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しょうもなくかけがえのない予定たち

豆苗からマメを取り出してサヤエンドウを収穫し、最後にはまた豆苗を栽培するという動画を観て、なんだか分からないけど感動してしまいました。
マメすごい。


スケジュール管理にはGoogleカレンダーを使っている。
これは生活保護受給以前からのことだ。
パソコンからでもスマホからでも見られるし、誰かと予定を共有するにも非常に簡便で使いやすい。

ところでわたしは以前とんでもない遅刻魔で、友人知人との待ち合わせも、なんらかの予約も、時間通りに着くということがほとんどなかった。
いつのまにか遅刻癖が治ったので、そのへんの話もいずれ書きたいと思う。

遅刻魔時代から使っていた、Googleカレンダー。
出かける予定があれば時間と場所を書き込むし、誰かと一緒であるなら名前もメモする。
メモ欄はたくさん書けるので、行った先で寄りたい店や、その日会う相手に返す本などについても、書いておける。
ネット上のカレンダーのいい点は、メモがたくさん書けることと、地図が連動すること、何度でも修正ができることだ。

現地までの地図を参照するに便利ということもあるが、どちらかといえば、カレンダー上に指定した場所や建物の画像が出てくるのが好きだ。
単純に眺めていて面白いし、建物の外観を覚えれば、当日それを目印にすることもできる。
ライブハウスなんかを場所指定すると、建物の外観ではなくライトアップされたステージの画像が出てきたりして、テンションが上がる。

紙のカレンダーも鉛筆や消せるボールペンを使えばいくらでも修正できるが、テキストデータならばより手間なく、綺麗さっぱりと消せる。
その点にもウェブカレンダーに利がある。

日々、便利にGoogleカレンダーを使っているが、そのうえで、毎年小さなスケジュール帳を買っている。
雑貨屋とか100均とかに売ってるような、メモ帳みたいなやつ。
なんのためかというと、Googleカレンダーに書き込んで遂行した予定を、そっくりそのまま書き出すためだ。
Googleカレンダーは無料のウェブサービスだし、当然ながらわたし個人が運営しているサイトでもない。
何年も経てばアーカイブはいずれ消えてしまうだろう。
そしてわたしの記憶力はごく素朴に脆弱なので、自分がいつなにをしたか、すべてを記憶し続けることはできない。

2023年の1月はこういう予定があったんだなあ、というのを、あとになって思い出すためには、記録を残しておく必要がある。
過去の記録や記憶は、誰かに見せるとか、どこかに提出するとかのためではなく、自分が眺めるためにとっておきたい。
こうしてエッセイめいた文章を書くのにも役立つし。

同じ理由で、ここ10年くらいはかなりこまめに日記も書いている。
パソコンのメモ帳なので読みづらいこと甚だしいが、データも軽くメモリも食わず、その時の気持ちや考えを延々と書けるので、重宝している。

13:00~14:00親知らず抜歯とか、
Aちゃんと渋谷で会ってごはんとか、
26:00からのラジオ絶対聴くこと!とか、
そういう、あっという間に忘れてしまうような、世にもしょうもないことばかりがちまちま書き込まれているGoogleカレンダー。
コロナ以降はそういったものの多くは鳴りを潜め、2021年の春からは、役所、病院、家庭訪問、カウンセリング、書類を受け取りに、などというものが増えた。
それは生活保護受給前夜、死ぬしかないかもしれないなあと思いながら生きていた頃の記録でもある。
そのひとつひとつは、結局、些細なことにすぎない。

生きるというのは、そういった些細な雑事のくり返しなのだ。
次々に訪れる些細な予定をこなし、次から次に忘れていくことも含めて。
そうであれば、いちいち書き留めるにも値しないようなしょうもないことこそを、わたしは記録(あるいは記憶)しておきたい。

「1年が終わったら、Googleカレンダーの予定を全部手帳に書き出すぞ」
毎年10月頃になると、勇ましい心持ちで決意し、スケジュール帳を買う。
買うのだが、なんといっても1年分の予定の書き起こしなので、面倒でつい後回しにしてしまう。
今のところ、1冊もアーカイブを書き起こせていない。
まっさらなままのスケジュール帳が、今年でついに5冊になってしまった。
ドヤ顔で人生を語りながら、なんという体たらく。

でもまあ、そのうちどうにかして書き起こす日がくると思う。多分だけど。
腹を決めたら、その予定もGoogleカレンダーに書いておこうと思う。
予定を遂行できてもできなくても、綺麗さっぱり修正させてくれる、寛容ではかないテキストデータとして。


では、また。

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