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ルサンチマンはビジネスの必需品

こんにちは!

今回はドイツの哲学者
フリードリヒ・ニーチェさんが
唱えている「ルサンチマン」という概念について
考察していきます。

あなたはルサンチマンを
聞いたことがあるでしょうか?

かなり哲学的な用語なので
もしかしたら聞いたことがない人も
多いかもしれません。

逆に学校でちらっと聞いたけど
名前しか覚えてないなんて言う方も
いるのではないでしょうか?

ルサンチマンを
分かりやすく理解するために
よく引用される話があるので
紹介します。

あるキツネがいました。
そのキツネは高い木に
紫のおいしそうな実がなっているのを
見つけました。
しかし必死に手を伸ばしますが
一向に手が届きません。
そこでキツネは
「あんなものは酸っぱいに違いない」
といってあきらめてしまいました。

という話です。

いわゆるこういう「やっかみ」が
ルサンチマンの意味するところです。

やっかみというよりやっかみを
生み出す原因となるもの
というところでしょうか?

転じて
上の人間に対して下の者が抱く嫉妬や
怨恨、劣等感の混じった複雑な感情

定義づけられています。

これの厄介なところは
他でもない、「冷静な価値判断が
ねじ曲げられるところ
」にあります。

キツネでいうならば、
①おいしそう、食べたい
②手が届かず、食べられない

この2者の間に存在する一種のギャップを
埋めるために「まずそう」という
価値判断の転換が行われているところです。

これは実社会でも
存分に起きている可能性があります。

例えば、サイゼリヤ。

これについて
サイゼリヤのほうが高級フレンチよりおいしい
みたいな趣旨の発言を聞いたことはありませんか?

この発言について
考察してみましょう。

そもそもサイゼリヤは実店舗であるのに比べ
高級イタリアンは概念にすぎません。

もっというなら
高級イタリアンという言葉には
富裕層が行けるものという
先入観が混じっています。

わざわざ高級イタリアンを折り合いに出して
サイゼリヤをほめる必要はないはずです。

つまり「サイゼリヤが好き」といえばいいだけです。

なぜそういえないかというと
それではルサンチマンが解消されないからです。

サイゼリヤのほうが優れているという
価値判断の逆転を行うことにこそ
彼らのかくれた狙いがあるのです。

ここから言えることは
多くあります。

ルサンチマンの本質的な問題点は
やっかみによって価値判断がゆがめられる
ことにあるわけなので

あなたが購買行動をとるときに
ルサンチマンが同居していないかは
よく考える必要があります。

例えば、ブランド。

友達がブランド品を持っていて
それ聞いてブランドが欲しくなるのは
ルサンチマンの可能性があります。

いわゆる相手に経済的に劣りたくない
というルサンチマン
によって自分の
本当に欲しいものへの判断が
ゆがめられているのです。

逆に言えば
ここを刺激することは
ビジネスにおける戦略になりうる気もします。


ということで今回は以上で!


あなたの貴重なお時間で、僕の稚拙な文章をお読みいただき本当にありがとうございました。何か改善点、ご意見などおありでしたらお気軽にコメントいただければ幸いです。