コンクリートのゆりかごに揺られて

夏の夜空は冬のそれと違って、青が強い気がする。
冬の夜空が漆黒、あるいは限りなく黒に近い濃紺ならば、今夜の夜空はまさしく紺碧の空だった。そこに小さなガラスビーズをひと粒ふた粒落としたかのように、白銀にちらちら光る星が、何とも言えずきれいだな、と思った。
そして南東の空の少し低いところに、赤銅色というよりは琥珀色に一際目立つ一つ星。そう言えば火星が接近しているんだっけと思い出す。
夏の夜空は湿気のためか霞んであまりよく見えないことが多い。今夜は珍しく雲もなく、柔らかく澄んだ宇宙が私を見下ろしていた。

私が生まれ育った実家は、都会のど真ん中にある。立派な鉄筋コンクリート造りのマンション。最寄りの地下鉄まで歩いて五分、どこへ出かけるにも、平均以上の非常に便利な場所柄だった。
父は「ここより良い場所なんてない。ここ以外なんてありえない」が口癖だった(彼の実家、つまり父方の祖父の家は近所だった)。
それにひきかえ今の場所は、駅に出るにも一苦労だ。バスがなければ通えない。そのバスだって、30分に一本だけ。
そして残念なことにお世辞にも風光明媚な田舎とも言えない。インスタ映えは、非常に難しいだろう。

けれど、私は今のこの場所が、あの都会のマンションの一室よりも気に入っている。毎日バス停に向かうショートカットルートを歩くと、足元で何かがぴょんぴょん飛び跳ねてどこかへ行く。小さなバッタだ。私は、ここに移ってくるまでほんもののバッタを見たことがなかった。図鑑で見るようなもっとゴツくて大きい昆虫のイメージしかなかったが、あんなに華奢で小さい奴もいるのだ、と20代にして感心した。昨日は、踊り場にほっそりしたきれいな若竹色のカマキリがいた。都会にいた頃は、虫なんて近くにいるだけでおぞましかったけれど、最近はきちんと観察できるものが少しずつ増えてきた。死にかけのセミは、まだどうしても苦手なのだけれど…

昨日今日と関東は快晴で、絵に描いたような夏雲と、絵の具チューブから絞り出してそのまま塗りたくったみたいなコメットブルーが本当にきれいで、バスの時間も迫っているのに思わず足を止めて写真を撮ってしまった。
大雨が降った日や風の強かった日の夜、バスを降りるとかすかに潮の香りが鼻をくすぐる。近いわけではないけれど海の匂いが風に乗ってやってくるのだ。

私は、今まで生きてきたどの時期よりも、外をみるようになった。洗濯物を干す時取り込む時、その時々で空の色も雲の形も一度だって同じことはない。ついいつもそれに見とれてしまい、よく叱られる。
昔は上を向いてぼんやりゆっくり歩くより、せかせか歩いてさっさと自室にこもりたかった。そもそも星なんてまともに見えなかった。空は小さく切り取られてハギレみたいだった。
今は楽しい。眼に映るものがきれいでいくらでも宝探しができる。海の向こうの友人を思い出して、今のこの瞬間を切り取って見せてあげたいなと思う。自然の好きなあの子だから、きっと気に入ってくれるだろう。そんな想像をしながら。

それでもいつかは、祖母がいなくなってしまえば、きっとここを出て行く日が来るんだろう。半年後か、一年後か、あるいはもっと先になってくれるのか。
私は起こるかわからない先のことを予想して計画を立てるというのがどうも苦手だ。いつだって、今自分がこうしたい、しか考えられないし、考えたくない。伯母には、「よくそれで社会人ができる」と言われてしまうだろう。
それでも、満月の月明かりをサイドライトにして眠りにつく幸せを、今はただ単純に純粋に感じていたい。
コンクリートのゆりかごで育った私には、どれもこれもみずみずしく輝いて見えるのだ。

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます!