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雪とアザレア

第1章 孤独な少年は幸せを描くか

『幸せは与えられるものでも掴むものでもない、気づくものです。そうであって欲しいと私は思う。』

 一人の少年が山道を歩いている。見たところ7歳ほどだろうか。片手には小さな体には少し不格好な大きなのキャンバスと筆とパレットを抱えている。彼が歩いている山道は道と呼ぶには些か過酷な環境であった。肌を切り裂くような冷たい風と、積もり始めた雪。少しでも気を抜けば足を滑らせ転んでしまいそうなほど足元の環境も悪い。彼を取り巻く状況はかなり絶望的だった。

 その日の午前中は雲一つない晴れ模様で、真冬とは思えないほど肌触りの柔らかな風が吹いていた。児童養護施設である「緑光園」の園長は以前から企画していたピクニックを実施することにした。施設のある地域は比較的田舎で、のどかな自然が多い場所であった。園長は小学生以上の希望者を集め、数人の職員と共にピクニックに出かけた。ピクニック参加者の中に小学一年生の林 倖一(こういち)という少年がいた。少年は5歳の頃に緑光園に預けられ育った。少年の記憶に両親の面影はほとんど無かった。
 少年は絵を描くことが好きだった。園では一人の同い年の女の子と親しくしているが、その他に親しくしている友人はおらず、基本的には寡黙であった。

 少年が小学校に入学したての頃、山を少し登ったところにある開けた場所でピクニックをした。そこから眺める街の景色に少年は心を奪われた。お気に入りのキャンバスに何枚もその光景を描いた。久しぶりのピクニックでどうしてもその場所に行きたかった少年は職員の目を盗み、集団を抜け出し一人で山を登り始めた。しかしその日の午後、山は予報外れの大雪に見舞われた。絵を描くことに夢中になっていた少年が周りの環境の変化に気づいた時にはもう手遅れと呼べる状況だった。

 少年は劣悪な山道を下り始めた。視界が悪く数メートル先も見通せない。寒さと疲れで意識が朦朧とし始めている。しかし少年の下山はすぐに終わりを迎えることになる。凍ってしまい限りなく摩擦が少なくなった岩の上で少年は足を滑らせた。声を出す間もなく、木の幹で頭を打ち意識を失った少年の身体は重力に従って山の斜面を転がり落ちた。

 少年は暖かい部屋で目覚めた。ゆっくりと身体を起こす。酷い頭痛を感じ頭を触ると包帯が巻かれていた。雪山で転んでしまったことを思い出す。少年がいるのは見覚えのない部屋だった。部屋の壁から天井、家具まで木製で統一されている。枕元には白色の花が花瓶に生けてあり、フリルのようなかわいらしい花を咲かせていた。部屋の隅には電気ストーブが置いてある。大きな木格子のガラス戸を通して電気ストーブの赤い火の色が見えた。いかにも暖かそうだ。コーヒーの香りが部屋まで漂ってくる。部屋の扉を開けた先は厨房になっていた。そこで少年は一人の女性と出会った。
「あ、目が覚めたんだ。良かった。君、山の中で倒れてたんだよ。」
不思議と聴きやすい優しい声をしていた。
「私のことは薫(かおり)って呼んで。君の名前は。」
「林倖一です。」
「倖一くんか。よろしくね。私は山のふもとで小さな喫茶店を経営してるの。ここはその喫茶店。お店の名前は喫茶『アザレア』。いい名前でしょ。」
厨房の奥に見える店内は落ち着きのあるシックな雰囲気で、古き良き喫茶店といった様子だった。
「そういえば倖一君はあんな場所で何をしてたの?」
「絵、描いてた。」
「君の近くにキャンバスが落ちてたのはそういうことか。」
「僕の絵、残ってる?」
「キャンバスもちゃんと拾っておいたよ。安心して。でも君は頭を打ってたから、雪がやんだらちゃんと病院に行こうね。」
「うん。」
そう約束したものの、そこから1週間記録的な大雪がやむことはなかった。


 1週間という時間はあっという間に過ぎ去っていった。それほど薫さんとの暮らしは非常に心地よいものだった。薫さんが作るご飯はどれも僕好みの味付けで、薫さんが料理を始めると早々に食卓の椅子に腰かけ、その日のご飯を心待ちにした。その日の夕食は僕の好物のナポリタンだった。

 日が傾き始め、薫さんも家事の大半を終え、お店の中にはゆったりとした時間が流れていた。外の雪も穏やかになりつつある。少し眠たそうにしている僕に薫さんは話しかけた。
「倖一君は毎日が楽しい?」
「普通。学校のみんなには家族がいるのに、僕にはいない。それが少し寂しい。」
「そっか。家族のことは何か覚えていないの?」
「昔火事に巻き込まれたことがあって、それより前のことはあんまり覚えてないの。でもお母さんの笑った顔と、あと、奇麗な海の景色を覚えてる。」
「そっか、ちゃんと覚えてるんだね。絵を描く以外に好きなことは無いの?」
「音楽を聴くことと、歌うこと。園長先生が僕のお母さんの形見だって渡してくれたカセットテープがあるの。それに入ってる音楽が好き。」
「とても素敵な宝物だね。自分にとって大切なものはちゃんと自分自身で決めて大切にしていってね。」
薫さんの視線を追うと壁にかけられている一枚の絵が目に入った。一人の女の子が一人の老人に花束を渡している様子が描かれていた。
「あの絵はなに?」
「あの絵はね、チャップリンが主演した『街の灯』っていう作品をテーマにした絵だよ。倖一君はこの作品の最後はハッピーエンドだったと思う?」
「全然わかんないよ。街の灯って何?」
「君にはまだ難しかったかな。」
薫さんはそう言って笑った。
「さ、今日はもう寝よう。明日には雪はやみそうだから下山して病院に行かないとね。」
「そこで薫さんとはお別れ?」
「そうね。きっとしばらく会えなくなるわね。」
その言葉が僕にはとても重たく感じた。理由はわからない。でも、もう二度と会えないような気がしてならなかった。
「また会える?」
「君がそれを強く望むなら。ここはそういう場所だから。」
薫さんに連れられベッドに入る。
「薫さんに会えてよかった。」
「私もよ。でもね、私は確かにあなたの目の前に存在しているけれど、他の人からすれば私はいないも同然なの。」
「どういうこと?」
「私の話はもういいわ。さ、目を閉じて。今日はもう寝ましょう。」
僕はゆっくりと目を閉じる。少しずつ、少しずつ呼吸は深く、ゆっくりになっていく。まどろみの中に微かな温もりを感じながら僕は意識を手放した。

 ゆっくりと目を開ける。見知らぬ天井が目に映る。全身に激痛を感じながら身体をベッドから少し起こした。
「先生、倖一君が目を覚ましました。」
声の方向を向くと女性の看護師がいた。少しずつ状況を理解し始める。ここは暖かい喫茶店ではない。病院だ。薫さんの姿はどこにもなかった。

 目が覚めてすぐに園長先生が病室まで駆け付けた。怒られる覚悟をしていたが、開口一番に無事でよかったと言われた。それから僕が意識を失っていた間の話を聞いた。
 僕が姿を消してすぐに警察の人も交えた捜索が始まったらしい。最終的に雪が降り始めて2時間程経った頃に近隣に住んでいる川中さんが山の斜面で気絶している僕を発見してくれたそうだ。その後すぐ病院に運ばれ約1週間僕は眠り続けていたらしい。
 1週間後、検診とリハビリを終えた僕は無事退院することができた。園への帰り道、園長先生に聞いてみたが、やはり山の中に喫茶『アザレア』という喫茶店はおろか店ひとつ存在しないと告げられた。それでも喫茶『アザレア』で過ごした一週間は確実に僕の中に存在していた。それが誰にも信じてもらえずとも、僕にとって大切な思い出だから。

色褪せていた日常が少しだけ彩りを取り戻して見えた気がした。








第2章 ブレーメンのロバは幸せを唄うか

ドームを埋め尽くす数万人の観衆。スポットライトに照らされ、視線と熱を正面から受ける。声援は止むことを知らず、鼓動は昂り熱狂の渦は会場を飲み込んでいく。観衆は自分の一挙手一投足に息を飲み、自分の歌声で心をふるわせる。少年時代の寺崎翔太はそんな自分の姿に強い憧れを抱いていた。

 ゆっくりと目を開けば見慣れた天井が目に映る。記憶は無いが昨晩飲んだであろう酒の缶と空のカップ麺の容器が机の上に乱雑に置かれてある。時計の針は昼の1時を指していた。
 部屋を見渡せば雑誌やゴミが散乱している。それでも部屋の隅に置かれている埃を被ったギターの周りだけは綺麗さを保っていた。思えばしばらくギターにも触れていなかった。音楽で生きていくと啖呵を切り、実家のパン屋を継がずバンドのメンバーと上京したのが5年前。それでも翔太の音楽が日の目を浴びることは無かった。次第に同じ志を抱いていたはずのメンバーも減っていき、気づけば翔太一人しか残っていなかった。最近はただバイト先と家を行き来するだけの毎日。終わりの見えない同じ一日の連続に辟易としていた。
「帰ろう。」
静かに呟いた。

 数日で荷物をまとめ、家を出た。電車を乗り継ぎ、聞き慣れた車内アナウンスと見覚えのある風景に昔の記憶を呼び戻される。両親には迷惑ばかりかけてしまった。改めて申し訳なく思う。
 最寄り駅からぼんやりと歩き続けているといつの間にか実家に辿り着いていた。もう何年も連絡を取っていなかったが、まだパン屋が残っていたことに少しの安堵感を覚えた。実家のチャイムを鳴らす。
「はい。」
懐かしい母の声だった。少しだけ泣きそうになった。

 実家に帰ってから数週間が経った。
 翔太の帰りを母は喜んでくれたが、父と弟の態度は決して良いものでは無かった。パン屋は弟が継いでいた。翔太は自分の我儘で弟の将来を奪ってしまったのではないかと申し訳なく思った。
  父に「働いて自分で稼げるようになるまで帰ってくるな。」と言われ、実家の近くのアパートに住まわされた。アパートの家賃の半年分のお金を無言で渡してくれたことに父なりの優しさを感じ、また泣きそうになった。

 それからは就活に明け暮れた。年齢や時期的にも厳しいことは多かったが、どうにか1社に採用してもらうことができ、今はそこで必死に働いている。少しずつ親孝行していきたいと最近は思えるようになってきた。

 殆どの荷物は帰省する際に処分したが、どうしてもお気に入りのギターだけは捨てることができなかった。音楽活動は就活が落ち着くまでは完全に休止していたが生活が安定してくるにつれ、再開について考え始められるようになった。今更ライブで稼ごうとするつもりはない。ただ、自分の曲を少しでも多くの人に聞いてほしい。それだけだった。
 
 そんなとき翔太の母の友達が園長を務めている保育園でのクリスマス会でのエキストラを募集している話が回ってきた。翔太は二つ返事で了承した。

 その年のクリスマスは雪が降っていた。数年ぶりのホワイトクリスマスに街が色めきだっているのを肌で感じる。翔太自身も久しぶりの人前での演奏に少しの緊張と興奮を感じていた。
 クリスマス会には園が用意してくれたサンタのコスプレをして参加した。クリスマス会には保護者の多くも参加していた。自前のギターで数曲の有名なクリスマスソングを演奏し、園児たちと一緒に歌った。そして最後の一曲はオリジナルソングを選んだ。一番お気に入りの曲。聴いているだけで元気が出てくるような優しい曲だった。
 クリスマス会の後、一人の保護者の方に声をかけられた。とても奇麗な女性だった。
 「最後の曲、とても感動しました。曲名を教えていただけませんか。」
 「自作の曲なんです。曲名も今のところついていません。よければ録音したカセットテープお渡ししましょうか。」
 「いいんですか。お願いします。」
 「今は手元になくて、後日渡そうと思うのですが連絡先教えていただけますか。」
 翔太は人生で初めて自分の曲に感動してくれた人に出会えたことに喜びを隠せないでいたが、冷静に対応するように努めた。

 年が変わり数日が経った。自身の曲を収録したテープを持ち、翔太はクリスマス会で出会った女性との待ち合わせ場所にいた。再び相まみえた女性は変わらず美しかった。女性は林と名乗った。その日は軽く喫茶店でお茶を飲み、自身の音楽活動の話をしてすぐ解散した。その日から定期的に手紙でのやり取りが続いた。手紙ではいつも音楽の話で盛り上がった。彼女も昔から音楽が大好きでよくクラシック音楽などを聞いていたと教えてくれた。打ち解けていくに連れ、彼女について知ることも増えてきた。彼女には旦那さんはおらず、倖一君という4歳の男の子を一人で育てていると聞いた。旦那さんのことについて聞くことはできなかった。
 彼女との交友は長く続いた。一度自宅に呼ばれたこともあった。倖一君は母親似なのだろうか、かわいらしい顔をしていた。翔太は次第に彼女の明るい人柄に惹かれていった。しかし、彼女は日が過ぎるにつれ憔悴し、明るさを失っていった。翔太には彼女が何を一人で抱えているのか知る由もなかった。それでもその様子を見ていられなかった翔太は、彼女と出会ってから一年後のクリスマスの日に、一度だけ自分の気持ちを伝えたことがあった。「自分と一緒に生きていかないか。あなたの抱える重荷を僕にも背負わせてほしい。倖一君と三人で幸せに生きていけると思う。」そう伝えた。しかし、彼女の返事は意外なものだった。
 「今はあなたと一緒になることはできない。いつか私の中で誠実にあなたと向き合える日が来たとき、あなたがまだ私を想っていてくれたなら、その時はよろしくお願いします。」
 彼女の真剣な眼差しを見て何も言えなくなってしまった。その言葉の本当の意味をその時の翔太は理解することができなかった。
 
 その日からしばらくは仕事が繁忙期を迎え、園への足は遠のき、彼女とも顔を合わせられずにいた。そんな2月頭の夕暮れ、その日は寒波が到来し、雪が降る予報だった。
 仕事からの帰り道、どこの家庭からだろうか、団地には美味しそうな夕食の匂いが漂っていた。そんな平和な日常風景にそぐわない焦げ臭いにおいが鼻を突いた。仕事終わりの翔太はアパートの前でくたびれた様子で匂いのする方向を向いた。空には夕焼けに照らされた黒煙が舞い上がっていた。保育園の方角だった。
 翔太は反射的に走り始めた。いつぶりの全力疾走だっただろうか。息を切らしながら保育園の前に辿り着いた。保育園は、真っ赤な炎に包まれていた。遠くから聞こえるサイレンと、泣き叫ぶ園児に混乱する保育士、阿鼻叫喚といった様子だった。一人の保育士の叫び声が聞こえた。
 「倖一君がいません!」
 「お迎えは?!」
 「まだです!最後に見たのは1人でトイレに行くところでした!」
 倖一のクラスは既にかなり火の手が回っていた。消防隊の到着は待てなかった。翔太は近くにあったバケツに溜められていた水を頭から被り、火の海へと飛び込んだ。そこからは無我夢中だった。熱さも不思議と感じなかった。なんとかたどり着いた部屋で、気を失っている倖一を見つけた。倖一を抱えて来た道を戻る。まだ、完全には燃えていない。走れば間に合う。そう確信して一気に駆け抜けた。入口まで辿り着いた刹那、轟音を立てながら木製の天井が崩れ落ちた。入り口は少しの隙間を残して瓦礫に埋もれてしまった。とても大人一人が通れる隙間では無かった。向こう側から声が聞こえる。消防士の声だった。翔太は必死に叫んだ。
 「逃げ遅れた子供をこの隙間から投げます!」
 消防隊の返事が聞こえた。それがどんな返事だったのかわからない。でも、そうする他なかった。無事に助かることを願いながら倖一を外へと放り投げた。倖一の身体は上手に隙間を抜けていった。両腕から命の重さが消えたことに安心感を覚える。「次は自分が逃げ出す番だ。」そう思った瞬間、翔太の左半身をとてつもない熱と風圧が襲った。どうやら厨房のガスに引火し爆発したようだった。吹き飛ばされた翔太は壁に叩きつけられ、ぐったりとその場に倒れ込んだ。耳鳴りが酷い。もう全身に力が入らなければ、感覚もない。少しずつ遠のく意識の中、林さんと両親の顔が思い浮かんだ。最後まで親孝行をできなかったことだけが心残りだった。

 翔太が目を覚ましたのは、シックな雰囲気の漂う喫茶店のカウンター席だった。壁一面にポスターや絵画が飾られており、不思議な雰囲気を醸し出していた。窓の外は雪が降っている。周りを見渡すが、翔太以外の客も店員もいない。あるのは翔太の目の前に置かれた差出人の名前がない一枚の便箋だけだった。ゆっくりと封を開ける。形の整った綺麗な字だった。
 「心優しきミュージシャンへ

 あなたと、あなたの音楽に出会えたことは私にとっての宝物です。辛い毎日の連続だった昔の日々を、あなたの曲は全て肯定してくれたようでした。あなたの音楽にどれだけ救われたかわかりません。自然と背中を押してくれる、元気にしてくれる、そんな歌声を持つあなたは自分のことをもっと誇りに思ってください。
 いつだったかあなたが倖一にギターの弾き方を教えてくれたことがありました。その日からあの子はあなたのギターが奏でる音楽が大好きになって、毎日のように録音されたあなたの曲を聞いていました。あの子が自分から何かにあれほど夢中になったことは無かったです。あなたは誰かを幸せにできる素敵な才能があると私は思います。
 あの日、私に伝えてくれたあなたの気持ち、とてもうれしかったです。でもその申し出に応えられなくてごめんなさい。まだ私が未熟だったから、あなたの未来を私が奪ってしまいそうで怖かったのです。

 最後に、あなたの守った幸せがいつまでも紡がれますように。」

 翔太はそっと便箋を机に置いて呟いた。
 「僕はあなたが思ってくれているほど奇麗な人でも、才能に恵まれた人でもない。自分が、知らない誰かに幸せや夢を与えられるだなんて到底思えない。それでも、あなたが、僕の曲の初めてのファンで本当に良かった。」
 誰かに抱きしめられているような温もりに包まれながら、翔太はもう一度眠りについた。








第3章 盲目の少女は幸せを視るか

 私は安達唯(ゆい)と言うらしい。誰が名付けたのか、そもそも本名なのかすらわからない。私に物心がついたとき、既に両親というものはいなかった。いつからいなかったのかそれは定かではないが、私は家族の愛というものを知らずに育った。子供の頃に読んだ絵本の登場人物には皆家族がいて、家族のために命を賭して戦う者や、愛する人と結ばれるために家を捨てる者もいた。そのどれもが私の理解できないものばかりだった。

 そんな私の楽しみはピアノを弾くことだけだった。生まれた頃から「緑光園」で育った私にとっておもちゃのピアノは数少ない娯楽の一つだった。自分で音を奏でる楽しさと感動は代え難いものだった。初めは意味もなく鍵盤を叩いていたが、園の職員に弾き方を教えてもらいながら練習を始め、その面白さに魅了されていった。

 6歳の誕生日を1週間後に控えた2月7日、近所の団地を散歩する機会があった。その日は久しぶりの雪に少し気分が高まっていたことを覚えている。日が傾き始めた夕暮れ、遠くから消防車や救急車のサイレンの音が響いてきた。その音に反応した職員がサイレンの方向を向き、園児たちから目を離した。それと同じタイミングで、私が落としてしまったボールを追いかけて道路に飛び出したのはほんの偶然だった。
 「危ない!」
 女性の大声と全身への衝撃。職員の悲鳴が聞こえた。それからの記憶は殆ど残っていない。

 私は奇跡的にほとんど外傷が無く、無傷に近い状態だった。あの日から職員は私に妙に優しくなったが、それでもあの日起こったことについて職員に聞いても詳しく教えてくれることは無かった。
 再び私の記憶が明瞭になるのは、事故の日から数週間後のことである。林倖一、彼がこの緑光園にやってきた。
 彼は園では他の人とあまり関わろうとはせず、一人で黙々と絵を描いていた。私は同い年で友達がいないという共通点から、彼に人知れずシンパシーを感じていた。彼と初めて交わした会話は私のピアノについての話だった。
 「ピアノ、上手だね。奇麗な音。」
 職員以外の人に自分のピアノを褒められたのは初めてだった。とても嬉しかったことを覚えている。それから彼とはよく話すようになった。二人でよくピアノを弾いて遊んだ。私が弾いて彼が歌うこともあった。二人で過ごす時間が私にとっての楽しみになっていた。
 
 それから1年後くらいだっただろうか、彼が山で行方不明になったことがあった。彼が見つかるまでの数時間、私は不安でずっと泣いていた。彼とピアノを弾く時間、一緒に歌う時間が無くなること、なにより彼がいなくなることが怖くて仕方がなかった。それが一体どんな感情なのか、その時の私にはわからず、ただ泣いていた。彼の意識が戻ったと報告を受けたときは安心してもっと泣いたことを覚えている。

 彼との時間は私にとってかけがえのない時間だったが、小学校高学年、中学生と年を重ねるにつれ二人で遊ぶ頻度は日に日に減っていった。学校で話すことや園で一緒にいることを少し気まずく感じてしまっていた。思春期とは難儀なものだと昔のことを振り返るたびに思う。そうして少し疎遠になったまま中学時代を過ごした。

 高校は同じ公立の高校に進学した。校則が緩かったため、私は今より大きなピアノを買うためアルバイトに勤しんだ。自分で稼いだお金でピアノを買ったときは興奮した。高額で大きな物を買うときは事前に言いなさいと職員の方には注意を受けたが、私の人生で一番満足感のある買い物だった。
 彼は高校に入学してからも基本的なスタンスは変わらなかった。少数の友達とは仲良くしているが、大勢と仲良くしようとはせず、いつもお気に入りのカセットテープを聞いていた。身長も伸び、容姿も少し大人びた彼は親譲りなのだろうか、かなり端正な顔立ちに成長していた。それ故にクールな性格が格好いいだのと女子生徒数名から人気があったことは少し気に食わなかった。

 3月2日、1つ上の先輩の卒業式があった。退屈な卒業式の間は漫然と昔の思い出を振り返っていた。
 卒業式はすぐに終わり、お昼すぎには下校することになった。偶然彼と同じタイミングで学校を出たため、久しぶりに話しかけてみることにした。
 「丁度1週間後誕生日だよね。バイト代入ったけど、何か欲しいものある?」
 「何かくれるの?なんだろう。考えておくよ。」
 ぎこちない会話に時折気まずい沈黙が訪れる。
 「雪だ。」
 そう呟いた彼につられて空を見上げると、雪はまるで羽の毛のようにふわりと舞いながら降り始めていた。その場にいた誰もがその光景に目を奪われてしまった。私の目の前にある道路脇の公園で遊んでいる少年が、迫る車に気が付かない程に。少年は転がるボールを追いかけて道に飛び出した。
 いつだったか、私は似たような光景を見たことがある。いや、違う。見たことがあるのではない。私は当事者だった。けれど見ず知らずの誰かにこの命を救われた。蘇る記憶に急かされるように駆け出した。
 私は男の子の身体を押し飛ばした。けたたましいブレーキの音が響く。激しい衝撃に意識が遠のいていく。私が最後に見たのは泣きそうな顔で私の名前を叫ぶ倖一の顔だった。

 目が覚めると同時にすさまじい激痛が全身を襲った。
 「唯ちゃん!」
 名前を呼ばれた。倖一の声だった。今さら昔の呼び方をされたことに恥ずかしさを感じながら、呼ばれた方向を見る。しかし彼の姿は見えなかった。彼の姿だけではない。何も見えなかった。そこに見えるはずの全てを見る術を私は失ってしまっていた。形容し難いほどの絶望に感情が支配される。
 現実を精神が受け止めきれなかった反動で私はひどい錯乱状態に陥った。彼が再び面会に来たのは私の状態が落ち着いた2日後のことだった。

 「大丈夫?」
 おずおずと聞いてくる彼の様子が目に浮かぶ。
 「全身を包帯に巻かれて、視力まで失った私が大丈夫に見える?」
 「ごめん。」
 棘のある言い方しかできない自分に嫌気がさす。それでも私の全てを吐き出せる相手を、私は彼以外に知らなかった。
 「また、施設に戻ったら一緒にピアノの演奏をしようよ。」
 「もう楽譜も見えないのに。」
 「でも、、僕は唯ちゃんが奏でるピアノの音色が好きなんだ。」
 「好きって何?私は生まれたときから家族がいない。あなたは施設に来るまできっと両親といたのでしょう?」
 もう溢れ出す苦しみや嘆きを止めることができなかった。
 「私が知らない愛情をたくさん感じて育ってきたんでしょ。私の気持ちなんて何もわからないくせに、無責任なこと言わないでよ。」
 彼が今施設にいるということは、彼だって家族を失った悲しみを背負っているということ。そんなことはわかっていた。彼が雪山で行方不明になったときの恐怖を私は知っている。その恐怖が現実になる悲しさや絶望なんて私は知らない。私だって彼の苦しみなんて何もわかっていない。そんな彼に、私は、これだけ悪意をぶつけているのに。それなのにどうして君は、そんなに優しい声で泣いているの。
 「僕にとって好きって気持ちは大切にしたいって思えることなんだ。自分にとって大切なものはちゃんと自分自身で決めて大切にしていくことが大事なんだって、昔ある人に教わったんだ。唯ちゃんと、唯ちゃんが奏でる音楽は僕にとって大切で、大好きな宝物の1つなんだよ。だから、またいつの日か一緒に歌って、演奏してほしい。」
 「でも、」
 「唯ちゃんの見えない分まで僕が見て補うから、僕一人じゃ見れない景色を僕に見せて欲しい。幸せって、きっと日常の中から見つけていくものなんだと思う。そうやって小さな幸せを拾いながら、2人で歩いて行こうよ。」
 堰を切ったように涙が溢れて止まらなかった。
 「ごめんね。ありがとう。」
 こんなに泣いたのは初めてだった。きっとひどい顔をしていたと思う。それでも彼は、そんな私のことも大好きだと言ってくれた。真っ暗闇の世界に少しだけ光を見出せた気がした。

 その日の夜は酷く冷え込んだ。もうすぐ春だというのに外は雪が降っていると看護師さんが言っていた。事故から何日経ったのだろうかと考える。視力を失ってからは時間の感覚も掴めないでいた。今日は久しぶりに倖一と話した。たくさん泣いて、酷く疲れた。それ故に睡魔は容易に私の意識を奪っていった。

 目を開くと見覚えの無いお店のカウンター席に座っていた。数日ぶりに感じる光に眩しさを覚える。建物全体は木造の造りになっている。喫茶店だろうか。たくさんのポスターや絵が壁に飾られている。美しい絵画だけではなく、クレヨンで描かれた不格好な絵もあった。しかし、確かに不格好なその絵も、言葉がなくともその不完全さが伝わる哀愁を湛えていた。窓の外は大雪が降っていた。自分の他には誰もいない。感覚でこれが現実でないことはすぐにわかった。一枚の便箋が目に映る。そっと中身を取り出した。

 「昔の私へ

 もしかすると、今のあなたは苦しみの最中にいるかもしれません。毎日が辛くて、生きていくことが精一杯でしょう。それでも私はあなたにこの世界を、あなたの人生を生き抜いて欲しいと思います。暗闇が続いても、必ず誰かがあなたを探して、見つけ出してくれます。苦しみも、悲しみも、嬉しさや、楽しさも全てをひっくるめて人生です。
 苦しみや悲しみがなければ幸せは輝きを失います。だからどうか生きてください。生きることはとても尊いことです。
 確かに生きるということは尊いことです。それでも生きることの方が辛いことだってある、正論じゃ救われないと思うこともあるでしょう。だから、休憩したって立ち止まったっていいです。それでももし生きてさえいれば何か楽しいことがあるかもしれない、そのくらい楽観的になることも時には大事だと私は思います。それに、何か些細なことがきっかけで人生が変わることだってあります。
 そして、もし誰かがあなたの隣で立ち止まって、進めなくなったとき、その人の一歩前で一緒に立ち止まって、手を差し伸べてあげてほしい。あなたがそんな強さを持てるようになれる事を願っています。
 幸せは与えられるものでも掴むものでもない、気づくものです。そうであって欲しいと私は思う。
 この言葉が手紙を読んだあなたの未来に寄り添えますように。

未来のあなたより」

 不思議な手紙だった。未来の自分から届いた手紙。この手紙を書いたのが本当に未来の自分なのかはわからない。それでも、この手紙の中にある言葉の温もりがもう一度私に前も向く勇気をくれたことだけは確かだった。
 目が覚めたらもう一度彼に謝ろう。そして、彼と共に生きていこう。苦しみに塗れた世界だけれど、そこにある倖せに気づけるように。
 私はもう一度瞳を閉じた。

 観客の視線を、熱を、全身で感じる。何も見えないけれど鍵盤の位置だけは手に取るようにわかる。私のすぐ近くで倖一は歌っていた。彼の歌声はとても優しく、調子は温かで、聞いているとあたかもそっと柔らかに抱かれるような心持ちがする。彼の歌声に観客は心を震わせた。

 日本中が彗星のごとく現れた一人のシンガーソングライター、林倖一の話題で持ち切りだった。特に彼のデビュー曲である「雪とアザレア」は歴史的な大ヒットを記録した。彼は後にインタビューでデビュー曲についてこう語った。
「この曲は本当は僕の曲ではありません。母の形見であるカセットテープに録音されていた曲でした。僕はこの曲と共に育ち、生きてきました。名前のない曲でしたから、曲名は自分で考えました。未発表の曲でしたが、この曲の素晴らしさを多くの人に感じてほしい、そう思い自分の曲として発表することに決めました。この曲を聞いていると自然と前向きな気持ちになれるのです。」
 
 私は高校卒業と共に彼と音楽活動を始めることを決めた。活動を始めて間もない内から私たちの音楽は注目を集め始め、数年で日本中にファンがいるほどにまで成長した。

 ツアー公演最終日、片付けの終わった控室で二人きりになるタイミングがあった。今日までとても忙しくしていたために落ち着いて話すのは久しぶりだった。
 「お疲れ様。相変わらず最高のピアノだったよ。」
 「倖一君もお疲れ様。倖一君こそ今日はいつにもまして声の調子が良かったんじゃない?」
 2人で冗談を言い合う時間も私にとってかけがえのない時間だ。
 「あの日さ、病室で話した日、約束したよね。二人で生きていこうって。僕はちゃんと唯の支えになれているかな。僕はずっと唯に支えられてばかりだよ。」
 「それは私も同じ。倖一君がいなかったら今の私はどうなっていたか不安で仕方がない。」
 「僕の歌は唯のピアノがあって初めて完成するんだよ。唯がいてくれたから僕らの曲をみんなに聴いてもらえてる。そして今こうしてステージに立つことができている。僕一人じゃ見られなかった景色だ。唯が見せてくれた景色だよ。本当にありがとう。」
 彼はそう言って笑った。その笑い声も、息遣いも、見えない笑顔も、そのどれもが私には愛おしく思えた。







第4章 雪山のミストレスは幸せを綴るか

 壁や天井は木製の重厚な部屋の造り。部屋に響き渡るオーケストラの音楽が心地よい。「花のワルツ」。8分の3拍子に合わせて舞うバレエを思い浮かべる。そんなひと時が私の日々の楽しみの一つだった。父にはたくさんの場所に連れて行ってもらった。海外にも、演奏会にも、当時は珍しかった映画にも。本当に多くの経験をさせてもらった。毎週末父がよく通っていた喫茶店について行くのも私の楽しみの一つだった。私が通っていた私立の中学では友達にも恵まれた。毎週のように私の家に友達を招待しては、家政婦さんが作る洋菓子を食べながら談笑して楽しいひと時を過ごしていた。
 私の子供の頃の思い出に母親はいない。相当な難産だったらしく、私を産んだときに他界してしまったと聞いた。父の悲しみは計り知れないが、それでもいつも明るく私の傍にいてくれたことには感謝してもしきれない。

 14歳の冬、私立の中高一貫であるため高校受験はないが、いつもと同じように学校で勉強に励む日々。ある日の昼休みの時間に突然の校内放送で私は職員室に呼び出された。不思議に思いつつ職員室に向かうと担任に「父が迎えにきている」と告げられた。
 急いで荷物をまとめて駐車場に向かう。父は切羽詰まった様子だった。自ずと緊張が走る。急いで車を走らせ家に帰る。緊迫感漂う声で父は私に告げた。父の事業が失敗し、今日中に父の実家に帰ると。
 所謂夜逃げであった。私は突如として築き上げた交友関係も、毎日の楽しみだった音楽を聴く趣味も何もかもを取り上げられてしまった。それと同時に自身の無力さに打ちひしがれた。そうして私の中学時代は幕を下ろした。

 父の実家に移ってすぐに地元の中学への転校手続きを済ませたが、結局ほとんど通うことはなかった。
 高校は近くの公立高校に進学した。高校に入学してからは友達と呼べる人も数人できたが。誰かと親しくなる喜びがそれを失う恐怖を上回ることはなく、自然と深い人間関係を築くことを避けていた。父はすぐに仕事を見つけ働き始めたが、以前までとは異なり、過酷な肉体労働故に日に日に憔悴していく様子を見ていられなかった。
 父の実家は祖母が一人で暮らしていた。母がいなかった私に昔からとても優しくしてくれた人だ。しかしその祖母も心労が祟ったのか高校入学と同時に癌を発症し、一年足らずで亡くなってしまった。生まれて初めて直面した身近な人の死に涙が止まらなかった。
 祖母との死別の悲しみを紛らわせるように、高校では勉強に打ち込んだ。その甲斐あって成績はそれなりに良かったため教師には大学進学を勧められたが、当時の女性の大学進学率は低かったことと、早く父に楽をさせてやりたい気持ちで、私は就職する気でいた。しかし父の強い希望もあり大学進学することに決め、奨学金を借りて県外にある国立大学に進学した。

 自分の気持ちとは裏腹に始まった大学生活だったが、始まってみれば案外楽しいものであった。質素ではあるが自由に時間を使える一人暮らしと、好きなことを学べる環境はとても心地よいと思えた。しかし楽しい時間はいつまでも続くわけではなかった。大学に入学して一年ほど経った頃、父が過労で倒れたと父の職場から連絡があった。私に少しでも良い暮らしをさせるためにそれまでよりも働き詰めだったと後から聞いた。その後も父の意識が回復することは無く、数週間後に亡くなってしまった。あまりの絶望に涙も出なかった。授業に出席することもなく、ただ茫然とした日々を過ごした。中学3年から続く不幸の連続で自己嫌悪に陥り自分を呪った。そんな絶望の淵から救ってくれたのは、大学一年で人生で初めてできた恋人だった。父の死という現実に打ちのめされ自暴自棄になりかけていた私を救い出してくれた。弱みにつけ込むわけではない彼の純粋な優しさに惹かれた。彼のおかげで少しずつ立ち直り、また毎日が楽しく思えるようになってきた。今まで憂鬱な気分で恋愛とは無縁な青春時代を過ごしてきたが故に初めて感じる恋のときめきに毎日が少しだけ華やいで見えた。高鳴る胸の鼓動さえも幸せに感じた。
 彼とは一緒に色んな所へ行った。映画やクラシックの演奏会、テーマパークにも行った。時折、父との思い出が蘇り、切ない気持ちになってしまうこともあったが、その度に彼はいつも私の手をそっと握ってくれた。彼と共に過ごす時間が全て私にとっての宝物だった。私はこの宝物をずっと大切にしていこうと心の中で決めた。その幸せを噛みしめていられる時間がどれほど恵まれているかを私は知っていたから。
 彼との交際を始めて2年ほどが経った。私は就活に明け暮れていた。色んな企業について調べ、様々な業種の人と話している内に、社会は様々な人が支えあって成り立っているのだということを改めて実感し少し感動をしたことを覚えている。彼の実家が大きな企業を経営していて、彼がその会社を継ぐ予定であるということはその時期に初めて知ったことだった。
 私は無事に第一志望の企業に内定を貰え、卒業を目前に控えていた時、彼から話があると呼び出された。ひどい胸騒ぎがした。
 彼の話の内容は、端的に言えば、別れてほしいということだった。彼は、大学を卒業したら両親が決めた相手と結婚しなければならない、できないなら会社は継がせられない、と両親に言われたと私に告げた。彼自身の気持ちは私とこれからもやっていきたいという気持ちに嘘はないけれど、親の会社を継いでより社会に貢献できる人になりたい、ということだった。私は知っていた。2年間彼の一番近くで彼を見てきた私だから、彼がずっと資格や大学の勉強に打ち込んできたことを知っていた。今ならばその努力も会社を継ぐためだったのだろうとわかる。そんな彼の未来を私が邪魔することはできるはずがなかった。私は自分の苦しさも悔しさも全部飲み込んで彼に別れを告げた。彼は終始私より悲しそうな顔をしていた。

 彼との子供を妊娠していると気が付いたのは別れた直後のことだった。
 突如として突きつけられた現実に眩暈がした。もちろんすぐに彼にも伝え、2人で会って話すことになった。彼の返事は、もし産んだとしても金銭的な援助はできるが父親としての務めは果たせない、ということだった。予想していた通りの返事だった。いや、彼にはそう答えるしか選択肢がないことはわかっていた。だから私は答えた。「産まない。」と。彼は一言「わかった。」と告げて医療費として30万を渡してきた。そのときの彼の悔しそうで、今にも泣きそうな表情は今も頭から離れない。私は静かにそのお金を受け取った。これで良かったと自分に言い聞かせて。

 彼と子どものことについて話し合った数日後、私は内定を貰っていた企業への就職を辞退した。それから彼から貰ったお金と父の生命保険金を使って子供との新生活の環境を整えた。
 あの日、彼と別れた後、私は数日間寝られないほどに悩んだ。自分の子供という「命の重たさ」について。
 私は彼には告げず、一人で産む決心をした。お金は暫くの間は父の遺産でなんとかなる。それでも奨学金の返済をしながら一人で子供を育てることの苦労は計り知れない。それでも産む決心ができたのは、もう私にとって大切な命を失いたくなかったから。私にとって大切なものは、私自身で見つけて守っていかなければならないと気付いていたから。

 産声が聞こえると同時にすさまじい疲労感と安堵感に襲われ、気を失いそうになったことを覚えている。生まれたのは元気な男の子だった。この子には誰よりも幸せに溢れた人生を生きて欲しい、周りにいる人たちと幸せを育みながら生きて欲しいという願いを込めて「倖一」と名付けた。

 倖一との暮らしは大変ながらも楽しい日々だった。新居の隣人の主婦の方が積極的に育児を手伝ってくれたおかげで無事就職先も見つかり、新しい生活のスタートを切ることができた。1人で子どもを育てながら奨学金の返済もしなければならず、決して余裕のある生活では無かったが平凡な幸せを噛みしめて生活することができていた。
 倖一が通う保育園までの道のりで遠回りをすれば海岸沿いを走る道があった。倖一はその道が大好きだった。毎日、保育園からの帰りは車でその道を通り、目前に広がる海を見ては家に帰ってからその景色の絵を描く。倖一がクレヨンで描いた絵は全部大切に保管していった。それが私たち2人の日課だった。

 すくすくと健康に成長した倖一が4歳の頃だった。倖一の通っている保育園でクリスマス会があった。その日は数年ぶりのホワイトクリスマスだった。そのクリスマス会で私は一人のミュージシャンと出会った。彼はクリスマス会にエキストラで呼ばれた人の1人だった。彼の歌声はとても優しく、胸のすく気持ちにさせてくれた。最後に歌った彼のオリジナルソングのゆっくりとしたメロディーに乗せて歌う彼の歌声に、歌詞に、私は心を打たれた。今までの私の辛く苦しかった人生にそっと寄り添い、肯定されたような気持ちになれた。私は気付けば演奏終わりの彼に声をかけていた。彼に感動した思いの丈をぶつけた。彼は少し照れくさそうに笑いながら曲を録音したカセットテープを渡す約束をしてくれた。

 クリスマス会の日から始まった彼との交流は長く続いた。彼はとても素直な人でいつも楽しそうに音楽の話をする姿が印象的だった。私が子供の頃聴いていたオーケストラの音楽についても詳しく、久しぶりに音楽の話題で盛り上がることができたことはとても嬉しかった。
 別の日には、彼が倖一にギターを教えてあげたことがあった。その日を境に倖一は音楽に夢中になった。今まで絵を描くこと以外で何かに夢中になったことのなかった倖一が楽しそうに彼の曲を聞いている姿を見て、息子の成長を感じ、少し涙ぐんでしまったこともあった。
 彼との距離は日を追うごとに近くなっていった。そして少しずつ彼に惹かれていく自分に気付いていた。それでもこれより関係が進むことが怖かった。幸せが崩れていってしまうことが何より恐ろしかった。いつか必ず訪れる最後の日への恐怖が私から踏み出す勇気を奪っていった。2人の距離が近くなればなるほど私の恐怖心は大きくなり、次第に精神的な疲れへと変わっていった。それ故に一度彼の告白も断ってしまったこともあった。彼は、私たちが出会ってから一年経ったクリスマスの日に、彼自身の想いを私に伝えてくれた。彼は、3人で必ず幸せになれると言ってくれた。私もそうだと思った。彼とならこれからの人生を3人で乗り越えていけるのだろうと思えた。それでも私の中できちんと過去のトラウマを乗り越え、決意が固まるまでは彼に対して不誠実だと思った。だから一度お断りをした。それが2人で会う最後の日となるとも知らずに。

 彼の告白を断ってから彼の仕事が繁忙期を迎えたことと、少しの気まずさ故に暫く会えない日々を過ごしていた。そうして迎えた二月初頭のある日、急激に冷え込み、酷く空気が乾燥した日だった。久しぶりに降る雪が印象的だった。帰宅してから部屋の掃除をして保育園へ倖一を迎えに行こうと玄関から出た途端、焦げ臭く不快な匂いが家の中に流れ込んできた。同時に遠くから消防車のサイレンが聞こえる。胸騒ぎがして保育園の方角を見る。立ち上る黒煙の元は保育園だとすぐにわかった。この時間帯の道路はいつも混雑している上に消防車と救急車の往来で渋滞が発生していた。車を使う余裕はない。私は保育園に向かって走り出した。体力の衰えを感じながら必死に走った。半分ほどを過ぎたところで交差点に差しかかった。そこには信号待ちをしている数人の子供と職員の姿があった。遠くから聞こえるサイレンの音に反応した職員が子どもたちから目を離すと同時に一人の女の子が落としたボールを追いかけて赤信号の横断歩道に飛び出した。私の身体は反射的に動いた。けたたましく鳴り響くブレーキ音をとてもうるさく感じたことを覚えている。

 
 目を覚ますと見知らぬお店のカウンターに座っていた。喫茶店のような造りをしている。昔父と通っていた喫茶店によく似ていた。窓の外は猛吹雪だったが、窓際には私の大好きなアザレアの花が生けてあった。周りを見渡すと私の思い出の数々が目に入る。子供の頃、父と見に行った舞台や映画のポスター、レコードまで飾ってあった。特にチャップリンの「街の灯」のポスターは大きく飾ってあった。「街の灯」は私が大好きな作品だった。ハッピーエンドかそうでないかという議論をよく父としていたことを思い出す。そして一番豪華な額縁に飾られているのは倖一が描いた海の絵だった。私と倖一の思い出の風景。5歳の子どもがクレヨンで描いた絵だ。お世辞にも上手とは言えないが、私にとってどの絵より輝いて見えた。
 涙で視界が滲んでいたせいで、目の前に3つの便箋があることに気が付くことに遅れてしまった。その便箋には宛名も差出人もかかれていなかった。それどころか中身まで白紙だった。「そうか、これは私が書くための便箋だ」、直感的にそう思った。
 便箋の隣に置かれていた鉛筆を手に取る。誰に宛てて書くべきかを考えているうちに少しずつ冷静さを取り戻してきた。きっと私は保育園までの道中で、あの女の子を助けるために車に轢かれてしまったのだろうと思う。この喫茶店が現実でないことは容易にわかるが、ここがどこで、今がいつなのかはわからない。私は死んでしまったのだろうか。もしそうなら1人になってしまう息子が心配で仕方がない。それに、私が書いた手紙は相手に届くのだろうか。正しいことは何もわからないけれど、最後に私の言葉を誰かに届けられるのなら、私には私の想いを伝えたい人がいる。

 1枚目の便箋は私と倖一との3人の幸せな未来を築こうとしてくれた人へ。2枚目は、苦しみの中で救いを求めていた昔の私へ。そして、3枚目は。
 突然、低く鈍い音が部屋の中に響いて、私の意識は便箋から引き離された。音は入口の扉の方から聞こえた。ゆっくりと近づき、恐る恐る扉を開ける。そこには頭から血を流して倒れている男の子がいた。一目見てすぐにわかった。成長しているが見覚えのある顔。愛おしくて仕方のない私の息子。
「倖一。」
 もう会えないと、もう息子の温もりを感じることはできないと思っていた。また溢れそうになる涙を必死に堪えながら私は息子を抱いて喫茶店の中に運び、傷の手当てを始めた。








第5章 花売りの少女は幸せに生きるか

 いつからか深い谷底に一人で座っていた。眼前の暗闇が恐ろしくて仕方がなかった。そこに差し込んできた一筋の光は、一人の少女のピアノの旋律だった。
「ピアノ、上手だね。奇麗な音。」
 それが僕らの始まりだった。

 高校を卒業して音楽で生きていくことを決意して上京してからというもの、一度も園には帰っていなかった。もう5年ほどになるだろうか。緑光園、僕が育った場所だ。
 助手席に乗せている最愛の人と雑談をしながら車を走らせる。改めて2人で昔話をすることは新鮮に感じた。僕が園に来たばかりの頃、唯が当時の彼女と同じように友達がいなかった僕にシンパシーを感じていたことはその時に初めて聞いたことで、意外な事実に笑ってしまった。目的地まであと少しのところまで来た頃、日は真上に昇り、腕時計の針は12時を回っていた。空腹を感じながら車を走らせていると道端にパン屋を見つけ、そこで昼食をとることにした。駐車場に駐車し、唯を乗せるための車いすを準備する。唯を乗せてパン屋に入ろうとしたが、扉の前にある階段に阻まれてしまった。どうしようかと考えていると、店から一人の女性が出てきて、車いすを持ち上げる手伝いをしてくれた。白髪ではあるものの元気そうで、優しい声が印象的な女性だった。
「ありがとうございます。」
「いいえ。気にしないでください。改めて、いらっしゃいませ。うちのパンはどれも美味しいものばかりですよ。」
女性は今の店主の母親だと名乗っていた。店の中は香ばしいパンとバターの香りが漂い、温かい雰囲気を作り出していた。唯と話しながらどのパンを食べるかを考えながらゆっくりと歩く。メロンパンを手に取ったところで店内のBGMが切り替わり、流れ始めたのは僕らのデビュー曲だった。気恥ずかしさを感じながら、レジに立っている先程助けて頂いた女性に声をかける。
「この曲お好きなんですか?」
「ええ、とても。」
女性はただ一言そう答えた。店内を見渡すと、お店の一角にギターが飾られていることに気づいた。劣化具合から長い間使われていないように思われたが、もしかすると家族の誰かが昔は音楽に携わっていたのかもしれないと思い、少しの親近感を覚えた。

 店を後にし、車内を汚さないようにパンを食べながら車を走らせていると、車内のラジオから高校野球のインタビュー音声が流れてきた。インタビューされている少年は甲子園で大活躍中の期待の新星と紹介されていた。出身地が自分たちと同じだったことに驚きを覚えつつ耳を傾ける。少年は自分の夢について語っていた。
「僕は昔から身体を動かすことが好きでした。特に野球が大好きで、毎日のように一人で外でボールを投げて遊んでいました。しかしある日、事故に遭いました。僕はボールの動きに夢中になって道に飛び出し、車に轢かれそうになりました。しかし、すんでのところで見ず知らずの方に救われ、僕は助かりました。その日の記憶は曖昧で、助けてくれた方のことについて僕はよく知りませんが、こうして僕がスポーツの分野で社会に貢献し、次の世代の誰かに夢を与えられるように努力することで、自己満足かもしれないですが、少しでも恩返しすることができたらいいなと思っています。」そう語っていた。話し終えたタイミングで赤信号に差し掛かり、停車した。ちらりと横を見る。唯は優しく微笑みながら口を開いた。
「私たちは今23歳で、まだまだ若い方だと思っていたけれど、私たちよりさらに若い人たちがもう誰かに夢を与えられるような立派な人に成長してる。私たちももっと多くの人に素敵な音楽を届けられるように努力しなきゃだね。」
僕は優しく「そうだね。」と頷いた。

 目的地近くの駐車場からは歩いて向かうことにした。車いすをゆっくりと押しながら歩く。本当は高校への通学に使っていた電車に乗って帰ろうかと思っていが、車いすの人を連れていることと、ミュージシャンとして顔が広く知れてしまっていることから断念した。音楽を通じて有名になる事を夢に描いてはいたけれど、有名になると行動が制限されてしまうことは厄介なことだなと思う。そういった理由もあり、園の近くまでは車で向かい、途中からは歩いて行くことにした。過ぎ行く景色に思いを馳せる。

 僕が緑光園に来たのは5歳の頃だった。保育園で火事に巻き込まれた僕は数日間意識を取り戻さなかった。意識が戻ってからも一酸化炭素中毒に陥っていたことが原因で記憶障害が残った。それ故に園に来るより前のことはあまり覚えていない。園に来るまでは母と2人で暮らしていた、と昔園長に聞いたことがある。母の顔もぼんやりとしか思い出せない。父親はどうしていたのだろうか、それに母はどうして亡くなってしまったのだろうか。それもわからない。それでも今も肌身離さず持っているこの母の形見のカセットテープに収録されている音楽は忘れていなかった。この音楽だけが僕と母の唯一の繋がりだった。
    僕はこの音楽でミュージシャンとしてデビューし、有名になった。誰かが僕に残してくれたこの曲で、僕の人生は変わった。天国にいる母にも僕の歌声が届いていて欲しいと思う。

 園の姿が次第にくっきりと見え始める。
「唯、もう着くよ。」
「すぐだったね。」
5年ぶりに入る建物はほとんど変わっていなかった。職員にはあらかじめ訪問する旨と時間を伝えていたため、すぐに園長が出迎えてくれた。すでに60歳を超えているはずだが、5年前と変わらず元気そうな姿を見て安心する。
「お久しぶりです。お元気そうで何よりです。」
「ええ、お久しぶりですね。お二人とも元気そうですね。会わないうちにすっかり人気者になってしまったようですが。」
園長は笑いながら続けた
「遠くからよく帰ってきてくれたね。この辺りは泊まる場所も無いでしょう。部屋は準備しておきましたから、今日は泊まっていきなさい。」
園長の言葉に甘えて今夜は園に宿泊することにした。

その日の夜は3人で昔話に花を咲かせた。
「まさか君たちとこうしてお酒を飲みながら談笑する日が来るとはね。感慨深いよ。」
園長の言葉に唯が応える。
「本当に楽しいですね。」
「唯さんは昔から優しい子でしたね。視力を失ってしまったと聞いたときは本当に胸が張り裂ける思いでした。」
「私は倖一君のおかげで立ち直ることができました。私の生きる道を、2人で目指す夢を倖一君は示してくれた。それが私にとって何よりの救いでした。そして、今、私のお腹の中には新しい命が宿っています。」
唯の言葉を聞いて泣き始めた園長につられて、僕も思わず泣いてしまった。

 ベッドの上に寝転がりながら先刻園長と交わした会話を回顧する。初めて聞いた話もいくつかあった。園長の話によると、僕の母は火事があった日に僕を保育園まで迎えに来る途中で事故に遭い亡くなったそうだ。その後の手続きの多くを済ませ、身寄りのなかった僕を緑光園に預けてくれたのは実業家を名乗る男性だったらしい。園長もその男性についてはよく知らないと言っていた。その男性は僕の緑光園への入園手続きまで済ませた後に、保育園の再建の金銭的な援助までしていたと聞いた。誰かは知らないけれど感謝の念に堪えない。本当に僕は多くの人に助けられて生きてきたのだと実感する。母、唯、園長先生、「雪とアザレア」の作曲者、実業家の男性、そして薫さん。

 考え事に夢中になっていると部屋をノックする音が聞こえた。扉を開けると園長が立っていた。園長は少し申し訳なさそうな顔をしながら話し始めた。
「夜分遅くにすみません。実は先程倖一君に伝えていなかったことがあります。あなたたちがこちらに来るということをきっかけに、改めて園の大掃除をすることにしたのですが、倉庫を掃除しているときに、あなたのお母さんのもう一つの遺品を見つけました。ずっと倉庫にあり、あなたに渡せていなかったようです。本当に申し訳なく思っています。」
「先生、そんなに謝らないでください。むしろ見つけて頂いて嬉しい限りですよ。」
内心とても驚いていたが冷静さを装いながら返事をした。園長が僕に渡してきたのは小さな段ボール箱だった。改めて母の遺品は少なすぎるように感じる。それだけ生活が苦しかったのだろうか。それでも僕は不自由なく暮らしていたように思う。今まで以上に母への感謝の気持ちが大きくなった。
 園長に借りたカッターナイフで箱を開けた。中にはカメラと、3冊のアルバムと、僕が昔描いたと思われる沢山の絵が入っていた。僕が園に来たのは5歳のときであるから、5年でアルバムが3冊埋まるほど写真を撮っていたということだろう。その事実からも母の愛情の深さを感じ取れる。当時のカメラの価値はわからないが決して気軽に買えるような物でもなかったと思う。ましてや母子家庭だったのだから尚更だ。しかし、全てが僕の写真で埋まっている3冊のアルバムはただそこに存在し、母の存在と、僕が享受していたであろう深い愛情を毅然として証明していた。
 時間も忘れてゆっくりとページをめくり続けた。1ページ、1ページを噛みしめるようにめくっていった。僕の寝顔の写真や、初めて立った日の写真。初めて母を呼んだ日の写真まで、母の手書きのコメントと共に収められていた。気が付けば最後のページに差し掛かっていた。最後の1ページをめくる。そこには産まれたばかりの僕を抱きかかえながら笑っている母の写真が収められていた。自然と頬を伝う涙と共に、過去の記憶が蘇る。思い出の中で僕の描いた絵を見て笑う母の顔と、喫茶店で優しく微笑む薫さんの顔。僕は決して母の顔を忘れてなどいなかった。

僕は自分の人生という名のアルバムをめくり、あの日の記憶を辿り始めた。

 長らくの間、音楽活動で忙しくしていたため、薫さんのことを思い出すのは久しぶりな気がする。最後に薫さんのことを考えたのは、失明した唯と病室で2人で話した日だったように思う。唯と2人で生きていこうと決めた日の夜、もう一度薫さんに会いたいと思った。僕に生きていく上で大切にすべきことを教えてくれたときのように、唯がもう一度前を向いて、僕と2人で生きていくために僕にできることを聞きたいと思った。しかし、結局その日の夜は薫さんと会うことはできなかった。それでも、次の日に病院に唯のお見舞いに行ったとき、「素敵な喫茶店にいる夢を見た。」と少しだけ元気を取り戻し楽しそうに話す唯の姿を見て嬉しく思ったことを覚えている。

 病院での記憶と共に幼き日々の記憶も手繰り寄せる。薫さんと初めて会った日のことを思い出す。園でピクニックをした日のこと。あの日、僕は集団から抜け出し、山で絵を描くことに夢中になっていた。どうして僕が山から見たあの景色に心を奪われたのかは今でもはっきりとしないが、きっと母と過ごしたであろう街並みに、そしてその街の奥に臨む海の風景に、母の面影を求め、追いかけていたのだろうと思う。そしてその後、雪山で遭難し、意識を失った僕は薫と名乗る女性と不思議な喫茶店で出会った。彼女は僕に生きていく上で大事にすべき事を教えてくれた。
「自分にとって大切なものはちゃんと自分自身で決めて大切にしていってね。」
僕にとってはこの言葉が大切な宝物だった。薫さんの言葉があったから僕も、唯も立ち直ることができた。絶望の淵に立たされて立ち上がることができないときでも、無理しなくてもいい、ただ自分を大切にしてほしい、そう言って寄り添ってくれているように感じることができた。

 不意にあの日の会話を思い出す。

「また会える?」
「君がそれを強く望むなら。ここはそういう場所だから。」

 もし、もう一度薫さんに会えたなら、僕は一言お礼が言いたい。
 夜も更けていたからだろうか、急激に襲い来る睡魔に導かれるように瞼を閉じた。あの雪山の喫茶店で過ごした日々を振り返りながら。

 目を開けると見覚えのある喫茶店にいた。建物から家具までが木製で統一されており、温もりを感じる部屋に微かに漂うコーヒーの香り。壁一面に貼られたたくさんのポスターや絵画。そして窓の近くに生けてある白色の花。窓から覗く外の景色は真っ白で、強く吹雪いているところまで全てがあの日のままだった。けれど、お店には僕以外に誰もいなかった。
「こんなに狭かったんだ。」
 7歳だった頃の僕にはとても広く感じていた部屋も今では狭く感じる。自分の十数年の成長をこんな形で実感するとは思っていなかった。
 カウンターの上に置かれている便箋をそっと手に取る。破いてしまわないように丁寧に開けていく。便箋を持つ手は少し震えていた。


「林 倖一へ

この手紙を読んでいるあなたは幸せですか。

あなたは今何歳になったのでしょう。あなたが無事に成人を迎えられていたなら、お母さんは嬉しい限りです。
お母さんはあなたに何かを残してあげられたでしょうか。あなたを一人にしてしまうことをどうか許してください。

お母さんには産まれた時から母がいませんでした。大学生になってすぐに父も他界しました。とても辛く、悲しい思いをしました。あなたには絶対にこんな思いはさせないと誓ったけれど、どうやらそれも無理なようです。私の人生は苦しいことばかりでした。家族のいないあなたのこれまでの人生もきっとそうだったでしょう。

生きることをやめたくなるほど絶望した日もありました。けれど、もしも私の人生にこの大きな苦しみが無かったら、綺麗な物や景色を見られること、誰かの優しい言葉を聞けること、美味しい食べ物を味わえること、誰かと話す喜びや人のぬくもりを感じられることが、どれだけ尊いことかを知らないまま生きてきたと思います。

私を苦しみの中から救い出してくれた人のおかげで、私は人の心の温かさやありがたさに気付きました。そして苦しみや悲しみも、あなたが産まれきてくれた大きな幸せの中にあるのだと気づくことができました。お母さんはそれだけあなたを愛していました。直接伝えることはできなかったけれど、今、こうしてあなたに伝えることができているなら、とても嬉しく思います。

私にとって一番の幸せはあなたが幸せに生きてくれること。
産まれてきてくれてありがとう。
私の息子でいてくれてありがとう。

林 薫より」

薫さん。いや、お母さん。あの日、僕に聞いてくれたよね。「チャップリンの『街の灯』の最後はハッピーエンドだと思うか」って。大人になってから見てみたんだよ。その映画。でもやっぱり僕にはまだ少し難しかったみたいだ。自分なりの答えは見つけられなかったよ。でも1つだけ思ったことがあるんだ。「幸せのあり方は人によって違う」ということ。幸せってきっと、そこにあることに気付くことだと思えたんだ。けれど幸せに気付くことには苦しみが付き纏い、もう一度前を向くための勇気と力が必要なときもある。だから僕はこれからも唄い続けるよ。誰かの苦しみに寄り添えるように、誰かがもう一度立ち上がろうとするときに背中を押してあげられるように。その大切さは他でもない、お母さんが教えてくれたことだから。

 便箋を机の上に置き、ゆっくりと立ち上がる。きっともうここに来ることはないだろう。僕はもう一人でも自分で見つけた幸せを大切に守って生きていけるから。

 入口の扉に向かって歩き始める。
 お母さん、僕を産んでくれてありがとう。そして、さようなら。僕は今、幸せに生きています。

 扉を開けると、外からは春の訪れを告げるような、明るく暖かな日の光が差し込んでくる。雪はもう降っていなかった。


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