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私鉄全線踏破の旅1 小湊鉄道
1.国鉄チャレンジ2万キロ時代
①はじめの一歩 小湊鉄道(千葉県・五井―上総中野) 1981年4月1日
国鉄全線踏破をめざし、国鉄チャレンジ2万キロに入会したのは、宮脇俊三氏の著書「時刻表2万キロ」を読んだこと、国鉄赤字路線が廃止されることを知り、ぜひその前に乗車したいと思いからである。私鉄全線踏破をすることは、この時点では考えていなかった。それは大都市圏の私鉄はラッシュアワーで混雑してお
国鉄チャレンジ2万キロ その後3 新幹線踏破
3.新幹線踏破
チャレンジ2万キロの冊子に乗っていた新幹線は、東海道・山陽新幹線だけであった。しかし、私の踏破中にも東北新幹線と上越新幹線が開通し、全線踏破のためには、この2線のも踏破も必要となった。1983年9月に全線踏破完了後、JR線の新設は埼京線、京葉線、東西線等もあるが、ほとんどは新幹線である。現在に至るまでに北海道新幹線、秋田新幹線、山形新幹線、北陸新幹線、九州新幹線が開通した。
国鉄チャレンジ2万キロ その後2 未踏路線を乗車
2.未踏破線 三江線を踏破
私はチャレンジ2万キロの会員となり、1983年9月に国鉄全線踏破を認定された者だが、実を言うと国鉄全線244線区中2線区は乗っていなかった。その2路線とは、赤谷線(赤谷―東赤谷・新潟)と三江線(三次―江津・広島・島根)である。この2路線とも出かけた時に水害で不通となり、乗車できなかった。それでもこの2路線の起点駅、終点駅の証明写真は撮り、認定された。赤谷線は198
チャレンジ2万キロ その後1 日本列島4島つながる
1987年国鉄(日本国有鉄道)がJRに経営が変わった。この変化に伴い、1988年JRの鉄道が瀬戸大橋線(茶屋町―坂出・宇多津・35.6km)、津軽海峡線(中小国―木古内・75km)の開通によって、北海道、本州、四国、九州の4島がつながった。
4島のつながりは、本州と九州は高校生の時、寝台特急「あさかぜ」ですでに確認していた。次に確認したのは、本州と四国だった。1993年8月17日高知県宿毛市
地図で見る高校野球強豪校(後半)
地方・地域ごとの高校野球強豪校
地方、地域ごとの地図に高校野球強豪校を○で分布され、その強豪校の分析をしてみました。
尚、(1)地方・地域の区分け、(2)強豪校の分布方法は次のようにした。
(1)地方・地域の区分け
①北海道 ②東北 ③関東 ④東京・神奈川 ⑤中部 ⑥愛知・岐阜
⑦近畿 ⑧大阪・兵庫 ⑨中国・四国 ⑩九州
(2)強豪校の分布方法
①分布対
地図で見る高校野球強豪校(前半)
地方・地域ごとの高校野球強豪校
地方、地域ごとの地図に高校野球強豪校を○で分布され、その強豪校の分析をしてみました。
尚、(1)地方・地域の区分け、(2)強豪校の分布方法は次のようにした。
(1)地方・地域の区分け
①北海道 ②東北 ③関東 ④東京・神奈川 ⑤中部 ⑥愛知・岐阜
⑦近畿 ⑧大阪・兵庫 ⑨中国・四国 ⑩九州
(2)強豪校の分布方法
①分布対象
国鉄チャレンジ2万キロ 10.国鉄2万キロ終着駅
10.チャレンジ2万キロ終着駅
チャレンジ2万キロ最後の路線になったのは、吾妻線(群馬県)だった。吾妻線は、小学生の時、渋川―長野原(現長野原・草津口)間を乗車したことはあるが、長野原―大前間は未踏破だった。
1983年9月17日今まで一人で行くことがほとんどだったが、この日は連休ということもあり、家族3人で出かけた。車で関越自動車道を北上し、高崎I・Cで降り、渋川で証明写真を撮る。はやる気
国鉄チャレンジ2万キロ 9.カメラとの戦い
9.カメラとの戦い
これまで、「時間」「健康」「暑さ」「寒さ」「雨」「雪」との戦いと続き、なぜ「カメラ」と続くのか、疑問に思われるかもしれない。しかし、チャレンジ2万キロの会員になると、踏破した証拠として、各線の起点、終点、途中地点の駅名と踏破者の証明写真が必要になってくる。よって、証明写真をとるカメラは必需品となる。ところで、「カメラとの戦い」になってしまったのは、カメラのトラブルで何度も泣
国鉄チャレンジ2万キロ 8。雪との戦い
8.雪との戦い
雪との戦いは、1982年2月1日信州踏破2日目の時だった。長野を出発点に篠ノ井線を往復した。聖高原や姥捨山付近はかなりの積雪だった。しかし、列車の運行には支障がなく、再び長野へ戻ってくる。長野から飯山線を踏破するか、小海線を踏破するかと迷っていたが、東京から遠い飯山線を先にした方が、後が楽になると考え、飯山線に乗ることにした。飯山線は豪雪地帯を走る路線だが、長野が小雪程度
高校野球 得意と苦手 「近畿地方」
24三重県 35点 【10点(38) 13点(35) 12点(36)】 37位 D
◎優勝 四日市 三重 ○準優勝 三重
都道府県別対戦成績 10勝27敗7分 対戦なし 3 勝率 .270
☆得意 △互角 ★苦手
・兵庫県A 3勝 ・高知県A 2勝2敗 ・大阪府A 1勝10敗
・徳島県B 2勝2敗 ・茨城県C、山口県C 3敗
最多対戦 ①大阪府
国鉄チャレンジ2万キロ 「雨との戦い」
7.雨との戦い
日本は暑さ寒さも厳しいが、地形も複雑で自然災害も多い。年中どこかで災害が発生している。全線踏破中。地震台風こそ遭遇しなかったものの、大雨大雪には何度か見舞われた。
夏休みを利用して出かけた、1981年北海道、1982年九州、1983年山陰といずれも豪雨に襲われた。それぞれ北海道豪雨、長崎水害、山陰豪雨で、長崎と山陰は豪雨後、鉄道の復旧状況をみて踏破に出かけた。消毒の臭いに充
国鉄チャレンジ2万キロ 「寒さとの戦い」
6.寒さとの戦い
寒さとの戦いだが、冬に出かけた地域は首都圏、南紀、北近畿、信州などである。東京発大垣行の夜行列車で信州踏破中、夜明けの豊橋で飯田線を待った1時間。首都圏巡りで小雪が舞う中、川越線から八高線へ乗り継ぐ高麗川ホームでの1時間。今思い出しても背筋が寒々とする踏破であった。しかし、最も応えたのは、忘れもしない1981年2月26日、御殿場線、伊東線踏破だった。
昼過ぎに町田を出
高校野球 得意と苦手 「中部編」
15 山梨県 50点【16点(32) 20点(28) 14点(34)】 32位 D
都道府県別対戦成績 16勝23敗5分 対戦なし 3 勝率 .410
☆得意 △互角 ★苦手
・鳥取県D 4勝 ・熊本県C 2勝2敗 ・大阪府A 3勝8敗
・和歌山県A 3勝1敗 ・兵庫県A 5勝5敗 ・広島県A 1勝3敗
・島根県A 3
国鉄チャレンジ2万キロ 5.暑さとの戦い
5.暑さとの戦い
「雨ニモマケズ 風ニモマケズ 夏ノ暑サニモ 冬ノ寒サニモマケズ・・・ソウユウ人ニ私ハナリタイ」宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の詩である。まさしく国鉄踏破のチャレンジャーたちは、列車が運行している限り、何ニモマケズ挑戦していく。日本のような南北に細長い島国は、寒暖の差が激しい上に台風、大雨、大雪など、自然災害も多い。そのような自然条件の中で、黙々と踏破していく姿は、宮沢賢治の理想像