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私鉄全線踏破の旅1 小湊鉄道

1.国鉄チャレンジ2万キロ時代
 ①はじめの一歩 小湊鉄道(千葉県・五井―上総中野)   1981年4月1日


国鉄全線踏破をめざし、国鉄チャレンジ2万キロに入会したのは、宮脇俊三氏の著書「時刻表2万キロ」を読んだこと、国鉄赤字路線が廃止されることを知り、ぜひその前に乗車したいと思いからである。私鉄全線踏破をすることは、この時点では考えていなかった。それは大都市圏の私鉄はラッシュアワーで混雑しており、鉄道を楽しむ対象ではなかったからだ。しかし、ローカル私鉄は、国鉄よりも経営が苦しくいつ廃止されてもおかしくない状態だったので、国鉄チャレンジに便乗して、乗車した。国鉄も私鉄も昭和末期のモータリゼーションに押されて、経営が苦しいのは同じだ。

 この日は上表の通りで、国鉄チャレンジで千葉踏破一日目であった。東京から総武本線、内房線で木更津まで行き、ここで久留里線踏破のため、上総亀山へ行く。亀山からはバスで房総半島を横断中に雨が降り出した。安房鴨川に着くと、ここは内房線・外房線の終着駅のため、証明写真を撮る。館山・千倉は以前乗車したことがあり、省いて外房線を北上し、16時23分大原へ着く。ここから木原線(現いすみ鉄道)に乗車。木原線の由来は、大原駅と木更津を結ぶ予定でこの名前となったが、それはかなわなかった。16時37分の列車で上総中野へ向かう。途中車窓から夕暮れの中白亜の大多喜城を見る。17時32分終点上総中野に到着。これから小湊鉄道に乗車するが、小湊鉄道の出発18時11分まで40分間待ち合わせ、小雨の中夕暮れの駅前を散策することにした。駅周辺散策は、趣味のようなもので、景勝地でなくてもその土地の様子が分かるので、楽しみにしている。上総中野駅前には、ロータリーがあり、バスやタクシー乗り場もあったが、バス停を見ると、1日数本の便で、タクシーは1台も止まっていなかった。家屋も疎らで、店舗らしき建物もあったが、夕方で閉店していた。購入できるのは、自動販売機のジュースだけだった。それでもこの風景と小雨夕暮れがマッチしていて、旅の雰囲気に酔いしれた。そして、小湊鉄道出発時刻になり、駅に戻った時、一瞬足が止まった。それは、夕暮れの小雨の中にオレンジ色の裸電

灯に照らされた上総中野駅舎が愛おしく思えたからだ。何と素晴らしい情景だろうか。しばし、感動して眺めていた。ふと我に返り始発の列車に乗車した。車内は空いていて、ボックス席を独占した。

 赤と薄茶のツートンカラーの列車は霧雨の中、五井へ向かった。車窓は暗くほとんど見えなかったので、しばらく揺れる列車の中でウトウト眠っていた。しばらく乗車していると、上総牛久、光風台を通過し、車外の灯りが増えて、周辺が住宅地が多いことを伝えていた。確かにこのあたりは千葉や五井に勤務する者にとって、好条件の場所だ。
 19時21分終点五井に到着。ここで証明写真を撮り、私鉄踏破の第一歩を踏み出した。五井は市原市の中心で、結構店も多く、夕食をとるために改札口を出た。すると、7年前バイトでここに来た時と大いに変わっていた。7年前は、木造の小さな駅舎で、20万都市市原にしてはみすぼらしいと思ったが、今では鉄筋
の建物で、駅前ロータリーも広く、バスやタクシーが停まり、20万都市市原の表玄関にふさわしい駅に変わっていた。


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