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スローモーションで哲学の胸に飛び込む

人はどんなことを考えた結果、本屋で本を手に取るのだろう。
そう考えたのがきっかけで、記事を書き始めた。
「まえがき」を除いて実質的に、今回が2回目になる。
前回は、第一回目だしノリと勢いが大事だ! と気合いが入って、カロリーが高いものになった。(読んでくださった皆さま、リアクションをくださった皆さま、ありがとうございます。)
若干暴走気味だったのではないか、というひとり反省会の結果を生かして、今回はもう少し落ち着いた調子進めたい。

さて私は例のごとく、本屋に向かった。
折角だし、noteで記事を書き始めた記念だ。……と何となく動機付けしてみたが、欲しいものがあるわけでもない。
完全なる思いつきだ。「最近こういうのが好きだなあ」みたいなのも特に浮かんでいない。

向かったのは行きつけの本屋だった。
私は神経を研ぎ澄ませ、本棚を見ていた。
行きつけの本屋は田舎の小さな書店なので、棚の本はそれほど大きくは変化しない。一週間程度のあいだであれば○○社の今月の新刊が入ったかなあくらいである。
この本屋には先週も来たばかりだった。一週間とあいていない。
新刊まだ入れ替わっていなくて、だから正直なところ、新鮮味というのはあまりない。

だが本屋とは不思議なもので、前の週に来たときには気にも留めなかった本の背表紙に、なぜだか翌週、突然目を奪われることがある。
ほぼ変化してないはずの棚、前にも同じ場所にあったはずの本が、なぜだかこちらの心をぐっとつかんでくる。本当に不思議だ。

私が見つけた本は、そんなふうだった。
新刊ではなかったが平積みになっていて、目立つ位置に置いてあった。前に来たときはスルーしていたはずだ。
なのに、気がつくと私は手に取ってパラパラとめくっていた。なぜだか急に惹かれたのだ。
こういうとき、棚から出した瞬間のことは覚えていない。
noteに書こうという気負いもあったから、普段以上に自分の内心に気をつけていたと思うのに、でも何故手に取ったかはわからないのだ。

パラパラとめくるのをやめて、改めて表紙を見たとき、ぎょっとした。
私が手にしたのは『暇と退屈の倫理学』(國分功一郎、新潮文庫)という本だった。

倫理学……だと?

そう、私はタイトルが気になって手に取ったのではなかった。そして、そのことに表紙を見て初めて気づいたのだった。
「本を選ぶときの頭の中の動きが知りたい」などと考えていた癖に、意識がどこかに行っていた自分に動揺した。同時にちょっとあきれた。
スポーツ選手がいうところの、ゾーン的なやつだろうか。
それとも武道家がよく言う(?)無心になるってやつかしら。

動機はわからないが、欲しいと感じた。一目惚れみたいなものだった。人間誰しも、こういう瞬間はあるものだ。
でもさすがに……と冷静になった。
「倫理学」……手に取ったことのない分野だ。基礎知識もない。
倫理の授業で記憶にあるのは、「考える葦」と「ルソー」と「ルター」くらいだ。ぱっと考えて浮かんだのがそれしかなくて、絶望した。
他にももしかしたら、単語を聞けば覚えているもののあるかもしれないが、それらを具体的に説明しろと言われても、たぶん無理だ。
一目惚れで手にする本としては、あまりにもハードルが高すぎる。

冷静になれ、と自分に言い聞かせた。
「一目惚れは流行病みたいなもの」って昔から言うじゃないか、知らんけど。
これまで、衝動買いをしてそれなりに痛い目にもあってきた。洋服とか、カバンとか、電化製品とか。
本ではそう痛い目は見なかったけど、積読本は毎年増えていく一方だった。衝動に任せた結果だった。
そろそろいい加減腰を落ち着けて、これぞという方(本)と出会いたい。前回、「ときめきを買う」などと言ったばかりだけども!

私はあらためて、『暇と退屈の倫理学』と向き合った。中身を知らずに判断するのも失礼な話だ。
目次だけ、確認してみた。
そして、膝から崩れ落ちた(心の中で)。

”序章 「好きなこと」とは何か?”

ああ……好き……。
ちょろい女、ここにありってかんじだ。
どうでも良いだろうが、一応理由を説明しよう。
まえがき」を読んだ方は、覚えていらっしゃるだろうか。

本屋の棚のあいだをぐるぐるしながら、「本を読みたい気持ちなはずなのに、私が読みたい本は何だろう。私の好みってどういうのだろう」とか考えてる。
さらには「そもそも好きな本って何だ。いや、好きとはいったいなんなのか」とかいうとこまで行くときは行く。もはや哲学

そう、すでにフラグが立っていた。
そしてフラグ回収があまりにも早い、早すぎる。

買うしかねえなってもう思っちゃうパターンだ。だってこう来たらもう、運命の出会い的なやつじゃん。
……とか考えつつ、冷静になった。私もいい大人なので。
一目惚れも、運命の出会いも、幻想だととうに知ってしまっている。勢いに任せて手を取るなんてできない。

改めて中身を確認した。
ふむふむ、本文は読みやすそうだった。
しかし「倫理学」。このハードルが大きい。この手の学問の素養はまるでない。ついて行ける自信は正直ない。「ファスト&スロー(上)」をいまだに積んでいる私だ。身の丈に合っていないかもしれない。

……などとなんかもう、おまえは身分違いの恋に揺れる村娘かとツッコミたくなるようなことを延々と考えた。(なおこの間、すべて無表情である。)

考えた末、私はそっと身を引いた(本を棚に戻して店を出るの意)。

一度は。

ここまで書いたら、そのあとの展開についてはもうおわかりだろう。
気持ちを振り切ったはずの帰り道、違う店で寄り道をしながらも、私の中で気持ちが大きく育っていく(お約束)。
脳内でテーマソング的な何かが流れた気がした。
私は息せき切って本屋へ向かった。

ない!
売れている……!
こんな短時間で!? あんな辺鄙な本屋なのに(失礼)!?

ああ、すれ違い。まじかよ、すれ違い。
こんな王道展開になるなんて。
縁遠くなればなるほど欲しくなるのは、人に対しても物に対しても同じだ。
いろんな読書家の皆さん、あるいは本に関わる人たちが口を酸っぱくして言っていると思うが、本はピンときたらすぐ捕獲するが基本だ。新刊でも、旧刊でも、古本でも、巡り合わせに二度目があるとは限らない。

違う本屋に行って、私はようやく『暇と退屈の倫理学』をゲットした

ちなみに現在はまだ読んでいる途中だ。二章に入ったくらいだ。
読みながら、私は何故、さんざん購入を悩んだのか掘り下げて考えてみた。

「倫理学というのがハードルが高そう」というのもあるけど、「暇と退屈」という部分が自分の心にちくりと刺さったんじゃないだろうか、と思う。

暇や退屈って、持っていると何となく罪悪感があるというか、よくない印象がある。暇なのはもったいないことをしていて、退屈は怠惰の権化、みたいな謎の感覚だ。
暇も退屈も嫌じゃない私としては、なんとなくそこに居心地の悪さを感じていたのかもしれない。
でも実際読んでみると今のところ、暇と退屈を責める本じゃなさそうだった。まだ最初の方を読んだばかりだが、もっと懐が深い本のような気がする。

安心して、寝る前にゆっくりと読んでいる。

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