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地元民がお伝えしたい由緒正しい大阪名物グルメ ❰自由軒と夫婦善哉哉❱

法善寺横丁

 数ある大阪名物の中で、なぜ大阪名物なのかが忘れ去られている名物グルメがあります。自由軒の名物カレーと夫婦善哉(めおとぜんざい)です。この二店は大阪名物グルメとしてあちこちで紹介されていますが、残念ながら名物たるゆえんがあまり紹介されていないのです。若い方には古くさくてピンとこないかもしれませんが、名物は由緒があってこそ名物なのです。

自由軒の名物カレー

自由軒の名物カレー

 明治43年、大阪難波に、大阪で初めての洋食店が開店しました。店の名は「自由軒」。ビフカツなどの洋食を安価に提供することで一躍人気店になりました。しかし、店主には大きな悩みがありました。それはご飯の保温でした。今のような電気機器がない時代でしたから、大量に炊いたご飯の保温には限界がありました。ご飯が冷めていては看板メニューのカレーライスもおいしくありません。そこで考え出されたのが、熱々のカレールーとご飯を混ぜ合わせて提供する混ぜカレーでした。こうすればご飯が多少冷めていても温かいカレーライスを食べてもらえます。さらに、当時は高級品だった生卵を割り入れることで、混ぜカレーは「自由軒の名物カレー」と呼ばれて大ヒットしました。

※名物カレーの大ヒット以降、大阪ではカレーに生卵が当たり前になりました。


自由軒の店内に掛けられている額

織田作之助

 昭和初期、大阪市が人口・面積・工業出荷額で国内第一位となり、大大阪時代と呼ばれ始めたころのことです。大阪難波の洋食店「自由軒」を一人の男が度々訪れていました。男の名は織田作之助、まだ若い小説家です。

    作之助は自由軒の名物カレーを食べながら構想を練り、昭和15年(1940年)、同人誌「海風」で小説「夫婦善哉」を発表します。

小説 夫婦善哉

 「夫婦善哉」は、大正から昭和にかけての大阪が舞台です。
    北新地の人気芸者で陽気なしっかり者の蝶子は、化粧品問屋の若旦那で優柔不断な遊び人柳吉とお座敷で出会います。二人はわずか三か月でわりない仲になりますが、柳吉には妻子があったので駆け落ちしてしまいます。柳吉31歳、蝶子は20歳でした。
   いっしょになって分かったのですが、柳吉の遊び癖は筋金入りでした。まともに働かず、借金をして遊び倒します。口では蝶子に優しい言葉をかけますが、蝶子の貯金を使いこんでまで遊び呆ける始末です。今で言えばヒモでしょうか。

    一方の蝶子は仏壇に花を絶やさず、法善寺に蝋燭を寄進するなど、律儀で可愛い女です。しかし、柳吉を「阿保んだら」とののしったり、きつい折檻をしたりと中々の女傑です。今で言えばしっかり者のダメンズ好きでしょうか。今でもこんなカップルはいるような気がします。
  
    その作中に、柳吉と夫婦喧嘩をして家を飛び出した蝶子がひとりで自由軒の名物カレーを食べるシーンがあります。

 この二三日飯も咽喉へ通らなかったこととて急に空腹を感じ、楽天地横の自由軒で玉子入りのライスカレーを食べた。「自由軒のラ、ラ、ライスカレーはご飯にあんじょうま、ま、ま、まむしてあるよって、うまい」とかつて柳吉が言った言葉を想い出しながら、カレーのあとのコーヒーを飲んでいると、いきなり甘い気持が胸に湧いた。こっそり帰ってみると、柳吉はいびきをかいていた。だし抜けに、荒々しく揺すぶって、柳吉が眠い眼をあけると、「阿呆んだら」そして唇をとがらして柳吉の顔へもって行った。あくる日、二人で改めて自由軒へ行き、帰りに高津のおきんの所へ仲の良い夫婦の顔を出した。

小説 夫婦善哉より

※  上の文中で「まむしてある」と言うのは、「塗(まぶ)してある」の大阪弁で、「まむし(=鰻丼)」の語源です。

夫婦善哉


法善寺横丁の夫婦善哉

 小説夫婦善哉のラストシーンには法善寺横丁の夫婦善哉が登場します。

 柳吉は「どや、なんぞ、う、う、うまいもん食いに行こか」と蝶子を誘った。法善寺境内の「めおとぜんざい」へ行った。道頓堀からの通路と千日前からの通路の角に当っているところに古びた阿多福人形が据えられ、その前に「めおとぜんざい」と書いた赤い大提灯がぶら下っているのを見ると、しみじみと夫婦で行く店らしかった。おまけに、ぜんざいを註文すると、女夫の意味で一人に二杯ずつ持って来た。碁盤の目の敷畳に腰をかけ、スウスウと高い音を立てて啜りながら柳吉は言った。「こ、こ、ここの善哉はなんで、二、二、二杯ずつ持って来よるか知ってるか、知らんやろ。こら昔何とか大夫ちう浄瑠璃のお師匠はんがひらいた店でな、一杯山盛にするより、ちょっとずつ二杯にする方がぎょうさんはいってるように見えるやろ、そこをうまいこと考えよったのや」蝶子は「一人より女夫の方がええいうことでっしゃろ」ぽんと襟を突き上げると肩が大きく揺れた。蝶子はめっきり肥えて、そこの座蒲団が尻にかくれるくらいであった。

小説 夫婦善哉より


夫婦善哉

 上の写真が現在の夫婦善哉の看板メニューである「夫婦善哉」です。二杯で一人前なので、何も知らない観光客が驚きます。
 
 織田作之助は後に「大阪発見」と出した次のような一文を残しています。

 俗に法善寺横丁とよばれる路地は、まさに食道である。三人も並んで歩けないほどの細い路地の両側は、殆んど軒並みに飲食店だ。「めをとぜんざい」はそれらの飲食店のなかで、最も有名である。道頓堀からの路地と、千日前――難波新地の路地の角に当る角店である。店の入口にガラス張りの陳列窓があり、そこに古びた阿多福人形が坐つてゐる。恐らく徳川時代からそこに座つてゐるのであらう。不気味に燻んでちよこんと窮屈さうに坐つてゐる。そして、休む暇もなく愛嬌を振りまいてゐる。その横に「めをとぜんざい」と書いた大きな提灯がぶら下つてゐる。はいつて、ぜんざいを注文すると、薄つぺらな茶碗に盛つて、二杯ずつ運んで来る。二杯で一組になつてゐる。それを夫婦と名づけたところに、大阪の下町的な味がある。そしてまた、入口に大きな阿多福人形を据ゑたところに、大阪のユーモアがある。ややこしい顔をした阿多福人形は単に「めをとぜんざい」の看板であるばかりでなく、法善寺のぬしであり、そしてまた大阪のユーモアの象徴でもあらう。

映画 夫婦善哉

 小説 夫婦善哉がヒットしたことで、昭和30年(1955年)に森繁久彌と淡島千景主演で映画 夫婦善哉が公開されました。この映画には今はもう見られない、古き良き大阪が記録されています。

映画 夫婦善哉のワンシーン


    法善寺横丁の詳細はこちらをご覧ください。うっすらとですが、古き良き大阪の面影があります。


最後に…

 小説・映画の夫婦善哉が大ヒットしたことで、自由軒で名物カレーを食べ、夫婦善哉へ行くのが戦前の大阪の定番デートコースとなりました。しかし、今や自由軒の名物カレーや夫婦善哉を由緒から理解して大阪名物だと認識しているのは後期高齢者の方達だけだと思われます。今一度、昔日の大大阪時代を復活させるべく、織田作之助ゆかりの自由軒と夫婦善哉を盛り立てて欲しいと、筆者の母親(自称:末期高齢者)が申しております。


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