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「男子の文脈」で行われる学校教育と、かまわれない女子生徒

「女性の時代」ブームの30年前

男女雇用機会均等法が施行され、80年代後半から1990年代にかけて「女性の時代」ブームでした。この頃私は、高校生、大学生という社会での自分を思い描く年齢。思い描いていた自分の40歳代は、企業で管理職に就き、部下には男性だけでなく女性もいて、意見活発な会議を行っているようなイメージでした。

しかし、就職活動で直面したのは、女子学生は縁故採用しかない’’名門’’企業、「当社では男性1人につき女性が2名アシスタントとしてつきますが、結婚したらやめてもらいます。」という女性をけん制するための女性蔑視発言。他にも、一人暮らしの女性は不採用だと言われて、地元に戻ることにした友達もいました。それは、まるで「女性は男性の機嫌をとることができるのが常識」と知らしめる儀式のようでした。

「社会規範」が女性の人生を作る

一方で、日本における女性の最終学歴と職業キャリアのアンバランスさは、OECDの「Japan Policy Brief」(2015年)によっても指摘されています。高等教育を受けているのは女子の方が多いのに(2013年25~34歳の女性の67%が高等教育学位を取得、男性は56%)、収入は男性よりも27%近く少ないという指摘です。

これは、高等教育には短期大学も含まれていること(4年制大学の卒業生、2020年、は男性56%、女性44%)、男子に比べて女子のSTEM分野への進学率は3分の1にとどまっているなど、企業の女性に対する扱いの悪さに加えて、女子が受けている高等校育の内容による影響(親による教育進路への影響)もあると考えられます。(ちなみに、「女性らしさ」に対する考え方は、両親の性別役割分担に対する考え方が影響していて、それがキャリア進路につながっていることも知られています。また、米国の研究ですが、思春期初期の女子は、特に、母親の教育、仕事の経験、性格、性別役割分担の価値観の影響を受けるという指摘もされています。)

さて、なぜいつまでたっても、社会は女性に給与を払わず、女子生徒は''女性特有''の教育進路(教育、語学、文学、看護、福祉に偏っている)に進むのでしょうか。諸外国の人権意識が変化していく中で、日本が30年間変わらなかったのは、制度がまだ不足しているからでしょうか、独特の価値観によるものなのでしょうか?

社会学には「規範」という言葉があります。この規範こそが、30年間日本の女性のおかれた抑圧的状況が変わらなかった理由のヒントなのではないかと私は考えています。

規範(社会規範とも呼ばれる):社会集団の構成員が共有する行動のルールまたは基準。規範は内在化されたもの、すなわち、外部からの報酬や罰を受けなくても適合するように個人の中に組み込まれたものである場合と、外部からの正負の制裁によって強制されるものである場合がある。(Britannica.comからの翻訳)


学校教育が「規範」を浸透させる

そこで、学校教育における性別役割規範の浸透について詳しく知ることが、日本で女性への抑圧が続く理由を理解するのに役立つのではないかと考えました。少し古くなりますが、「良妻賢母」思想を採用している学校の女子生徒は、職業的なキャリアを志向せず(お嫁さん志向)、「自主自律」の理念を採用している学校の女子生徒は、職業人としてのキャリアを志向するという研究結果もあります。

性別役割規範が、社会学でいうところの「隠れたカリキュラム」として、存在していると考えてみるのが妥当でしょう。

隠れたカリキュラム:学生が履修しているアカデミックなコースとは関係のないところで、暗黙の了解となっている価値観や規範、行動を、ただ学校にいるだけで習得すること。学校がどのように社会的不平等を生み出すかという社会学的研究において重要な問題とされている。(Thought.Coからの翻訳)

隠れたカリキュラムは、1960年代から研究されていて、21世紀に入ってからも、「学校とは、政治的な機関であり、支配社会における権力や支配の問題と密接に関係している」と指摘されています。さらに、「学校は、階級とジェンダー関係の社会的・文化的再生産を媒介し、正当化している」とも言われています。

男子の文脈と女子の教育

Watson, Quatman and Edler (2002)による、学力の高い思春期後期の女子生徒について、共学と女子校を比較した研究では、女子校の生徒の方が共学の女子生徒よりも自信を示し、高いレベルの志向を維持できることが分かりました。共学の学校になくて女子校にあったものは、

□ 女性ロールモデルの身近さ
□ 教師の関与
□ 仲間との相乗効果
□ 親のサポート

です。共学では、男子生徒の文脈で人生とキャリアが語られるのに対し、女子校では、教師が「女子生徒の人生と可能性に焦点を当てる」ことができるということが、最も決定的な違いだと分かりました。つまり、女子だけの環境にしないかぎり、男子の文脈で全てが語られてしまうのです。

加えて、成績優秀な思春期の女の子は、成績優秀者としてのアイデンティティと、女性としての社会規範のプレッシャーとの間で葛藤していることも分かっています。学校の隠れたカリキュラムは、その葛藤を解決することもできれば、長引かせることもできます。さらに、女性リーダーのロールモデルは、社会的規範の変化に影響を与えることがわかっています。


個人的感想追記:「少年よ、大志を抱け」 

自分が女子生徒として在学している時に「女子だから抑圧されているのだ」と思って過ごしはいませんでした。社会には男女差別があっても、学校内ではそんなに差別を感じなかったという人が多いのと一致しています。

でも、様々な文献を読みながら「学校は男子生徒の文脈で教育されている」と、気づいたとき、「少年よ、大志を抱け」 'Boy's be anbitious'というクラーク博士の言葉を思い出しました。この「少年」'Boy'という部分が引っ掛かって、この言葉を自分の中で響かすことができなかった思春期を思い出したのです。

約30年前、「女性の時代」と言われ、女性だけを特集したグラフィック大型本が家にありました。大志を抱きたいと思った私はロールモデルがあるだろうかと思って、ページをめくりましたが、編集に携わったのは男性だったのでしょう、そこには男性の文脈での女性の人生しかありませんでした。愛人として生きていきていたり、劇的な恋愛をしていたり。文学者はいても経営者も科学者もいませんでした。思春期後期だった私は、「女性は色気がないと社会で成功しないのだろうか」「女性はどうしたらリーダーになれるのだろうか、世界を変える発明者になる方法はあるのだろうか」と落ち込み、大学進学に価値があるのかも分からなくなりました。

その頃の私に教えてあげたいです「その本は男性が作った本ですよ、あなたの人生は男性が作るものではないのだから、あなたの文脈で自分の人生を手にしなさい」と。これから社会に出る少女たちには、「女性の文脈での社会」を用意したい、と強く思うのです。


参考文献
Giroux, H. A. (2001). Theory and resistance in education: Towards a pedagogy   for the opposition. Greenwood Publishing Group.
Kentli, F. D. (2009). Comparison of hidden curriculum theories. European   Journal of Educational   Studies, 1(2), 83-88.
Jackson, P. N. (1968). Life in Classrooms New York: Holt. Traducción española         en Marova.
中西祐子. (1993). ジェンダー・トラック 性役割観に基づく進路分化メカニズ        ムに関する考察. 教育社会学研究, 53, 131-154.
Sadker, M., & Sadker, D. (2010). Failing at fairness: How America's schools   cheat girls. Simon and Schuster.
Watson, C. M., Quatman, T., & Edler, E. (2002). Career aspirations of   adolescent girls: Effects of achievement level, grade, and single-sex   school environment. Sex roles, 46(9), 323-335.


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