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「心のまま」に書くということ。

私はnoteで文章を書き続けています。

とはいえ、すごい文章を書いているわけでもなく、たとえばバンバンおすすめされて、何百というスキを集めて、さすがと思われるようなしっかり練られた文章を書いているわけでもなく、スキもいつもの仲良しさんがくれるスキと、たまにいつもより多いなぁと思うスキが集まる、そんなふうななんていうか平凡な日々の文章です。

エッセイでもフィクションでも、短いのが多いし、noteを始めた当初と比べると、noteにかける時間もかなり減っていて、あ、これは良い意味でですよ。note中毒が少しマシになっているみたいなバランスの良い感じ。

だからなんかすごい感じではないのですが、それでもこうして書き続けている私なので、誰かの心に響くような、誰かの気持ちを優しくするような、これほど書き続けているからこそ、届けられる何かがあってもよいはずで、たぶんすでにあるはずで、いや、あります。

とか思ってしまったnoteがありました。こちらです。

優しくて、落ち着いていて、しっかりしている言葉たち。行間とか、言葉の置き方とか、とても読みやすくて読む人の心にすっと入ってくる、それでいて心が揺さぶられる素敵な文章ですね。

ひらやまさんのお名前は存じておりました。ときどきいろんなかたのnoteでお見かけします。

先日、noteの仲良しさんがひらやまさんの別の記事『「書けないこと」を書けばいい』を引用されていて、そのなかにこんな言葉がありました。

「誰にも読まれないかもしれない」とあなたは言うかもしれない。大丈夫。そんなときはぼくが読むから。

すごくあたたかい言葉ですね。

その方法として「引用埋め込み」を挙げておられました。だから私の今日のこのnoteも届くのかもしれませんね。

こんな文章でいいんだろうか、こんなのをnoteに公開していいんだろうか、公開する意味があるんだろうか、そういう気持ち、私もよく持っていました。いまもときどき顔を出します。

私は2年以上続けてきてもなお、書く加減を迷います。書かない部分も多いです。それでも書かない部分を抱えながら書いて出す。そんな繰り返しの毎日です。

書く内容もだけど、書くこと自体に迷っている人は、私の文章を読んでみてください。ほんと普通に日常のお話がほとんどです。これでもいいんです。こんなに普通な感じでも、たくさん仲良しさんができました。

孤独感が強くて身動きが取れなかった私なのに、なかなか前向きなことが書けなくて苦しかった私なのに、いつのまにか支えてくれる人が現れてくれました。信頼関係が生まれました。私の世界が広がりました。

文章を書く。文章を読む。互いに読む。ただそれだけを続けてきた日々を通してね。

noteは良い場所ですよ。

無理せず、心のままに。


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