私鉄全線踏破の旅2
②富士山の南 静岡鉄道 岳南鉄道 1981年7月5日
1981年7月5日国鉄身延線・清水港線を踏破するために出かけた。しかし、日帰りとはいえ、これだけでは物足りない。静岡県の私鉄、静岡鉄道・岳南鉄道も踏破する計画を右表のように立てた。
八王子駅から中央本線で甲府駅へ行き、身延線に乗り換える。運よく急行「富士川」に乗車することができた。急行「富士川」は、身延駅を過ぎ、山梨県から静岡線に入る頃から終点富士駅まで富士川と並行して走っていく。しかし、ここでアクシデント発生、予定では富士駅で下車する予定であったが、車内で眠ってしまい、富士駅を通過したところで目が覚めた。結局終点沼津駅まで行ってしまった。少しロスをしたが、沼津から東海道本線で静岡駅へ行く。静岡駅から北へ徒歩7分で新静岡駅に到着。駅周辺は、静岡市中心の商店街で駿府城にも近い。静岡鉄道は新静岡―新清水間11kmで、ほぼ東海道本線と平行に走る。東海道本線は、この間4駅だが、静岡鉄道は15駅で市街地を走るため、市民の足として利用されている。以前静岡鉄道は、5路線100kmを営業し、藤枝や袋井等まで伸びていたが、現在は静岡清水線の1路線のみとなった。新静岡14時40発の電車は旧東急のステンレスカーで、中に入ると、結構乗客がいた。東急車両の電車は商店街や住宅地を走り、まるで東京を走っているような感覚に陥る。古庄駅を過ぎると、東海道新幹線、東海道本線を跨ぎ、運動公園前駅に停まる。ここには草薙運動公園があり、戦前ここで日本野球クラブと大リーグが対戦し、日本の若きエース沢村栄治が0-1と惜敗したものの、好投した伝説の地である。そのことを記念し、ここには沢村栄治の銅像が建っている。そういうことに思いふけっていたら、終点新清水駅に到着した。静岡鉄道はローカル私鉄という雰囲気は少なかったが、旧東急車両が使用されており、地方中核都市の私鉄の様子を知ることができた。
清水港線に乗車するため、清水駅に向かう。途中商店街では、七夕祭りをしていた。徒歩11分で清水駅に着く。清水港線(清水―三保)は、1日1往復しかない路線のため、すでに下り列車は出発していた。清水からバスで三保駅まで行き、三保から上り列車に乗車した。この沿線は市街地にあり、清水―三保間も頻繁にバスが往来している。そもそも清水港線は、貨物が主力であり、沿線には木材など原料が置かれていた。また、主な利用客は清水から三保の高校へ通う高校生で、三保発16時14分の列車は高校生で溢れていた。この日の踏破3年後、清水港線は1984年4月1日に廃止された。
清水から東海道本線で吉原駅へ向かい、17時34分に到着。ここから岳南鉄道(吉原―岳南江尾・9.km)に乗る。岳南鉄道は、富士市の工業地域の労働者や貨物を運ぶ目的でつくられ、また、岳南という名前は、富士山の南ということからついた。岳南鉄道の吉原駅へ行くと、ここでも東急車両「青がえる」こと5000系が停まっていた。デザインは赤だったので、「赤がえる」だろうか。懐かしい車両に乗車し、吉原を出発。吉原のある富士市は、日本一の製紙工業地帯で、工場の煙突から白い煙が出て、製紙工場独特の臭いが漂う。この沿線も町中を走るため、家屋が多い。6つ目の岳南富士岡駅でほとんどの客が降り、終点岳南江尾までガラガラの車内となった。
18時14分岳南江尾に到着、下車する客は少なかった。折り返し吉原行まで30分あり、まず踏破のための証明写真を撮り、駅周辺を歩く。家屋が多いのだが、店もなく、ここから鉄道やバスの乗り換えはない。何故ここが終着駅なのか、不思議に思えた。あるのは東海道新幹線の高架線で、「ひかり」がけたたましく音を響かせ通り過ぎて行った。そして、再び岳南鉄道で吉原へ戻った。
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