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■『魔女姫と黒き翼の王子』 後編

けたたましいアラーム音で俺は目を覚ます。
「ん、んん……」
起き上がって周囲を見回すと、見慣れた狭いネットカフェの個室だった。
「あふ……」
どうやら、本を読みながらそのまま寝てしまっていたようだ。
本のページは魔女姫をかばって大怪我を負った王子が目を覚まし、魔女姫と熱い抱擁をかわしているシーンを書いている。

感動的なシーンだけど、相変わらず挿絵には王子の姿はない。
俺が絵心でもあればちょっとはマシだったかもしれないけど、へのへのもへじがかける程度のお粗末なものだ。

「っと……」
慌てて机と周辺に散らかしたゴミやなんやらを片付け、本を紙袋に入れて更にリュックの奥底にしまい込む。
ほとんど住居と化しているこのネットカフェだけど、着替えも私物もリュックに入る程度で荷物があるわけではない。
リュックと少しの紙袋。食事はコンビニか、働き先の先輩が飽きてよこしてくる客が貢いだ菓子や土産物のの残り。
いつ頃からかは忘れたけど、そんな暮らしをずっと続けている。


――
―――

大きな爆発がして、悪神の刺客であるガーゴイルが燃え盛るのが見える。
「マサル王子には指一本触れさせないんだから!」
俺をかばうように魔女姫が仁王立ちしている。

魔女姫様は俺の助けなんていらないほど、とんでもなく強い。
右も左もわからなくなってしまった俺を狙う悪神の手下共を難なく蹴散らしていく。
「まったく。せっかくのお出かけが台無しになるところだったわ」
「怪我はない?」
「もっちろん! さ、いきましょ!」
煤だらけの顔に満面の笑みを浮かべ、魔女姫は俺に手を差し伸べる。
その手を取る前に、ポケットに入っていたハンカチで姫の白い頬に付いた煤を優しく拭き取る。
「よし。可愛い」
笑顔から一転、ぽかんとした顔、それから頬を真っ赤に染める。ころころと変化する姫の顔は見ていて飽きない。
「やだもう言ってよ!」
「ごめんね。でもこれくらいしかできないから」
「もー、また謝る!」
真っ赤に染めた顔から一転、今度は怒りをあらわにする。本当によく表情の変わる女の子だ。

治療院で目を覚ました後、姫との冒険も旅に出た理由も戦い方も、すべて忘れてしまった俺は罪悪感から俺は何かにつけて姫に謝ってばかりだ。
忘れているなら忘れているなりにそんなもの感じることはないはずなのに、俺の心のどこかでは彼女を含めたこの世界のすべてを忘れていることに対して申し訳なさが溢れてやまない。

そんなふうに塞ぎ込む俺を気遣って、魔女姫の故郷にほど近いシャノフという街にやってきていた。
その矢先にガーゴイルに襲われたのだ。
空気の読めない悪神だなあと思ったけど、自分に楯突く二人組の片方が使い物にならないとわかったら襲うチャンスではあるので当たり前ではある。

「レギナ姫様! お久しぶりです!」
「おお、マサル王子も!」
街に入ってすぐ行き交う人々が俺たちの姿を認めるや否や、熱烈に歓迎を受ける。
「ひめさま! 母ちゃんがうちの店に来てって!」
「じゃあ、おすすめランチの用意をお願いね!」
「わかったー!」
「姫様、外壁の結界についてお話が……」
「北西のほころびのことかしら、後で見に行きましょ!」
「ありがとうございます!」
「マサル王子―! あそぼー!」
「ごめんね。今日はレギナ姫と用事があるから、また今度遊ぼう!」
「ちえー」
どこかの食堂の子供が大声で呼び止めたと思ったら、街を守る衛兵に話しかけられ、ついでに俺も子供から遊びに誘われる。
次から次へと、魔女姫様と『王子』はどこへ行っても声をかけられる。
頼りにされていること、悪神との戦いの勝利を祈られていること、その上でみんなが俺たちの無事や健康を気にかけてくれていること……
笑顔で次々と応えていく魔女姫様を頼もしく思う。
俺なんか居なくても、彼女は戦っていけるのではないか。そんな風に思ってしまうのは、俺に記憶がないせいなんだろうか。

「ふー」
魔女姫様にしかできない頼まれごとを解決しつつ、街をぐるりと一周したらすっかり夕方になっていた。
街の片隅にある公園のベンチに魔女姫を休ませた後、俺は果実ジュース売りを探して飲料を2つ買う。

「お疲れ様」
「ありがと」
ベリーのジュースを魔女姫様に渡し、俺はチェリーのジュースを飲む。
「ごめんね、気分転換にきたはずなのに」
「君はとっても慕われてることがわかって良かったよ」
「それはマサル王子もよ」
「俺は記憶がないから、あんまり実感がないんだ」
「そっか……」
魔女姫様は小さくため息をつくと、やっとベリーのジュースに口をつける。
「あれ、これ……」
ジュースを一口飲んだ瞬間、魔女姫様は目を瞬かせる。
目をまんまるにして、俺とジュースを交互に見やる。
「え、ごめん。苦手だった?」
やってしまった。記憶がないならちゃんと何がほしいかちゃんと聞くべきだった。
「ううん。そうじゃなくて、これ、ダンおじさんのところのジュース……」
「そんな名前のおじさんだったね」
「わたしこのジュース大好きなの。あなたのジュースはチェリー、でしょ」
「よかった。でもよくわかったね」
「ふふ、だってわたしと一緒に公園にくると、いつも買ってきてくれるのよ。覚えてなくても覚えてるのね」
美味しそうにジュースを飲む魔女姫様は、とても幸せそうだ。

覚えていなくても、覚えている。
些細なことだったけれど、レギナのすきなものを無意識にでも選んでいることに、ほのかな喜びを感じる。
君が笑っていてくれるだけで、俺はとても嬉しい。


――
―――

スマホのバイブレーションで目を覚ました。
またしても本を読みながら寝てしまったらしい。

本のページは魔女姫と王子が公園で一時の休息を取っているシーンが書かれている。
挿絵はないけれど、夢でみた情景が思い浮かぶ。
「リアルな夢だったな……」
この本を読み始めてから、妙にリアルな夢を見るようになった。

俺は王子様になりきって、魔女姫と冒険をする。そんな夢だ。
一昨日は怪我をした王子を気遣った魔女姫がかいがいしく世話をやく夢。
昨日は魔女姫と魔物を退治する夢。
今日は魔女姫の故郷に近い街に気分転換する夢。

魔女姫は俺に屈託のない笑顔と信頼を向け、俺も魔女姫を大事にしようとする。
悪神討伐の旅は過酷だけど、2人は信頼しあって助け合っている。

夢の余韻に浸る間もなく、もう一度バイブレーションが鳴る。
仕事に行かなきゃ。


――
―――

「……じ、マサ……」
誰かに呼ばれている。
「マサル王子! レギナ姫は!?」
「……っ!?」
街の衛兵の声で我にかえる。
「姫は街の外で結界を強化している! 早く子どもたちを役場の地下へ!」
「はい!」

街の外を悪神の手下が取り囲んでいる。
外壁にはられた結界は、北西だけではなく南の門の方にも小さなほころびがあり、そこを狙って悪神の軍勢が攻めてこようとしている。

魔女姫様は一人街を出て南門に向かい、結界の強化を行っている。
戦い方を忘れた俺は、魔女姫様の指示に従い、子供や老人の避難と戦える衛兵や魔法使いたちを街の中心に集めていた。

「マサル王子……」
「大丈夫、俺たちが絶対に守るから。さあ急いで役場にいくんだ」
「絶対勝ってね!」
「ああ!」

戦い方を忘れているのに俺は虚勢を張って無理やり笑顔を作った。
そうしなければ今にも恐怖で動けなくなりそうだったから。
魔女姫様を、『王子』を慕う街の人たちを絶望させたくなかった。

だけど……
「記憶のない王子など恐れるに足らず!」
「姫様!」
俺が助けに行けなかったばっかりに、魔女姫様は悪神の手下である上位デーモンに捕まってしまったのだった。
その上、俺に記憶がなく戦えないこともバレてしまった。

「さあどうする! 姫と街を見捨てて逃げるのならお前くらいは見逃してやる。力のない王子などいてもいなくても変わらんからな!」
デーモンは上空から気絶した魔女姫を見せびらかし、俺に剣を突きつける。

俺は何もできない。本当ならこの背中にある翼で空をかけ、魔法の剣で姫を救わなければならないのに。
ああ、この世界でも現実でも、とても無力な存在だ。


――
―――

「……ひっ!」
よく見慣れたネットカフェの天井が視界に入る。
俺はぜいぜいと荒い呼吸を繰り返す。

ずいぶんと長く息をとめていたような。
そんな感覚がある。

ひどい夢だ。

ちらりと本を見れば、魔女姫がデーモンに囚われ、王子はそれに立ち向かうシーンだった。
王子はこんなに勇ましく姫を助けようとしているのに、夢の中の俺は何もできずに立ちすくむだけだった。

夢の中だけじゃない。現実だっていつもそうだ。
人からはお人好しと言われ、なにか言われてもへらへらするだけでやり過ごし、適当に利用されて生きている。

もうあんな夢は見たくない。

スマホのバイブレーションが鳴っている。
仕事にいかなければ……

それからしばらく、仕事が忙しくて本を読まない日々が続いた。
本を読まなければ夢を見ることもない。仕事の忙しさを理由に俺は本を遠ざけた。
リュックの奥底に本をしまい込んで、出さない。読まない。
それだけでただ仕事が忙しいだけのいつもと変わらない日常がそこにあった。

頭の片隅に、気絶した魔女姫の顔だけがずっとちらついていた。

従業員出口からゴミを捨てに外に出ると、近くの雑居ビルで男と女が揉めていた。
「やめてください!」
「いいじゃねーか。どうせ一人なんだろ」
「離して!」

関係ない。早くゴミを捨てて店に戻らないと先輩にどやされる。

ここでも俺は逃げるのか。
そんな考えが頭をよぎる。

今、眼の前で争ってる奴らに声をかけたら殴られるのは俺だ。
痛い思いをするかもしれない。眼の前の女は知り合いでもなんでもない。
オーナーに迷惑がかかる。自分からトラブルを起こすのは良くない。そうだ、それが正しい。
目をそらしてゴミ捨て場に向かおうとしたけれど、抵抗する女の人が何故か本の魔女姫に重なった。

逃げたく、ないなぁ。

気がつくと俺は、ゴミ袋を男に向かって投げつけていた。
「なんだおめえ、やんのか!?」
「店の前で迷惑です。警察呼ばれたくなかったら騒ぐのはやめてください」
殴られるのは分かっている。
どうせ立ち向かっても勝てっこないのだ。だったら殴ってる時間で女の人が逃げてくれればそれでいい。
男が俺に殴りかかってくる。俺はその拳を避けることなくそのまま受けた。

「ちっ、これに懲りたら二度と邪魔すんじゃね―ぞ」
気が済むまで俺をボコボコにした男は、悪態をつくだけついて女の人が逃げていったほうとは別の方向に立ち去って行った。
女の人はもう戻ってこないだろう。戻ってこない方がいい。

殴られすぎてボーッとする頭で店に帰り、オーナーにそりゃもうこっぴどく叱られた。
おぼろげながらも事情を説明すると、盛大にため息をつかれて夜間病院に連れて行かれ治療を受けた。

「ったくお前は。揉め事に首を突っ込むのはこれっきりにしておけよ」
「はは、はい」
「2,3日は店の上の部屋を使え。どうせその顔じゃネットカフェもお断りだろうよ」
「ありがとうございます」


――
―――

デーモンが俺に剣を突きつけている。
魔女姫様は目を覚まし、逃げてと必死に叫んでいる。

ああ、夢の続きだ。何日ぶり、何週間ぶりだろう。
夢の続きを見るのが怖くて、俺はずっと逃げていた。
でも、現実では逃げなかった。女の人はきっと助かった。だから。

相変わらずリアルな夢だ。デーモンは嘲笑しているし、魔女姫様はデーモンに捕まっているのに俺の心配ばかりする。

「はははは。その黒い翼はお飾りのようだな」
「王子逃げて! 街のみんなと逃げて態勢を立て直すの!」
「うるさい女だ」
大声で叫ぶ魔女姫様の首に黒く光る鎖のようなものが巻き付いた。
「ひ……」
「さあ王子。どうする? 魔女姫の言う通り逃げるか、我々に殺されるか」

魔女姫の薔薇色の瞳が揺れる。
瞳に映る色は恐怖ではない。人の命を盾に取る、卑怯なデーモンへの燃え上がるような怒りの色がそこにはあった。

そうだ。レギナ、君はいつだって愛らしく勝ち気で。ちょっとお転婆で。
そしていつだって諦めない。俺がそばにいるから、俺と一緒に平和をつかみ取りたいから。
その思いに俺は答えを示さなければならない。

「……どちらも」
「あぁ?」
「どちらもお断りだ!」

俺は恐怖を振り切って叫ぶ。
手には一振りの剣。俺の意思に応える魔法の剣。すべての悪と恐怖を切り裂く無敵の剣。

「レギナを返してもらうぞ、デーモン!」
背中の翼を羽ばたかせる。俺の勇気に応える勇者の証。縦横無尽に空を駆ける最高の翼。

デーモンと同じ高さまで上昇すると、俺は魔法の剣を構える。
「こいつがどうなってもいいのか!?」
卑怯なデーモンは苦しむレギナを魔法で浮かせて前に出し盾にする。

レギナと真正面から目が合う。レギナの目には相変わらず恐怖はない。
ただ、俺に対する信頼だけがある。

俺は小さくうなずくと、剣を下ろす。
デーモンの嘲笑が大きくなる。
耳障りなそれを無視して大きく息を吸って、吐いて。

今。

大きく翼を羽ばたかせる。
その一瞬で俺はレギナの後ろ、デーモンの心の臓に剣を突き立てていた。

瞬間移動の魔法。俺が唯一使える得意な魔法。
だけど大量の魔法の力と凄まじい集中力が必要だから、妨害なんかされたら絶対に失敗するしそう何度も使えるものじゃない。
デーモンが油断していたあの瞬間にしか使えないとっておきのとっておき。

驚愕に目を見開くデーモン。
「き、さま……」
崩れかけた上位デーモンに、俺は高らかに宣言する。
「俺の名はマティアーシュ。お前たち悪神の軍勢を撃つ者だ」

デーモンが崩れ去る。司令塔を失った軍勢は散り散りに逃げていくのが見える。
ややあって、悪神の力で暗雲立ち込めていた周辺に光が差し込む。

「マティアーシュ!」
「ぐえっ」
解放されたレギナが抱きついてきた。なんかちょっと首がしまってる。
「レギナ、く、くるしい」
「だってぇ…」
レギナの腕の力が弱まる。間近で見るレギナの目には涙が溜まっている。

ぐすぐすとぐずったように声を上げるレギナの背を優しくあやすように叩く。
「ずっと探してたのよ。やっと戻ってきたと思ったら記憶がないなんて言い出すし。違う名前で呼ばされるし!」
「ごめん。やっと思い出したよ。ずっと待っててくれたんだね」
「やだ。許さない。一緒にまたベリージュース飲むの」
「うん」
「ミミさんのお店のスペシャルランチ一緒に食べて」
「うん」
「それでそれで」
「うん。一緒にまた、悪神を倒す冒険にでよう」
「わあぁあああああん!」

逃げるなんて選択、初めからなかったんだ。
でも俺は逃げてしまった。そんな俺でも君は許してくれるだろうか。

「ただいま。レギナ」
泣きじゃくる愛しい姫君の背を撫でながら、これからどうやって彼女に許しを請おうか考えることにするのだった。


――
―――

カラン。と小さく鐘のようなものがなる音が聞こえる。
少女が黒い装丁に金の箔押しがされた童話を大事そうに抱えて店に入ってくる。
「おかえり。どうだった?」
店のカウンターの更に奥、少女が住居としている場所から若い男が顔をのぞかせる。
茶色の髪に深い緑色の瞳、彫りの深い顔立ちは、店員の少女と同じく異国の出身を思わせる。
「黒き翼の王子は魔女姫との愛を思い出し、邪悪な神を倒してめでたしめでたし、かな」
少女は茶髪の男を見て破顔する。店員として店に立つ時の見よう見まねの貴人のような態度はなく、年相応のような大人びたような、そんな雰囲気があった。
「うん。それにしても、ずいぶんと遠くの世界に飛ばされていたものだ」
少女が挿絵のあるページを開く。空白だった文章と挿絵には『マティアーシュ』という王子の名前と、黒く艷やかで力強い翼を持つ凛々しい若者の姿があった。
「王子様が自分から戻ってきてくれて良かった」
「そうだな……魔女姫を抑えるのも難しくなっていたところだ、良いタイミングだったのかもしれない」
「姫も王子も居なくなったら物語の中で悪神はやりたい放題。そんなのが外にでたら大変なことになるところだったもの」
「力のある者の作品はこれだから困る」
「でも、だからこそ傑作にもなりうる。……そうだよね?」
ちらりと少女は男を見上げる。青い目が男の持つ緑を捉えた。
「そうだな。さ、今日はもう休もうか」
男は少女の頬をひと撫ですると、奥の住居へと向かう。

少女はほんのりと頬を染めながら、手にしている童話を売られていた時と同じ本棚にそっと戻した。
いずれ訪れる本当の買い手が現れるその日まで、姫と王子は過酷でもきっと楽しい冒険の日々を過ごすのだろう。
そんなことを夢想しながら大好きな彼が待つ住居へ足を運ぶのだった。

「了」

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