とある鴉の異世界転生

ある男の過去 未来と希望はあるのか... 薬、OD、自傷、希死念慮、 犯歴、閉鎖病棟、…

とある鴉の異世界転生

ある男の過去 未来と希望はあるのか... 薬、OD、自傷、希死念慮、 犯歴、閉鎖病棟、精神病

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自分の世界観

まず自分の世界観を書いていきたいと思います。 自分はどんな動物か? 鴉ですね。 しかも 羽根をもがれ足はつま先がなく嘴も欠けている 空を見れば仲間が飛んでいる 棒になった足でトテトテとただひたすら歩いている 嘴も欠けているから他の仲間と意思疎通ができない 羽根をもがれているから空を飛ぶことも出来ない まるでただ一つの生命体がぽんと人間の居る地球に落とされた そんな世界観です。

    • カウンセラーについて自分が思うこと

      長く相談に乗っている経験から カウンセラーって要はなんなの? ってことに自分なりの答えを書いていこうと思う。 勿論、業務としてこなしている人達や それを類する人達からは何らかのクレームを受けるかもしれない。 でもそれはそれ これはこれ。 あくまで完全な個人のボランティア活動での経験則から出た個人的な見解なので 的はずれなことを言われても困る( ˙-˙ ) カウンセラーの本当に大事なことは 依頼者の鏡であること なんだと思う。 もっと分かりやすく言うなら 本人が気付いてい

      • 恋愛について

        今日は恋愛についてのお話をしようと思う あなたはこんなことを聞いたことがありませんか? 「お前重い」 「恋愛観が重い」 私も言われたことがあります。 でもそれって 恋愛を本気でしちゃいけないってことですか? パートナーとの未来を夢見て頑張ろうと願うことって悪いことなんですか? じゃぁ軽い方が正義なんですか? そりゃ確かに色んな人をキープにして あっちこっち飛び回っていた方が依存もしないし 常に大きな心で許せるでしょうけど。 それでも重い自分が好きです。 想いが強い分

        • 性善説と性悪説に答えを出してみた

          まずはじめに性善説と性悪説とは何か?を説明していこうと思う。 性善説 ⬆人は天から来たものでその性質は清く正しいものだから 弱くならないように頑張ろう 性悪説 ⬆人は本質的に弱いものだから 清く正しいものになるように頑張ろう 私が思うに 年齢を重ねる毎に性悪説に傾いていくんだと思う。 我ただ足るを知る という言葉があるように 自分に足りないものを認識していき、その足りない部分を補おう 何とかしよう と足掻いていくものだと私は思う 人それぞれ違うだろうが、 小学生や中学

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          人を「信じる」ということ。

          色々な経験がある私ですが、 なんでそんなに人を信じられるの? とよく言われます。 相談乗ってる相手が嘘ついてたりね。 厳密に言うとその人を信じているわけじゃない だってその人のことなんにも知らないし いざという時にどんな行動をとるか その人にとって何が利益か なんてわざわざ考えない。 あくまで私が信じているのは 「その人を信じている自分」。 あくまで責任は自分にある。 だから何をされても 自分の責任と捉えてる。 聖書で語るなら アダムとイブの箇所。 知恵の実を食べた

          人を「信じる」ということ。

          来年の目標

          まずは就職。 まじで頑張る。 心折れる日もあるんだろうけど 将来したいことがある。 なりたい自分になるために頑張る。 自分はこのままでは終わらない。 きっとできる。 そのために頑張る。 同じく神学校に通って卒業したい。 それはなりたい自分に近付く為に必要なこと。 この世界が この社会が 間違っていると本気で思うからこそ 真正面から変えていきたい。 まだ何も始まってもいない夢だけど 必ず実現させる。 苦しんでいる人達のためにも。

          法律の落と穴

          日本の法律の起源は 1940年頃の大正の時代に作られたものを元としているため 今の社会観では解決できない穴が存在する 子供を作ると あなた達は親となったので 人間として最低限の土台やマナーは当然持っているよね という不可思議な当たり前を条件に親権という権利が渡される。 親は親という教育を受けれる訳では無い。 全てが自己責任。 なので当然親側も これで大丈夫だこんなもんだろう それでもこれでいいのか? という不安感を持ちながら 子供に対する権利を持つことになる。 人を育て

          人間なんてルービックキューブと同じようなもん

          人って存在の内面って 実に色んな面を持っていて ルービックキューブのようだと私は思う 常にバラバラになってしまったルービックキューブ 色も形もバラバラで その都度その都度状況に合わせ切り替えていく それが上手な人もいれば下手な人もいる 人に受け入れられやすい面を多く持った人もいれば 拒絶しかされない面を多く持った人もいる 人はまるでルービックキューブ。

          人間なんてルービックキューブと同じようなもん

          親や家族について相談を受けた時に私が答えること

          SNSでよく相談を受ける私が 相談者の対象が親や家族について相談してきた時に 私がよく話すこと。 それは 「そんな人なら捨てちゃえば?」 と答えます。 それは何故なのか? 私自身が親や家族や親族に疎まれて生きてきた存在だからです。 と同時に おかしいと思いながらも 親だから 家族だから 親族だから 仲間だから という理由で自らを縛り付け余計に苦しめてきたからです。 日本では綺麗事や慰めの言葉で 何とかしよう誤魔化してしまおう 今は無理でも何とかなるよ という理由で真逆の

          親や家族について相談を受けた時に私が答えること

          父の学校

          父の学校を終えて 自分が両親から受け継いでしまったもの 間違った教育方法によって得てしまったもの それら全てを吐き出せたと思う 1度振り返り 良いものと悪いものを見比べて選択していくことで 一族の悪い慣習とか 負の遺産的なものを意識して手放す努力と その努力を続けていくための目標と継続力 それらを得る為に この父の学校に出れてよかったと思う。 できることなら学生時代に知っておきたかった知識や技術や方法がたくさん詰め込まれていた。 私はまだまだ発展途上で幼く弱い存在で

          気温や気圧の変化でメンタル不調

          内臓以外は割と強いんですが、 気温の落差が激しかったり気圧の変動がキツかったりします。 発達障害も持っているので 気温、気圧を脳が情報として受け取ってしまい 内面パニック状態だったりします。 なので…耳からの情報、目からの情報が記憶に残らない! しなければいけないことが全く出来なかったり 普段普通にできていることに困難が生じたりします。 ただ表面上は表情も変わらないので 周りから見た時にふざけてる?サボってる? と聞かれたり思われたりします。 本人はそんなつもりないんで

          気温や気圧の変化でメンタル不調

          オーバードーズ

          生きていくのが辛い その事から意識を飛ばしたいと願った だって自分には何も無いから。 守るべきものも守ってくれるものも 示してくれるものも導いてくれるものも。 何度も何度も繰り返した。 死を覚悟して。 死に憧れて。 死だけが救いだと本気で思った。 何度もオーバードーズ(薬の過剰摂取)をバレないように繰り返した。 それでも理性は飛ぶことなく ずっと残り続けまだ自分を苦しめた。 今の状況もはっきり言って辛い。 両親も居ない兄弟も居ない 友と呼べる人も近くには居ない。 それで

          教育の三元論

          数ある好きな言葉の中に 山本五十六の教育三元論と呼ばれるものがある やってみせ 言って聞かせて させてみせ 褒めてやらねば人は育たじ 話し合い耳を傾け承認し 任せてやらねば人は育たじ やっている姿を感謝で見守って 褒めてやらねば人は育たじ まずは自分でやる その後言い聞かせながらさせてみる 出来たら褒める これが出来るだけでいい世界になってくと信じてる 正しいことはみんなが本能で知ってる 教育の三元論も同じ 幼児に言葉を教える時はみんな普通に出来てるはず。 その

          数年ぶりに掃除できた

          障害が発覚してから やっと数年ぶりに掃除出来ました。 この数年間が本当に辛かった 今でこそなんとか動けていますが、 発覚当初は落ち込みと生活圏が変わったことによる混乱が酷く、塞ぎ込んで 布団から全く動けない状態でした。 そこから 自分はこのまま終わらない きっと将来は違うところにある と必死に抗い続け、 自分の喜怒哀楽の根源はどこにあるのか? を探し続け、やっと現状があります。 まだまだ工事中ですが、 必ず社会復帰する。 その信念がしっかり叶うまで戦い続けたい。 今の

          数年ぶりに掃除できた

          純然たる殺意と破壊衝動の根本

          自分の心の中にある他人への殺意と破壊衝動 その根本について紐解いて行こう なぜこんな感情を抱くようになったのか それは 自分が苦しかったから。 決して快楽殺人ではなく その根本には「その人に苦しんで欲しくない」 という哀れみのような感情がある。 自分がこの世と関わって 苦しくて悲しくてただ息苦しくて そんな思いを大多数の人に味わって欲しくない そんな気持ちが強くある 不合理で不浄で理不尽なこの世のあらゆる穢れを知ってしまっているからこその感情。 今は そんな世の中を

          純然たる殺意と破壊衝動の根本

          個人の宗教観として

          生き続けるということが辛い人生だった 私にとって「生きる」とは 絶えず他者に否定され続け どんなに言っても分かり合えず避難され続けるということだから。 そんな私が宗教というものに 「神」に救いを求めるというのはある種、当たり前のことだった。 色々な宗教をやっていたことがある その度ぶつかって分かり合えず 「あー、やっぱりか…」 と絶望し、また場所を変え宗教を変えその都度渇望し必死になってその勉強をしたり通ったりしていた。 そんな私が罪友教会、進藤牧師の所へ通い続ける希望

          個人の宗教観として