煩悩や、脳盆
苦悩があふれていた、どうして。
わたしは、高級車である、BMWを、ヴェムダと自己流略式の呼び名で呼びたがるんであろう、それに、ブロッコリーのことも。
ブロッコリーは森が集まってできたものだと、わたしのすきなTwitterの方がいっていたのだけど、それにしてもだ。ブロッコリー。カリフラワーではそうならないのに。
頭んなかでは、ブロッコリーのこと、コーリーブローと呼称しており、かつ、失礼で、オリジナルのソングまで作って、携帯のボイスメモにレコーディングして、家族に聞かせる始末。農家に謝れ!高地の栽培者にも!
ほんものの、コーリーブローなんて、知りたくは、なかあたんだあ。
これは、歌詞であり、メロディーは牧歌的である。
これは、冷凍ブロッコリーの悲哀について歌った歌で、冷凍のブロッコリーがなまのブロッコリーに出会うという歌、家族の塾の迎えのときに作った歌。夏だったかしら、わたしは、スキップしながら、この歌を、小さく歌った。どんな四十代。明るいメロディー。
ほかにも、でてくるでてくる。
一種の、発声の機能に、発声のメカニズムに問題が起こっているやもしれないと、今日の今日まで、気がつかなかったけれど、わたしが、オリジナルの言葉で、すでについた名詞を踏襲せねばせねばと、躍起になって、こねくりまわして、どだいなんになるというの。
小学生(しょうぼう)のときに、すでに、幕は静かに衣擦れの音をたて、舞台に光が射し込んでいたのである。
早熟だったため、膝こぞうの埋没毛をコンパスの針でほじくりだし抜いていた。
その作業は、脱毛だったのだろうけど、わたしの頭んなかでは、だつげっげっげっげっげっげもうげもうげ、という長たらしいけど、寿限無寿限無よりは短く、かつ安直な呼び方をしていたのだけど、なぜそんな風に。
漢字も、割当てられて、脱毛、毛を脱する、ゆえに、解脱に近い感覚、もうすでに誰もが、わかる形で世に出ているというのに。
新しい渾名をつけたがるのだろう、わたしは。おごりの一種だろうか。
もしもし、読んでくださる人が居たら、きっと、その方の生き様のなかで、自分自身のわき上がるままに、名付けをした経験が、おありになるだろう。
洗髪しないで、湯船につかって、あったまってでてくる略式の風呂を、うちでは、
「ジャボン」とよんでいる。
汚いだろうか。
風呂で洗体しなくとも、八割型の汚れがとれるという、都市伝説をきいたこともあるし、あんまり皮脂をとりすぎると、感想の原因となってしまう懸念があるのだ。
だから、さしあたって、時間のないとき、ジャボンは体をあたため、血流を清流にかえる、めんどうな洗髪は、翌日にまわし、ただ、リラックスするという、すばらしい様式なのである。
いやいあや、高級車の話からそれてもうた、どうしよう。それまくりで、DVDのことを、ダビデと呼んでいた先輩がいたけど、わたしは、むしろ、ダバダと呼んで、コーヒーの事を思い出したいな。
これが日記だというなら、レシートも日記になってしまうから、これから日記。
野球のこともわかんないのに、みどりいせきを読んでいる。
大田さんは、知らない人だけど、小説を書いていて、優しい人なんだということだけわかりながら、勝手に解釈を続け、読んでいる。
野球やスポーツの事、しりたいな。たくさん、わかったら、楽しさも切なさもわかるのに。わたしは、とにかく運動機能が壊滅しているかもしれないし、とにかく、みんなでそろって何かやるのが恐怖だし、いや、ちがうとしても、とにかくスポーツは怖い。どうしれば、克服できるのか。
とにかく、いまはみどりいせきをよんでいる。 最初のシーンから、涙がでてきて、こちらも、泣きたくなる。鼻すする。
ものすごい純粋なぬいぐるみが、実はラムネとか、綿菓子をかためたもの作成されていて、いつのまにか、溶けるような感じの小説だと思って、読み始めている。
ちがうかもね、わたしのよみかた。まあ、自由。
みどりいせき、なのに、わたしのイメージが白とかクリーム色の優しさが小説から立ち上ってきて、これから、みどりになるの? わかんないけど、大田さんによって、書かれた小説が、世界を優しくするために、かいたよって、いまのいま、氏に言われても、わたしはだまされるかも。
まだ、読んでないのに、おでしゃするなよ、わたし。だけど、わからんけど、印象がかわるかもしれないけど、最後までよむのが、ながい散歩、ながい夢、楽しみ。
わたしの小説は、一日くらいさぼっているな。昨日は、すぐに十時半ころにがんばって眠った。
家族の感冒は、ひどいけど、なんとかやっているし。
まず、秋の風景を、わすれたくないがために、日記にしるしたいけど、それはまた、別の話。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?