戦略的モラトリアム【大学生活編】⑮

大楽生活2年目を迎える。

4月

新入生の初々しさとは対照的に自分のふしだらな生活変わらず……とはいうものの、大きな変化が起こった。昼夜逆転にはならず、アルバイトと図書館の往復だったはず。

そこにあの小さな喫茶店が加わった。ふとした昼下がりに足が向いたり、日曜日に足が向いたり。とにかくあの空間が今までの人生の中で異質すぎて、興味をそそったのだ。何気なくぼーっとトーストを珈琲で流し込む。そしてBGMの音楽に耳を傾けながら、一言、二言、言葉を交わす。

「大学生ですか?」

マスターのおばさんが笑顔で語りかけた。

「はい。一応」

はにかみながら笑顔を返す。こんな何気ない日常のワンシーンでさえ、自分には経験したことがなかった。大学以外でこんな声の欠けられ方をしたのは21年間で初めてのことだった。

「若いってのはいいねぇ」

後ろのおじさんが自分に話しかける。

「地元はどこ?」

「東北です」

「いいところじゃない。米はうまそうだ」

「そうですか?自分はこの街が気に入っていますよ。都会が好きなんです」

「そうか?田舎はいいじゃないかぁ」

本当にとりとめもない話。自然と笑顔で地元の話を語っていた。あれだけ嫌っていた田舎の話を。

この空間は自分の心を少し丸くしたのか、柔らかくなったのか。そのときの自分には分からなかったが、自分のことや故郷のことをこれだけ笑顔で話せるのが驚きだった。

身を乗り出して、田舎話に華を咲かせていると、空のコーヒーカップにサービスのコーヒーが注がれていた。

「あっ、すいません。ありがとうございます」

無言の笑顔でおばさんは僕とおじさんの話に耳を傾けている。

「そういえば、あなたの故郷のその地域には一度行ったことがありまして、たしか無線塔がありましたよね」

窓際の御大が突然話に入ってきた。たしかに無線塔があるが、よくそんな地元民でもあまり知られていないことを知っているなぁと不思議に思いつつ、彼は話し続けた。

「私が若いときには……」と話し始めた話は明らかにここ十数年の話しではない。大昔の話だ。おそらく第二次世界大戦のときか、終戦後のことだろう。80代であろうか。スーツを着て、どことなく高貴な雰囲気を発している。杖が脇に置かれている。足が悪いのだろうか。

結構なお歳だと思うが、彼が話し始めると彼が中心に時間が動き始めた。ふと、長くなりそうな話だったが、とでも興味深く聞いた。一通り言いたいことを言ったのだろうか。彼はスッと立ち上がり。

「では、今日はこのへんで」

紳士の帽子をかぶり、杖をついて店を出て行った。

見上げるほどの大きさ。180cm以上はあるだろうか。長身の御大は肩を揺らしながら、歩いていく。しばらく彼の後ろ姿の余韻を味わいながら、自分も家路につくことにした。

辺りは薄暗く、夕闇に覆われつつあった。


本当に不思議な空間だ。この店には不思議な出会いと今まで知らなかった自分を発見できる奇妙さがある。店に数回足を運ぶうちに、自分がこの店に魅入られているような不思議な気持ちになり始めていた。

大学2年になる前にとても大切な何かを見つけたのかもしれない。

その日は喫茶店の気分を忘れないようにTSUTAYAで『カフェ・アプレミディ・フュメ』を借りた。

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部屋で聴いていると、どことなく心がゆったりして、あの空間の出来事を何度も頭の中で反芻した。

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fal-cipal(ファルシパル)
福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》