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【エッセイ】言葉を見つめ、気づき、言い訳をする。

私はまだ、この歳(24歳)になっても“正義”という言葉に興味があります。小さい頃は「正義のヒーローになりたい!」という興味でしたが、今は少し違います。

正義と悪。

この世のあらゆる存在が空なのだ。生まれることもなければ、滅することもない。汚れることもなければ、綺麗になることもない。増えることもなければ、減ることもない。

「般若心経」訳の一文

唐突に仏教を例に出してみます。

仏教の般若心経によると「全てのものに実体はなく、生があるから死がある。」というように、相対的な関係でのみ実体が存在するらしいです。

そうすると私が子供時代、親指を下に向け「ぶー!」と言っていた悪役。真っ黒いスーツを着たあの人がいなければ、正義のヒーローは存在し得ないということになります。

正義しかない世界に正義はない。いや、もしあってもそれを正義として認識できない。当たり前の中を漂う名もなき考えということ。

悪が無くなればいいけれど、いっしょに正義も無くなるのはちょっと寂しいと思ってしまうのは私だけでしょうか。

───

またまた、仏教のたとえ。

そもそも“正義”という区別をつけるから“悪”が生まれるんだ。“幸福”という区別をつけるから“不幸”が生まれるんだ。世界の一部を切り取って“正義”だのなんだの区別をするのはやめよう!すべての区別を取り払い、世界と一体になるときに悩みから解き放たれ、悟りを開けるんだ!

なるほどと思わされる一方で、それは無理なのでは、、、とも思ってしまいます。なぜなら「区別=言葉」だと私は思うからです。

頬が熱くなり、胸がどきどきしてしまうほど惹かれることを「好き」という言葉で表すように、特定の状態を区別するのが言葉の力だと思っています。

私たちは言葉があるから、言葉以外のコミュニケーションができている。

───

私の興味は「言葉の使い方」です。言葉の使い方を見れば、その人がどのように世界を見て、境界を引き、区別しているのかが見えてきます。

例えば、戦争の善悪。

「何があっても人殺しはダメだ!」
「向こうが先にやってきたら仕方ない!」
「お国のためなら!」

下に行くほど、戦前の日本に戻っていくような感覚。社会全体の背景と、その人個人の背景によっても言葉の境界は変わってくるのかもしれません。

私の境界はどうだろう。

………。

1年前と比べると少し変わっていて、10年前と比べるとまったく違う。「これだけ変わっていると軸も何もない、いい加減なやつなのでは?」と自分自身を批判してみると。

「いや、変化しない方が成長が見られないってことだろ!」と、すぐさま別の自分が言い訳をしていました。

一人で何をしてるのか…。
いや、そういう自分が面白いんだ。と、また言い訳をする。

───

唐突に善悪とか仏教とかを出しましたが、エッセイを書く動機になった本を紹介します。

「永い言い訳」
著者:西川美和

この本には、対照的な家族が2つ登場します。崩壊寸前に見える不幸な家族と、愛に満ち溢れた幸せな家族です。物語は、ある日バスの事故により、それら家族の妻を亡くしてしまうところから始まります。

残された家族は、同じ境遇の者通しで助け合いながら暮らしていきますが、「幸福と不幸」、対照的な家族が混じり合うことでそれぞれの心境に様々な化学反応が起きます。

不幸から幸福に、そしてまた不幸に。

そんな幸福と不幸の対比。境界の曖昧さ。境界の移動。そして、自己批判に気づいた登場人物の“永い”言い訳が、私の胸に刺さりました。

この本は、物語の視点が何度も入れ替わります。それぞれの登場人物がどのような心境の変化を辿ったのか。それを追うのもとても面白いのでお勧めです。

───


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