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始めたら、半分だ『la la la 11. 7割で進んでくプロセスを大切に(by も)』@素敵note記事紹介

私は最近、このnoteで書くことについて悩んでいた。
小説家の中島桃果子ファンを名乗り、桃果子さんの作品について書くからには、中途半端なものを絶対に載せたくなくて(だってそれは、桃果子さんのことを誰より大切に思う、これを読んでくれている人の気持ちを中途半端に扱うことになる気がしたから)、でもそう思っているうちに、いくつかの記事のアイディアを抱えながらもどんどん書くことからは遠ざかっていっていた。

「あれ、なんかこれ(この現状)はちがくない?」
とちょうど思い始めていたところに、
ラララ・ラム子さんという方のこの記事と出会った。


「完璧」へのこだわりのあまり、何かを始めるのが億劫だったり、続かない人へ、今日は「まずは始めてみようか」ということがわたしはお伝えしたいのです。そしてそれを7割くらいの完成度で継続していくこと。



付け加えると、私の悩みは”書いていない”ことについてではない(それも考えなくはないけど)。
楽しいはずの”書くことを億劫がっている”ことの悩みだったのだ。

ラム子さんは、「理想と現実」という言葉の、ふたつを繋ぐ要素についてこう説明している。

理想と現実の間を埋めていくのが”戦略”であり”継続”であり”日々”だと思うのです。
「理想と現実」という言葉が、プロセスの重要性を見誤らせているとわたしは思います。「理想」はゴール地点であって「現実」がスタート地点です。
(中略)
プロセスは「過程」ですから、完璧じゃありません。でも仕方ない。プロセスなんだもの。


この文章を読んだときに、
ふと、4年ぶりに授業に行ったときのことを思い出した。

それは多分、ラム子さん的にいうと「現実」のスタート地点のお話。

*****

不登校時代、私はもう永遠に授業に出ることはないと思っていた。
これはもう疑う余地がないほどの自分にとっての現実であった。


そうして4年以上の月日が過ぎた高校2年のある日、たまたま副担任の先生にこんな提案をされた。
「後ろのほうの席で、5分くらい座って授業を見学してみるのはどう?」


席って、自分の状態によって選べるの?!と思ったし、授業時間(私の高校は1授業90分)の途中で抜けるって最初っから決めていいの?!って思ったし、ただ座ってるだけでいいの?!ってびっくりした。

でも、瞬間的に私は、「それならできる!」と思った。

それまで1ミリも授業に出る気なんてなかった。
それに本当にこれっきりのつもりだった。1回5分後ろに座ってるだけなら、誰も覚えてないだろうし、悪口言われ続けることもないだろうし、じゃあいっかって思った。
でも、出てみたら5分も45分もそれほど変わらなかった。

私のきつくて長くて重くて灰色の4年間を終わらせたのは、ひょんなきっかけだった。

振り返ってみれば、私の頭の中での現実は、小学生・中学生のときの辛い授業風景に偏っていた。
今自分は違う場所に立っていることに気がついていなかった。
私はその「頭の中の現実」に縛りつけられていた。
高校の先生のひとことは、私に、
「始められない頭の中の現実」を変えるきっかけをくれた。

つまり、私はあのとき、ようやく現実のかたちは変えられるということに気がついたのだ。
そのときやっと、心のなかに風が吹いた気がした。

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時を2021年に戻そう。

「理想と現実」

理想は、私の文章を読んでくれた人、桃果子さんのことを大切に思う人、これから桃果子さんの文章に触れる人すべての人に向かって、納得のいく、時間をかけてつくった、すばらしい文章を書き、読んでもらえるようにすること。

現実は、大学生活やアルバイトやそのほかのことでバタバタとして、すばらしい文章を書きたいがために、記事を書くことを先送りにする日々。

でも、「理想」がゴール地点であって「現実」がスタート地点で、完璧じゃない過程「プロセス」がゴール地点に向かってるとするなら。

書くことでアップデートしていけるのなら。

「伝える」ことが目標のこのマガジンは、その「伝わり方」にまでこだわっている場合じゃないのです。伝わり方へのこだわりが、たくさんの人に伝える機会を損失してしまう。


伝えたい
つらくて厳しい時間に見つけた大切なものが、いつまでも自分を支えてくれること。
現実は変えられること。
あなたの気持ちに寄り添うものがきっと世界にはあるんだよってこと。

大事なのは「始めてしまうこと」そしてとにかく「続けること」です。
7割くらいの完成度で、試行錯誤しながら。


私はいま、やっと
始まったいまに立っている

そうであるなら、今度は続けてみたい
まだ見ぬ何かを信じるために。



――――――――――

注1:タイトルの「始めたら、半分だ」は韓国語の「시작이 반이다(シジャギバニダ)」ということわざからつけさせてもらいました。
注2:今回記事を紹介したラララ・ラム子さんは噂によるとどうやら中島桃果子に近しい人物らしいのですが、真実はいかに?!

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