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復興シンドローム【2016/09/01~】⑳

夏の装いは弱まることなく、午前5時の出勤には場違いなほど辺りは明るい。駅は6月に再開し、活性化するわけもない街はメディアの復興アピールの過剰なまでの神輿に乗せられている。学校も何もない。来年から高校が統合されて再開するらしいが、コンビニの客の9割は震災関連の作業員。そして地元の老人たちがちらほら。
何のことない毎日がただ繰り返していくだけ。毎日がコピーのようで、1週間がただ風のように過ぎ去っていく。

朝の仕事が終わり、アパートで仮眠につき、夕方から別な仕事に向かう。深夜まで働くと、また数時間の仮眠につく。

「いつまでもこんな生活はできないよな……」

短時間睡眠とダブルワークを繰り返す自分の体は表面上何もないが、少しずつ命を削っていったのだった。毎日の生活に、ただ漠然とした絶望と、今のままではいけないという不安。

そういえば国民年金は震災特例で延期?免除で、保険料は震災以降全額免除になっていた。

新しく飛び立とうにも、この免除はありがたい。二の足を踏む。

新天地で新しい人生をスタートしたとしても、金銭的な不安は払しょくできない。

そう、このころの福島県の被災地は「免除・猶予」という鎖で福島につながれていたようなものだった。

犬や猫のように。敷地から出ないように囲われたような自由の看板には「復興」という、いかにもなセリフが毎日掲げられている。

実際のところ、住所が変更になってしまえば、被災による恩恵が消えてしまうかもしれないという不安。自分を含め、鎖につながれた福島県民は決められた範囲で何とか生かされている。敷地を出ていくには相当な勇気と度胸が必要だ。もう帰ってこないという決意。そして福島のことを忘れて生きるという意思、「免除・猶予」という経済的な依存を断ち切るだけの翼が僕らには必要なんだ。
そうでない限り、ボクらは麻薬漬けのジャンキーと同じ。震災依存のなすがまま人生が、いつまでも続いてしまう。

決意するのは今だ……。

一時はそう思いもするが、どうしてももう1歩が踏み出せない。一応、そう考えていることは誰にも相談できない。なぜなら、この話が誰にどのように伝わるか分からないから。
田舎特有の野次馬根性・ご近所づきあい・井戸端会議

そんな話のネタになるのがたまらなく嫌だ。

生活の拠点であるアパートを借りるのであっても保証人を用意できない。天涯孤独の自分には新天地に向かう権利も認められていないのか。
なんてボクは無力なんだ。

結果として、自分はこの場所に留まり続ける。行方知れずの人生はこの国では認められていないようだ。今日も免除漬けの麻薬ベッドで昏睡するしかなかった。
人生の岐路はとうの昔に過ぎ去ってしまったのか。

ボクには同じ毎日を繰り返すしかなかった。


福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》