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一遍上人をたずねて。

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一遍上人の踊り念仏について、調べたことや思ったこと、考えたことなんかを気ままに綴っています。
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#一遍

一遍上人をたずねて⑧

一遍上人をたずねて⑧

 遊女は、時代によって扱われ方が全く違う。元々は白拍子など、天皇や貴族に仕えた専属の踊り子であり、夜の夜伽もした。鎌倉期には随分と落ちぶれ、遊郭などで体を売るものや乞食(こつじき)のようなものになって全国を旅をしながら歌や踊りといった芸を売って暮らすものもいた。

 ひょっとして、一遍上人は遊女と合流してともに旅をし、彼女たちを躍らせて、自分は賦算を行なっていたのではないか?という妄想に取り憑かれ

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一遍上人をたずねて⑥

一遍上人をたずねて⑥

 一遍上人は各地で踊り念仏を広めていく。というのが定説になっているが、一体どのように広めたのか。という疑問を解消するため、まずは一遍上人の移動距離について整理することにした。

 伊予(愛媛)で生まれた一遍上人は、九州太宰府で修行しており、一番北は岩手県となっている。これを文明の力を用いて距離をまとめることにした。グーグルマップである。

 長島尚道、砂川博、岡本貞雄、長澤昌幸、高野修各氏による共

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一遍上人をたずねて④

一遍上人をたずねて④

 一遍上人よりも前、朝鮮半島で踊り念仏を広めた人物がいた。

 元暁(ウォンヒョ)、日本では、「がんぎょう」もしくは「げんきょう」とも呼ばれている。7世紀の統一新羅時代に朝鮮仏教界で活躍した僧で、日本では「無量寿経宗要」の著者として知られている。

 元暁は、華厳宗の僧侶でありったが晩年は破戒僧となり、俗服を着て小姓居士となのり、芝居道具であった大瓢で遊び道具を作って、これを持って念仏を唱えながら

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一遍上人をたずねて③

一遍上人をたずねて③

 平安末期から鎌倉時代にかけて仏教にかげりが見え始める。いわゆる末法思想というものである。それはそのはずで、比叡山延暦寺では貴族や朝廷の相続権を持たない子どもたちで溢れ、権力社会が横行し、ヒエラルキーができる。真言宗金剛峯寺でも、空海が作り上げた思想をツールとしてただ振りかざすだけで停滞し、衰退が始まる。

 そんな中から新しく出てくるのが鎌倉真仏教と呼ばれるもので、法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗、

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一遍上人をたずねて②

一遍上人をたずねて②

 一遍上人の踊り念仏とは、一体どんなものであったのだろう?私の興味は、その一点に絞られた。

 色々調べていると、湘南工科大学の長澤可也という教授が面白い報告書を出しておられた。一遍聖絵を元に踊りの順番を3DのCGで復元するというもので、聖絵は踊りの手順が記されたものではないかということであった。非常に興味深い。

 しかし、私にはどことなく言葉にできない違和感があった。一遍聖絵は、一遍上人が亡く

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一遍上人をたずねて①

一遍上人をたずねて①

 ひょんなことから一遍上人について調べることになり、ここ一年ほど彼について調べている。

 鎌倉期の僧で、踊り念仏を広め、のちの盆踊りや日本の伝統芸能に影響を与えた時宗の開祖。というのが一般的な一遍上人の説明だろう。

 彼の生涯を表した「一遍聖絵」などをみると、数十人の僧が櫓の上で踊る形で踊り念仏は表されている。これ見て私は今で言うところのクラブなのではないか?と思い、不思議な興味とともに一遍上

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