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175、【小説】二十七歳の恋(後編)

(後編)を読む前に、【小説】二十七歳の恋(前編)|林風(@hayashifu) #note から、お読みくださいね。


どうして?

そのひと言が言えない。その人は誰?いつから知り合いだったの?どんな人なの?聞きたいことは山ほどある。でも、その前に「どうして?」と、それをたずねたかった。

そのひと言を消すかのように、二人は駅のホームへ入っていった。

これからどうしようか?どこへ行けばいいのか?そんなことはわかっている。

ただ家に帰って、いままでと同じように、ご飯を食べて、小説を書いて、仕事へ向かうだけだ。

でも、そんなことよりも、もっと重要なことがある。彼女にどうして?とたずねることだ。でも、彼女はもう、自分の知らない人になってしまった。手の届かないところへ行ってしまった。

さようなら、の言葉の方が、あっているのかもしれない。でも、さようなら、よりも、どうして?と、ひと言、その言葉を問いかけてみたかった。
木材が、背中にどっとおしかかる。外は、二月の寒さで凍えて、吐く息も白い。

「大西。これもお願い」

「はーい」

逆らうことはできない。現場の人間というの人種は、とにかく言葉が悪い。

煌々と照りつける携帯用のだだデカイ電灯がまぶしい。たまに通りすがりの者が、この工事現場を不思議そうに、そして興味深そうにじーっと見ながら通りすぎていく。

木材を次から次へと運ぶ。

その晩は、それの繰り返しだ。ふいに、ひらりと白いものが空から落ちてきた。その数は、次第に増えていく。一瞬にして、あたり一面、ふわふわしたそれで前が見えなくなる。

どおりで、寒いわけだ。

俊一郎はふいに、空を眺めた。暗い中を点々とした情緒的な白い雪が、目の前をまはらに照らす。
「大西ー!空なんか眺めてる場合か!」

誰かの怒鳴り声が聞こえてきた。

俊一郎は返事せず自分の仕事をつづけた。

きつい、という言葉さえも、のどをつかえて口に出せない。言ったところでどうにもならない。誰がそんな戯言聞いてくれるか。みな同じことを考えているのはわかってる。自分一人だけそんなことを言ったところで、この一連の動きはおさまらない。ただ、もくもくと仕事をつづけるしかない。

雪が降ろうと、やりが降ろうと。しかし、そこに一帯感がうまれてくるのも確かだ。

みな、それぞれ思い思いのことは頭にあっても、きつい、というひと言だけは頭の中にある。深夜の工事現場とは、そういうものだ。

いや、もうそれを通り越して、それぞれが、それぞれの仕事に集中することで、それを忘れているようにも思える。ただ確かなものは、作業に集中しなければならない。

それだけだった。
午前四時。その夜の仕事は終了した。このアルバイトをはじめて半年になる。

誰かが、飲み物を買ってきた。白いレジの手さげ袋には、ホットの缶コーヒーでいっぱいだ。

その中から好きなものを選ぶ。雪は、さっきより小さい粒になっていて、やもうとしていた。

「ひかるちゃん、その後、彼氏とどうなったの?」

一人だけ、その中に女性が混じっていた。

現場用のランプをふるアルバイトをしている女子大生だ。当然、いつも注目の的にされていた。

「もう別れましたよー」

むんむんとした男性連中の中に、ひとつだけ黄色い声が混じる。

「でも寂しくなるなー。ひかるちゃん、本当に今日で辞めてしまうの?」

「はい。大学の勉強が忙しくて」

「誰か友達紹介してよー」

「誰もいませんよー。こんな仕事する子なんて」

ひかるがアルバイトを辞めるせいで、本当にみな寂しそうだ。

「そう言えば、大西さんはどうなったんですか?ほら、一人、気になってる女性がいるって言ってたじゃありませんか」

ひかるは、俊一郎に話をふってきた。

「え?大西、そんな女いたの?」

誰かが反応し、注目が集まる。

「だめでしたよ。ふられました。こっぱみじんです」

はははははははは、一瞬にして、笑いにつつまれた。

ひかるが言う。

「大西さん。失恋を忘れる方法は、新しい恋を見つけることですよ」

誰かが野次を入れる。

「なーに、ひかるちゃん、また新しい男、好きになったの?」

「そうですねー。ご想像におまかせします」

「まーたー」

はははははははは、現場はまた笑いにつつまれた。

その晩はそうして終わった。

あれから半年が経った。俊一郎は、失恋のショックで少しやきもきしている。何をやっても手につかない。書きかけの小説もそのままだ。スマホで、ひかるの電話番号を探してみた。あらかじめ電話番号を聞いておいたのだ。かけてみようか迷う。もう、仕事場には、ひかるは来ない。ボタンを押してみた。五回、ベルを鳴らしたところで、留守番サービスとなり、話す事はできない。

「あーっ」誰に聞かすこともない声をあらげ、たたみの上に寝転がった。窓はネオンの光で彩られている。
和歌子に渡そうとしていた小説。『君と結婚できないなんて』。不器用な男が、女性と婚約しているが、結婚できないと言われてしまい、男が散々悩んだ挙げ句、憐れみと同情で、女性に結婚をオーケーされる、俊一郎のオリジナルの話だ。

その女性の名を、和歌子と書き換え、彼女に渡そうとしていた。それは、そのまま机の上に置きっぱなしにしてあった。

本屋さんへ行ってみたくなった。

家にいても、くだらないことをごちゃごちゃと考えてしまうからだ。普段なら自転車で行くのだが、歩いていくことにした。

和歌子のマンションの前を通り、歩いていった本屋に足を踏み入れる。静かだった。

急に和歌子のことを思い出した。頭がくらくらする。さよならも言えてない。大人にもなれてない中途半端な自分がそこにいたからだ。帰りたくなった。

「大西さん?」
自分を呼ぶ声が聞こえた。和歌子だった。俊一郎は戸惑った。もう、会うことなんて二度とないと思っていたからだ。

和歌子が親しげに声をかけてくる。

「会いたかったんですよう。大西さん」

何を今さら。と、怒りがこみ上げてきた。

「ぼ、僕は」

と、言いかけたが次の声が見当たらなかった。

「半年振りですね」

和歌子が言ってきた。

「あの朝、兄と出勤した以来です」

俊一郎は言葉を失った。

「あの朝?するとあの男性は、和歌子さんのお兄さん?」

「はい、兄です。大西さん、何も声をかけてくれなかったから、どうしたのかと」

その瞬間、すべてが氷解した。てっきり、結婚を約束している男性だと思っていたのだ。

「和歌子さん。仕事の方はどうされているのですか?」

「図書館司書ですね。辞めました。あの頃、ちょうど過渡期にさしかかっていて、大西さんに話せないでいたんです。今は、父の会社で事務をやっています」

はじめて明かされた真実。

ずっと、ずっと、気にしてばかりいた謎が、今解けた。

「立ち話もなんです。少し歩きませんか?」

「はい!」
本屋を出て、坂道を下り、線路の前の少しカーブがかっている通りの和歌子のマンションまで歩いて来た。

今しかない。今なら言える。

「和歌子さん。読んでもらいたい小説があるんです。今から僕のアパートへ来ませんか?」

「え?いいんですか?行きます」

和歌子はオーケーしてくれた。

そこに話しかけてきた。

「そう言えば、大西さん。あの朝、どうして私に会いにきたんですか?」

にやにやしながら聞いてくる。

俊一郎は一瞬、戸惑ったが、彼女のにやけた顔を見て

「もう、わかってるくせに」

と言った時、俊一郎のひと言は、走ってくる電車にかき消されたのであった。


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