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読書記録 4/19〜4/21『マルタ島のユダヤ人』など

 


読んだ時


 大学のサークルで新入生歓迎会を催したのだけれど、誰ひとり新入生が来なかった。仕方ないので、サークルの説明のスライドを写す用意をしていたプロジェクターでエヴァを流したり、他の人が買ってきてくれたお菓子やお寿司を食べたりして一時間半くらい楽しく過ごしたのだけど、だんだんとみんな深刻な顔になってきて、一体これから私たちはどうなるんだという話になった。みんなここでなんとかしなきゃ駄目だという危機感に煽られて真剣に今後の話し合いをしてかなり遅い時間まで大学にいたので、それから家に帰って身支度をしてからベッドに入ると、翌朝一限に間に合うように起きるには5時間と少ししか眠れなかった。
 一体どうなるんだろう。このままだと上の代が卒業したらもう存続できないが。みんな深刻な顔をしていたけれど、それでも用意していたプロジェクターで不思議なミュージックビデオを流しながら話していたので、変な空気にならなくて良かった。去年、わたしがサークルに顔を出し始めた辺りの時期も、似たような件でみんなが神経質になってたのを蚊帳の外で眺めていたのを思い出した。新入生が来たら優しく歓迎しようと思っていたけど、もう来ないのだろうか。
 サークルの人はみんな良い人だなーと思う。なんか、自分にはよく分からない方法で各々上手く立ち回ってコミュニケーションを取っていて、そうか、人付き合いって上手にやればうまくいくんだ、という発見が得られる。ある人が、葬儀屋で働いている人っぽい格好をしているんだか何だかよくわからないけれど、「葬儀屋で仕事?」って冗談で話しかけられてるのをそのまま受け取って、その人に「葬儀屋で働いてるんですか?」って話しかけたり、わたしは基本言外の意味を読み取れずに会話している。それなのに、みんなわたしに付き合ってくれてすごい。
 大学で“The Merchant of Venice”を読むので、図書館で種本の『マルタ島のユダヤ人』を借りた。大学のイギリス演劇の先生は、色々あって何を考えているのかよく分からない。上手くやっていく自信がない。『マルタ島のユダヤ人』を読んでいることも内心で「バカの癖に無駄な努力して・・・」って思われてそうで(大学の知り合いにこれを言ったら多分全員「そんなことはないと思うけど」って言うと思うけど)不安になる。
 

『生きるとは、自分の物語をつくること(小川洋子、河合隼雄)』

すごいタイトルだな。小川さんが好きなので読んだ。

人は、生きていくうえで難しい現実をどうやって受け入れていくかということに直面した時に、それをありのままの形では到底受け入れがたいので、自分の心の形に合うように、その人なりに現実を物語化して記憶にしていくという作業を、必ずやっていると思うんです。小説で一人の人間を表現しようとするとき、作家は、その人がそれまで積み重ねてきた記憶を、言葉の形、お話の形で取り出して、再確認するために書いているという気がします。

『生きるとは、自分の物語をつくること(pp.47~48, 小川洋子, 河合隼雄, 新潮文庫)』

 小説がすごく好きな子供って、みんな自分の人生をひとつの物語のように見たりすると思う。そういうのって大人になってまでやってるとちょっとおかしいんじゃないかと思われたりしそうだけれど、人間って誰でも物語を作って生きているんだし、むしろ自覚的になることは大切じゃないかと思う。

気になること

 十九歳の時期に読んだから考えてしまうのだけど、「大人になる」ことに対する絶対的な信頼って間違っているんじゃないかと思う時がある。例えば子供の頃、厨二病は痛い、とかいう意見を聞いて、「他人に迷惑かけないならその人の自由では?」と思ってた頃の方が正しかったな、と思う時とか。大人の世界では常識で考えて「痛い」振る舞いをしたら、それは良くないことなのだろう。子供の頃の方が、本当は賢かった。大人になるほど常識とかしきたりだけを信奉して、自分では何も考えなくなる。人の立場に立って考えられなくなる。誰しもが、こういう大人になる?

『彼と彼女(森遙子)』

 文章がすごく良かった。奔放な思考をそのまま写しとったような文章で、とても洗練されて、洒脱な印象を与える。
 でも、不思議な小説だった。この人の本は初めて読んだ。どうもお互いにうまくいかない男女の恋愛の短い話がたくさん入っている。しかし、どの作品も強烈に女のひとは男性を、男性は女のひとを求めていて、その理由はわたしには分からない。その理由が分からないと、どうしようもないのだろうか。そういう異性に向ける衝動は、どこかドラマ(観たことないけど)とか、ポピュラー音楽の世界の感性っぽいイメージ。

『男同士の絆 イギリス文学とホモソーシャルな欲望』第2章 恋する白鳥

 春季休暇の初日に下北沢の本屋で買った本。授業で“Tess of the D’Urbervilles”をやった時に先生が勧めていたし、元から存在は知っていて興味があったので買った。けっこう高かったけど、学生だから割引してもらえた。セジウィックもなんか、名前だけ百回くらい聞いたことがある気がする。へー、これがあのセジウィックなんだ・・・。ソルニットとかアディーチェとかロクサーヌ・ゲイとかは好きだけれど、セジウィックとかフーコーとかバトラーとか難しい人たちは知らない。

シェクシピアを白鳥(スワン)に譬える伝統と(略)。

『男同士の絆 イギリス文学とホモソーシャルな欲望(イヴ・K・セジウィック, 上原早苗, 亀澤美由紀
訳)』p.339

 そんな伝統があるんだ。ベン・ジョンソンがシェイクスピアを白鳥って言ったのは知っていたけど。それでこういう章題らしい。シェイクスピアのソネット集を分析している。
 とりあえず読んだけれど、はぁ・・・。分かるような分からないような。
 こんな感想しか書けないのに、記事につける写真にはしっかり表紙を写してしまうのが、わたしの良くないところだな。

『エリザベス朝演劇集Ⅰ マルタ島のユダヤ人 フォースタス博士(小田島雄志訳)』マルタ島のユダヤ人

 イギリス小説の先生に「元になった話(種本)も読んだ方がいいよ」と言われたから、読んだ。その先生は本当にいい人。正月と冬季休暇に帰省した時に、それぞれ温泉饅頭とゼリーを買ってきて渡した。どうしてかわたしは、お土産に生菓子ばかり買ってしまうので、他の先生にも渡そうかなと思って、その時に生菓子は嫌がられるかなと思って渡せなかった。そのイギリス小説の先生は懐が深そうなので、信頼して渡していた。しかも、今にして思えばその生菓子は、一袋一袋個別で配るようにではなく、箱ごと渡すように設計されたお菓子だった。多分何も言わずに差し出したら、貰い物を人に配っていると思われるとおもう。もうちょっと常識のあるお土産選びをした方がいいな。
 先生はカタカナで言う時にThe Merchant of Veniceのことを「マーシャント・オブ・ヴェニス」って言うし、The Jew  of Maltaのことを「ジュー・オブ・マルタ」って言う。
 戯曲って小説で言ったら台詞だけあるようなものだから、すいすい進む。あっという間に読み終わる。
 金銭欲に取り憑かれたマルタ島のユダヤ人のバラバスが、娘を修道女たちと一緒に毒殺したりと、悪いことをしまくって最終的に破滅する話。
 感想を書くにしても、えらくあっさり人殺しちゃうよなぁ、としか・・・。バラバスはかなり振り切れた悪人として描かれるけど、修道士もお金に目が眩んだり、クリスチャンの悪いところも描かれるんだなぁ。そして、アビゲールの死に際が印象的。最後は改心してクリスチャンになるのだけども、結局父親に殺されてしまう。アビゲールは好きだな。


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