見出し画像

国鉄チャレンジ2万キロ 「寒さとの戦い」

    6.寒さとの戦い
 寒さとの戦いだが、冬に出かけた地域は首都圏、南紀、北近畿、信州などである。東京発大垣行の夜行列車で信州踏破中、夜明けの豊橋で飯田線を待った1時間。首都圏巡りで小雪が舞う中、川越線から八高線へ乗り継ぐ高麗川ホームでの1時間。今思い出しても背筋が寒々とする踏破であった。しかし、最も応えたのは、忘れもしない1981年2月26日、御殿場線、伊東線踏破だった。
 昼過ぎに町田を出発し、小田急で新松田へ行く。ここで御殿場線に乗り換え松田から沼津へ向かう。晴天で視界もよく、御殿場付近では富士山が大きく見えた。この日の富士山は4分の3も雪景色をして、例年より寒さの厳しいことを伝えていた。
 沼津で夕方になり、寒さに震えながら証明写真を撮る。沼津から東海道本線に乗り、長い丹那トンネルを抜け、熱海へ行く。ここから伊東線に乗り換え伊東を目指すのだが、風光明媚な海岸線は闇夜に包まれ、点在する光しか見られなかった。
 30分も乗ると、伊東に到着。常春の温泉地伊東も寒風が吹き荒れ、大半の店は閉まり、いつものようすと違っていた。伊東をUターンして再び熱海へ行き、東海道本線で国府津へ行く。国府津で御殿場線に乗り換えるのだが、30分ホームで待つこととなった。午後8時を過ぎると、寒さも一入で寒いこと寒いこと、軽装が身に応え底冷えしてしまった。実は伊東方面は暖かいという印象があり、ポロシャツにカーデガンという軽装で出かけてしまった。おまけに後になって分かったことだが、なんとこの日は日本列島が寒波にすっぽり覆われ、厳しい寒さを記録していた。 意外な例として、夏の九州踏破中の夜行列車「日南」の車中も寒かった。何しろ冷房が効き過ぎて、うっかり眠り込んでしまったら、凍死しそうである。酷暑の九州で冷房をかけてサービスしてもらえるのは有難いのだが、過剰サービスは有難迷惑である。この時、持っていた雨具を身に包み、寒さを凌いだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?