュースが飛び込んできた。

以前、こちらのnoteでも触れたが、危惧していたことが起こってしまった。被害者二人の命は、取り留めたようであるが、大きな負傷をされているようである。無事を願うほかない。

思想・信条というのは、人を良い方向へも導くが、沸騰するとあらぬ方向へも導く。同じ思想を持つ共同体の中で、勇ましさを競ったり、臆病を嘲るような空気が流れ始めると、もうダメである。そういった時に、利用されるのが若者である。実際、犯人は18歳だと報道されている。

一方のシャルリー・エブド紙の行為も、誤った勇ましさであったと断じざるを得ない。被害に遭われた二人が、関係者であったのか否か不明である。ただの通行人であったとすれば、無辜の市民が犠牲となったことになる。その責任は限りなく重い。センシティブなテーマを扱う際には、冒涜ではなく、あくまで真摯な姿勢が必要であることは言うまでもない。

さて、本題へと戻る。読売新聞代表取締役主筆の渡辺恒雄さんはその人をこう評した。

「二人で酒を飲むときも話題は読書の話、政治の話ばかり。あのような勉強家、読書家は他に知らない。」
二人は毎週読書会を開き、研鑽に励んでいたのだという。

そのためか、各紙が報道しているものの、読売新聞だけは黙している。これが流行りの忖度であろうか。もちろん、このニュースのことである。

白洲次郎さんがどのような信仰を持ち、あるいは持たなかったのかは不明である。そして何より、行為そのものを否定しているのではなく、費用を掛けるなというのが白洲さんの真意だったのではないかと思えてならない。

三国時代に魏の礎を築いた曹操は、人物批評家であった許劭に「治世であれば能臣、乱世にあっては姦雄」と評された。『三国志演義』にあっては、悪役を一身に引き受けてきたが、昨今その評価が見直され始めている。

見直される前から、「墓は質素にするように」と遺言したエピソードは有名である。清々しさすら感じる姦雄の最期は、むしろ強烈な印象であった。

この厳しい状況の最中にあって、葬儀代9600万という額を税金から拠出することは、とても許容できるものではない。内閣府は「過去の先例などを考え、政府が適切に判断した」と答えているというが、その先例と現在とでは、取り巻く状況があまりに違い過ぎる。

―先例よりも歴史に学ぶことが出来ないのであろうか

この程度の歴史を中曽根さんほどの人が知らなかったとは思えない。もちろん、故人に直接お伺いすることはできないが、この状況で自らの葬儀代に9600万という税金が使用されることに、どんな思いを抱いているのだろうか。

国民感情でもなく、対外関係でもなく、誰より中曽根さんご本人の遺志に立脚した視点が必要ではないのだろうか。

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