震災クロニクル5/17~30(46)

義援金の配布、仮払いが始まった。それに時期を合わせるかの如く、パチンコ屋・居酒屋が大賑わいだ。外には洗濯物を干せない。したがって、コインランドリーも満員御礼。いつになっても乾燥機が空かない。そこら中に仮設住宅が建って、人口は震災前よりも増えた印象だ。それはここの住民ではなく、原発事故に伴って、地元に住めなくなった人々、津波ですべてを流された人々が暮らしている。とても悲壮感が漂うその集合住宅は延々とどこまでも続く。夜になると、その仮設住宅に一斉に明かりがともる。少しお祭りのような様相だ。場違いでTPOを弁えない台詞かもしれないが、その光景には人の温かみが感じられた。未曽有の災害に人は寄り添いながら生きている。言葉にできない悲劇の真っただ中に人のぬくもりがこんなところに感じられるとは……。自分の眼前に広がる光景にただただ皮肉な感情を正直に受け入れている自分がいた。

片道50キロの仕事にも何とか慣れたところで、自分の身体がふと心配になってきた。マスク着用はもう習慣として定着したが、内部被ばくはしていないのだろうか。学校ではホールボディを子どもたちが受けている。果たして自分は本当に被爆していないのだろうか。はじめは運転中にふと考え込むだけだったが、数日経つとどうしようもなく気になりはじめ、内部被ばくを測ってくれる病院を探した。子どもたちは検査しているが、一般の受診は受け付けていないという。こうなれば少し離れた病院でも仕方がない。自分の体のことで不安がいっぱいになった。ネットの情報をあてに病院を探し回った。果たして自分を検査してくれる病院は見つかるのだろうか……。

東京避難から帰ってきたとき、自分は「死ぬなら地元で」と悲壮な覚悟で帰還したはずだった。今になれば今日明日の命が惜しい。なんと浅ましくさもしい心だろう。自分の覚悟の未熟さに顔を赤らめながら、一つ一つ病院に電話をして回った。

……見つからない。どこにかけても「その設備はありません」「予約でいっぱいです」この2言に一蹴された。本当に自分の体は大丈夫なのだろうか。不安はますます広がり、心を蝕んでいった。毎日の食生活でも大きな変化はない。水はさすがに買って飲むものばかりだ。水道水は何となく信用ができない。口に入るものには、それなりに細心の注意を払い始めた。

今さら遅いか……。

心でそう呟きつつも、最低限の自己防衛は自分にほんの一握りの安心を与えてくれたってわけだ。

福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》