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知らない方が良かったかもしれない。

私は基本的に知欲は高めです。知らない方が良かったかもと思うこともあるけど、知ってしまったからそう思うだけで2択なら知ることを選ぶはず。なんてワガママな自分でしょうか。

最近「食」に対して健康や体力の向上を目的として運動を始め、そこから派生して睡眠や食事についても興味を持ち、目的が体調管理や生産性の向上にも及ぶ中、食事に対しては多くの気づきがあり、古来の人間の体質や必要な栄養素、体に与える影響などを広く浅く学んでいます。

学んでいくうちに周囲の食に対して誘惑の多さや食べたいものが大抵カラダに悪影響を与える可能性があることがわかってしまった。
例えば、私の以前好きだと思っていたものをあげると、ラーメン、唐揚げ、たこ焼き、ポテトチップス、パスタ全般、炭酸ジュース、エナジードリンク、ドーナツなど。もちろん以前からこれらを食べすぎることは良いことではないと一般的な知識は持ち合わせていたつもりです。しかし、血糖値や砂糖の関係、塩分、糖質、トランス脂肪酸、ブドウ糖果糖液糖、小麦などの人体に与える影響や健康を害す可能性について知った時にこれらは「心の栄養」であることだ。

そう「心の栄養」、「カラダの栄養」と呼んでいる。
簡単にいうと、前者を食べると幸福感が得られるが、食べ過ぎ注意なものたち、後者をカラダ作りないしは生命維持に必要なものたちだ。

何か食べようと思うと、自動的にこのどちらかに分類しています。そして自分に問いかける。これは心が求めているのか?それともカラダか?そんな自分は気持ち悪いと思っている。次第にジャンクフードと言われているものから距離を取るようになっていった。
ここで味覚の変化に気づきだす。濃い味を好まなくなっていき、食材の味を楽しめるようになっていった。塩胡椒のみの味付けでも満足できるようになった。たまに外食してラーメンを食べるも、なんか塩辛くて以前よりも満足感が得られなくなった。だから食べなくてもいいやと遠ざける食べ物も多くなった。食べなくても満足できるカラダになっていった。これはすごくいい効果だと自分でも感じました。
それでも食べたいと思い、たまに食べるジャンクフードがご褒美のように感じられた。以前は日常的に食べていたにも関わらず、今ではたまの贅沢になっている。

体重コントロールという観点で言えば、人によって誘惑に負けない堅牢な盾となる。すごくいい効果です。

しかし、ここが私にとって辛い部分でもある。たまの贅沢で「心の栄養」のために食べるはずなのに、カラダへの影響を考えると心から幸せを感じれない自分がいる。「たまに」であれば、ほぼ影響がないはずなのに満喫しきれない自分が悲しい。
知ってしまうと、知らなかった自分には戻れない。
「無性に〇〇が食べたい」と思っても、結局は食べれずにいる。ご褒美の与え方まで分からなくなっている。そして、ご褒美のはずが誘惑に乗っ取られてしまうのも怖い。今までせっかく我慢してきたのにと考える。

とはいえ私の知欲は衰えることはないので、そんな葛藤と戦いながら着地点を探したり、移動したりしていくんだろうなと思う。

少なからず、私と同じような葛藤に悩む人がいると思っている。
あー。映画見ながらスナック菓子を食べ続け、朝は菓子パン、昼はラーメンに唐揚げにチャーハン、夜は寿司と焼肉みたいな一日過ごしてみたいな。
あまり中身のないお話でした。

今日もいい一日です。


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