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108、母

今日、母に手紙を書くとつぶやいたのだが、別に今、つらい状況にいるわけではない。母の特別な日でもない。
母への手紙は、もう、800字詰め原稿用紙、十二枚になった。

一つの短編が出来上がる量だ。

母のために介護をしたと、ここで胸を張って言っているが、最大の失敗をおかしている。

それは、母が息を引き取るとき、ぼくは、母のそばにいなかったことだ。

コロナが邪魔して、会いたいとき、病院にいる母に会いにいけなかった。

そんなもんさえなければ、ぼくは、毎日、朝から、晩まで、母のそばにいたと思う。ちょうど、仕事もしていなかったし、家でうじうじ、悩んでいただけなのだ。

病院にも、毎日、電話をかけた。

もう、母は、電話で話せない状態だった。看護師さんに、電話の向こうで、「お母さん、お変わりありませんよ」、と言われるだけだった。

兄弟に、電話をすることをとめられた。もう、状態、わかってるんだし、そんなカッコの悪いことをするな、と注意された。

でも、母の情報を少しでもいいから、知りたかった。リモート面会は、週に一回、十五分である。

鼻に管をつながれた母に別室から、機械に向かって話しかけても、返事は返ってこない。母の友だちの話をした。お母さんは、一体どうしたの?あの人、会いたがってるよ!と母に話しかけても、「どちらさんですか?」。もう、友だちの名も思いだせないように、口をポカーンとあけて、そう言う。

あの、お母さんの変わりよう。

そして、あまり電話をかけるな、と注意されていて、電話をかけなかった日、向こうから、電話があった。

林さんの様態が急変されました!急いで、病院へ来てください!

病院に着いたころ、もう、母は、息を引き取っていた。亡きがらの、太ももに抱きついて、「お母さーん、お母さーん」と泣きじゃくった。それは、途中で、「ごめんな、お母さん、ごめんな、お母さん」に変わっていた。兄は、冷静に椅子に座り、スマホをいじっていた。

とにかく、母にかけることばが思いつかず、お母さん、お母さん。姉が病院に着いたころは、ぼくがもう、力をなくしている状態だった。

看護師さんの話によると、母は、亡くなる、その時、自分から、呼吸をやめた、というのだ。一体、母の頭のなかには、何があったんだろう。考えても、考えても、それは、想像にしか終わらない。

母に手紙を書いている。うれしかったこと、腹立ったこと、疑問に思ったこと、すべて、今でも、母に伝えるようにしている。

ぼくは、母への報告は、欠かさない。いつでも、母が話についてこれるように、母にすべて、話すようにしている。

きっと、あっちで、読んでくれているのだ。その手紙を。
せいじ、元気出しや、せいじ、元気出しや、といつも、ぼくのそばで、今こうしてる最中でも、母は、語ってくれているのだ。

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