国鉄チャレンジ2万キロ 8。雪との戦い
8.雪との戦い
雪との戦いは、1982年2月1日信州踏破2日目の時だった。長野を出発点に篠ノ井線を往復した。聖高原や姥捨山付近はかなりの積雪だった。しかし、列車の運行には支障がなく、再び長野へ戻ってくる。長野から飯山線を踏破するか、小海線を踏破するかと迷っていたが、東京から遠い飯山線を先にした方が、後が楽になると考え、飯山線に乗ることにした。飯山線は豪雪地帯を走る路線だが、長野が小雪程度だったので、飯山方面も運行には支障がないと考えた。
長野から信越本線で北上し豊野で下車、豊野も小雪で、ここから飯山線に乗り換える。飯山線が信濃川沿いを走る頃から雪が激しくなってきた。飯山では吹雪となり、ホームに20cmの積雪があり、ここで列車は10分間遅れ始めた。それでも都会育ちの私は、雪景色を楽しんでいた。 ところが、列車が桑名川に到着した後、完全にストップしてしまった。ホームには50cmの積雪があり、線路では駅員が忙しそうに除雪作業をしていた。列車が一向に動きそうもなかったので、列車から降り、駅前へ出かけた。駅舎はすっぽりと雪に埋もれつららが垂れ、入口が狭くなっていた。駅前の舗装道路は消雪パイプが設置され、チョロチョロ流れる水で雪が溶かされていた。
踏破中によくあるトラブルと思って気楽に構えていたが、列車は全く動く気配がなかった。そのうち、雪を珍しがっていた私も次第に雪に嫌気を持ち始め、30分、1時間と待たされるうちにイライラしてきた。この調子だと、越後川口(上越線)で乗り換える上野行に間に合うのだろうかと不安が募ってきた。地元に人たちは、いつもの出来事らしく悠長に構えていたが、箱の中に監禁されているような苦痛を感じ始めた。
桑名川で待つこと1時間40分、ようやく列車は動き始めた。列車は白一色の豪雪地帯を走り、信濃白鳥、森野宮原を通過した。信濃白鳥では電柱が雪で埋もれ、積雪1mを超えていた。列車は越後川口行だったが、急遽十日町止まりに変更され、十日町で降ろされてしまった。次の越後川口行に乗ってはみたが、間引き運転の影響で混雑していた。
やっとのことで越後川口に着くと、飯山線の事情を知ってか、上野行上越線列車は待っていてくれた。これで、何とか東京に戻れるメドがついた。それにしても、何と雪国の生活は厳しいものかと実感した。
り換える上野行に間に合うのだろうかと不安が募ってきた。地元に人たちは、いつもの出来事らしく悠長に構えていたが、箱の中に監禁されているような苦痛を感じ始めた。
桑名川で待つこと1時間40分、ようやく列車は動き始めた。列車は白一色の豪雪地帯を走り、信濃白鳥、森野宮原を通過した。信濃白鳥では電柱が雪で埋もれ、積雪1mを超えていた。列車は越後川口行だったが、急遽十日町止まりに変更され、十日町で降ろされてしまった。次の越後川口行に乗ってはみたが、間引き運転の影響で混雑していた。
やっとのことで越後川口に着くと、飯山線の事情を知ってか、上野行上越線列車は待っていてくれた。これで、何とか東京に戻れるメドがついた。それにしても、何と雪国の生活は厳しいものかと実感した。
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