No title #3
「死にたい」って言葉は口にしちゃいけないと思っている。何かの理由でギリギリで生きることに向き合っている人もいるんだから、寂しいとかつらいとか嫌だとかその程度の感情で「死にたい」って言うなんて、間違ってる。
私は母親だから「死にたい」って思ってはいけない人種で、だからこそ「死にたい」気持ちは押しとどめている。母親が死にたかったら子供はかわいそうだ。「死にたい」なんて言葉を母親に漏らされた子供がどれほど不安になるかなんて簡単に想像できる。
うちの子は泣き出すだろうな。「楽に死ねるならねー」なんてドラマとか見ながら冗談で言うだけでも涙目になるもんだから「死にたい」なんて言葉にしてはいけない。
だけど私は実はわりとよく「死にたい」って思ってる。
坂道を登りながら、少し傾斜の強い崖の下を眺めて「ここから落ちたら死ねるかな」って一人で思ってる。
ぼんやりと空を眺めながら「眠るように死ねたらな」とか思う。やっぱり雪山かなとか。
「もう死んでもいいな」って心に何度も浮かぶんだよね。
子供がいなかったら、親がいなかったら、私が死んでも誰も悲しまないなら、この世に生きていなければならない理由なんてどこにもないけど、実際にはたくさんの人たちに囲まれている私は死ねない。
それに突然、本当に目の前に「死」が迫ってきたら慌てて「死にたくない」って思うに決まってる。
それでうっかり死んだときに「死にたい」なんて思ったからだと死ぬほど後悔しても、もう死んでるから間に合わない。
だけどもしかしたら「やっと死ねる」とかどこかで思ってしまうんじゃないかとも想像する。
ありがたいことに私が悲しむとその痛みを汲み取って悲しんでくれる人がいる。そんな人を悲しませたくない。
それはつまり私は悲しんではいけないことで、「死にたい」と思ってもいけないこと。
私は自由に心を崩せない。
ひとりぼっちを感じると「死にそうな」気持ちになるけど「死にたい」気持ちはダメなんだ。
どうして寂しいとかそんなふうな気持ちになるんだろう。noteでも孤独と戦うたくさんの人がいる。お互いに本当にあって抱き合おうよ、なんて思ってしまう。
そしたら癒しあえるよって思うけど、私には背負うものがあるから決してそこの扉は開かれない。どれだけ押しても閉まったまま。
私は私が持てるギリギリの寂しさを一人で抱えてる。
誰かに助けてもらおうってずっと思ってて、助けてくれそうな人はいないかとキョロキョロしたんだけど、ありがたいことに本当に危険な人が現れない。こんな私を奪ってくれる人は現れてくれない。
私という人間はたぶん重くて深い。
こんな重い文章を書いてしまう自分をふわっと助けてくれる人、いないかな。
本当にふわっと抱きしめにきてよ。
そんな叶わない願いは、永遠に叶わない。
だから「死にたい」とか思っちゃうんだ。思っちゃいけないのに心に浮かんできてしまう。
ダメなんだよ。私は。
こんなだからnoteではずっと覆面ライター。誰にも知られたくない。誰にも知られちゃいけない。だって私はリアルの世界では母親で、私の命は私だけのものじゃないから。
子供たちを世界一愛してる。母親だからね。
母親って、なんだろね。
#エッセイ #ノータイトル #孤独 #悲しみ #母親 #ネガティブ #不安定 #気持ち #心
※ 下書きのままで出せていなかった文章です。
5ヶ月くらい前に書いたもので、このころはこんな感じでした。こういうネガティブなことばかり考えてたんですが、「死」に関する文章を公開することにとても抵抗があって、ずっと出せませんでした。
自分の心も不安定すぎて、これを出したあとに心が崩れそうで怖かったという理由もあります。
最近、私の重い文章を読んだあとに「救われた」と言ってくださった方がいます。以前にも同じような言葉をかけてくれた方も何人かいらっしゃいます。そのときはまだ自分がいっぱいいっぱいで、この文章はどうしても出せなかったんですが、ここのところ少し落ち着いているので、これも出せるかなと。
私の行き場のない文章でも行き場がある。
そんな気持ちをしっかり感じ、この文章もまた誰かの心のどこかに響くかもしれないと思います。そう願います。
今は死にたいと思うことはなくなりました。
生きていたいと思います。
みんながいてくれて、よく言葉をかけてくれるからかな。
救われています。どうもありがとう。
お気持ち嬉しいです。ありがとうございます✨