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台湾まぜそば、グルーブ、船と海(週刊エッセイ:2023年8月 第3週)

8月14日(月)

テキストコンテンツのプラットフォーム「note」を使いはじめた。

手はじめに別の場所で書いた記事をいくつか転載したのだけど、フォロワーがいないのでまったく読んでもらえない。これではさみしいしむなしいので、まずはブログらしく日記を書いていきながら地道に読者を増やしていきたいと思う。

毎日書きためたメモを週末に清書し、それを一週間単位で記事にする。日々を違ったアングルから眺めるために、気になる時事も記帳していくことにした。こういうことをキチンとシッカリ続けていけば、フォロワーを増やすばかりでなく、自分の日常に隠れている驚きや笑いを探し出すことにも繋がるはずだ。キチンとシッカリ続けていけば!

継続は力なり。千里の道も一歩から。それではみなさん、よろしくお願いします。

◆ 8月14日:イランの国会議員選挙の立候補が締め切られる。290の定数に対して、立候補者数は48,847人にのぼった。供託金制度がないことに加え、オンライン化によって手続きが簡単になったことが影響したといわれている。なお、登録者のうち女性は14%だった。

8月15日(火)

横浜・関内の「濱星」で、薫慧と台湾まぜそばを食べる。この店の看板メニューは煮干しそばだ。しかし、どろにぼ濃厚煮干しそば、鬼煮干しそば、超濃厚担々麺と迫力のある商品が並ぶなかで、その食券売機の片隅にひっそりと咲く台湾まぜそばを僕は愛してやまない。

薫慧は台湾の出身だが、台湾まぜそばを食べたのは初めてだという。それもそのはずで、台湾まぜそばというのは台湾の味付けにインスピレーションを受けた日本人が名古屋で作った料理なのだ。もちろん、現在となっては台湾に出店している例もあるかもしれないが、少なくとも薫慧は母国で台湾まぜそばを見たことはないという。

似たようなものに、フレンチトーストやジャーマンポテトがある。いずれもフランスやドイツを起源とする食べものではない。名前に地名がついていても実はその地域のものではないという例はたくさんあって、それは料理に限った話でもない。

かつて日本では、ある形式の性風俗店をトルコ風呂と呼んでいた。もちろん、トルコの国は無関係である。1980年代の前半に改名運動が起き、ソープランドと改められた。(この運動の旗振り役となったのが現・東京都知事の小池百合子だ。)

もともとは、個室付浴場のことをトルコ風呂と呼んでいたらしい。そこに赤線の廃止によって行き場を失くした性産業が合流し、個室の風呂で性サービスを提供する場に発展した、というのが定説だ。

しかし、そのもともとの個室付浴場にしても、上海にあったトルコ式の風呂のあり方を日本人が真似したのがはじまりだというから、もうだいぶあやしい。コピーのコピーなのだ。伝言ゲームと同じで、情報は伝えられる過程でその姿を変えてしまうことはよくある。そんな中、日本のトルコ風呂に感銘を受けた韓国人が自国で同じような性風俗店をつくり「トッキータン(トルコ風呂)」と名づけて広まってしまったというのだから、いよいよ罪深さは増していく。

ただ、トルコの方々には申し訳ないが、こうしてそれぞれの文化が交錯しつつカタチを変えていく様子には、生物多様性の複雑さを目の当たりにしたときのようなトキメキも感じる。世界のどこかで異なる文化の交流が続いていることを思い起こさせる瞬間だ。情報産業に従事していると、日常生活の秩序や合理化へのこだわりに囚われ、このような習俗や流行が絡み合って織りなす景色を見落としてしまうことがある。しかし、人々の生活というのは本来制御することのできない文化の渦中にあるものなのだろう。

◆ 8月15日:終戦記念日。戦後78年。

8月16日(水)

仕事を早めに切り上げてお台場へ。Zepp ダイバーシティ東京で、Kroi と Tempalay のツーマンライブを観た。どちらも好きなバンドで、特に Kroi はいま最も勢いを感じるバンドだ。演奏している姿を生で見るのは今年の GREENROOM FESTIVAL に続いて二度目になる。

僕は、音楽、特にロックバンドが創り出す「グルーブ」というものに特別な興味がある。ライブに足を運ぶのも、そのバンドの現在のグルーブを自分の肌で確かめたいと思うからだ。

グルーブとは、身体全体が感じるリズムやビートの響きを指す言葉である。その心地よさの正体は、ビートを打つタイミングやアクセント、楽器間で共有されるリズムパターンの反復とそのズレなど、音楽理論としてある程度解析されている。だが、譜面の上だけでその魅力の全てを説明しきるのは難しい。

実際、グルーブが生まれるときには、譜面以上に「演奏者」という存在が前面に出てくる。そして、演奏者たちの人間関係が作品に色を添えることで、ライブは社会性を帯びながら熱量を増していくのだ。

僕は学生時代に多少の演奏経験があるが、演奏する立場に立ってみると、長い年月を一緒に過ごしたメンバーとの心地よいグルーブもあれば今日初めて演奏する相手との間に生まれる緊張性のグルーブもある。技術の巧拙や練習量の多寡だけではなく、演奏に至るまでの心の躍動がステージ上のコミュニケーションに深く影響しているように思う。それは観客にも伝わり、やがてステージと客席の間にも共有されていく。

観客の側からしても、ステージ上の一体感が音楽を通じて躍動的に広がっていくときのあの興奮は、他のどんな経験にも代え難い。身体の感覚が周りの人たちと一体化していき、喜怒哀楽のすべてをこの場に委ねてしまいたいという気持ちになる。そして、今日のライブはまさに特上のそれだった。

Kroi はこれからもどんどん演奏を上達させていくだろうし、認知度も高まっていくことだろう。それでも、今日この会場で湧き上がっていた彼らのグルーブは、いまが一つの頂点であるような感触があった。少なくとも今日 Zepp に来た人たちは全員その特別な感覚を共有したのではないだろうか。

みんな若いのにすごいなあ、とオジサンは思うのであった。

◆ 8月16日:ドイツで、個人が嗜好品として少量の大麻を所持、栽培することを認める法案が閣議決定される。流通の管理により薬物関連の犯罪を抑止することが狙い。

8月17日(木)

お盆に合わせて長期休みを取っていた同僚が出勤して(といってもリモートだけど)久しぶりに話をした。連休中は瀬戸内海の島に行っていたという。

「行き先に関わらず、船に乗って移動するという体験自体が気分を高揚させるものですね」と同僚が言ったので、

「分かります、クチバシティからサントアンヌ号に乗ったときの圧倒的興奮に敵うものはありませんよね!」

と口から出そうになったが、三十代半ばになっても小学生のときに遊んだゲームの経験を頼りに生きているのがバレるのでやめておいた。スズメは百まで踊りを忘れないらしいが、僕が忘れないのはポケモンなのだ。スズメのほうがよっぽど立派な生き方をしている。

ゲームの世界で船に乗ったのは小学生の頃だが、現実に初めて船に乗ったのは中学生になってからだ。

中学、高校と六年間、僕は週末のほとんどを三浦市にある油壺のヨットハーバーで過ごしていた。自衛隊を引退した正木成虎さんという方にヨットの乗り方を教えてもらっていたのだ。

正木さんは防衛大学を卒業後、海上自衛隊に所属し、潜水艦の艦長まで務めた経験豊かな海の専門家であった。また、穏やかな笑顔で周囲を包み、暴力や強い言葉を使うことなく指導にあたる達人でもあった。いまでも「リーダーシップ」という言葉を聞くたびに、正木さんの姿が心に浮かぶ。

正木さんの船は二十七.五フィートのクルーザーで、僕はそれに乗って友人たちと相模湾を遊び倒した。長期休みには遠出をして、東は房総半島の館山、西は伊豆半島の下田、南は大島を越えて新島・式根島まで行く旅をした。

こう書いてしまうと、それはそれは優雅でセレブな遊びのようだが、実際に船を走らせるというのは過酷なスポーツである。

正木さんの指導ポリシーとして、原則的に「機走をしない」というものがあった。機走とは、船がエンジンを使って走ることだ。モーターボートは常に機走である。ヨットの場合は、風を帆で受けることで推進力とすることができて、これを帆走という。クルーザーは状況に応じて帆走か機走かを選ぶことができるのだが、正木さんの門下生には、特別な事情がない限り帆走しか認められなかった。

帆走は大変だ。とにかく、頭も身体もフル回転し続けなければならない。

海上では、風向きや風力、潮の流れ、波の大小、他船の動きと常に状況が変化し続ける。そのなかで目的地に向かうために、マストのてっぺんにある風見鶏を見て風向きを確認し、セールについたテルテールを見て風の流れを判断する。メインセールをどれだけ上げるか、ブームをどれくらい絞るか、ジブセールはどの大きさのものをどの角度で張るか。自分で考え、クルーと相談し、指示を出し、推進力を最大に保つように調整を行う。その間も絶えず押し寄せる波に対処するため舵を正確に操らなければならない。もちろん、各ポジションは交代しながらやるし休憩も挟むが、長いときはこれを七〜八時間と続けているのだ。

勉強は苦手だったが、多少の理科系の知識は海の上で必要に迫られて身につけた。例えば、緯度と経度を定期的に測定し、それを海図に記入することで潮の影響や自船の速度を計算する。この作業は船室で行うのだが、モタモタしていると船酔いにやられるので、嫌でも計算方法を覚えることになる。あるいは、漂流物を見つけたクルーは「二時の方向、十メートル、漂流物あり!」といったように叫んで報告を行うのだが、風向きが悪いとどんなに大きな声で叫んでも声は届かない。音は空気に乗って伝わるのだということを身をもって知った。自然のことは自然から教わるのがてっとり早い。ジョン・デューイのいうこともあながち間違ってはいないのだ。

高校生のときに船舶免許を取得した僕は、大学生になってから横浜ベイサイドマリーナのクルーザーを管理する会社でアルバイトをはじめた。

業務内容は次の通り。クルーザーのオーナーから「今週末乗るからよろしく!」と連絡が入る。すると僕たちはその船の甲板をゴシゴシ洗い、船室の掃除をして、整備点検をした後に燃料を満タンにして当日に備える。多くのオーナーは自分で操船することはできないので、当日は僕たちが運転代行をすることになる。扱う船は僕が油壺で乗っていたものより一回りも二回りも大きく、船室にはホテルのようなベッドやキッチンがあって驚いたが、基本的な仕組みは一緒だった。

当日になると、マリーナにやってきたオーナーから「景色のいいところをさ、いいかんじに回ってよ」というような注文を受けるので、僕は「あいよっ」と言ってテキトーに東京湾の端っこをくるりと回って戻ってくる。その間、オーナーやそのご友人、コンパニオンの方々には、デッキで料理とお酒をお楽しみいただくという流れだ。

この手のケースで帆を揚げることはまずない。機走での運航は拍子抜けするほどカンタンだった。行きたい方向に舵を向けてエンジンを吹かせばいい。もちろん、多少の外的な状況に対応する必要はあるが、帆走に比べれば考えることは百分の一くらいだった。往復の交通費と3,000円の時給に加えて、万札のチップをもらうことも多く、僕はまたたく間にこの仕事に慣れていった。

そんなある日、船舶免許を持ったオーナーが横浜から仙台まで航海したあと、当人は新幹線で帰ってきてしまったので、残されたクルーザーを回収してくるという仕事が発生した。

業務スケジュールが詰まっていて、その船はどうしても夜間に運転して戻ってくる必要があった。幸い、僕は正木さんの下で夜航海の訓練を積んでいたし、海図ではなく星を頼りに目的地に向かう演習を行なったこともある。まあ余裕だろう。自信満々で口笛を吹きながら引き受けた。

当日は信じられないほどの悪天候だった。

現場から社長に連絡し状況を伝えたが、業務スケジュールを変更することはできないという。正木さんの教えでは「荒天の際は近くの港に避難し、無理は禁物」だったが、しがないバイトの身としては、社長の判断に従うことしかできなかった。

雷鳴とともに荒れ狂う夜の海上は圧倒的恐怖体験そのものだった。クトゥルフ神話で描かれるような闇の海を一心不乱に突き進みながら、何かに衝突して引っくりかえったら、自分はたちまちこの海の藻屑となってしまうんだろうなあ。ゲームと違って、これは失敗してゲームオーバーになってもやり直しは効かないんだよなあ。と思ったことを覚えている。

横浜に戻ってから、僕は社長を掴まえて「安全の確保ができない状況で働くのは無理だ」と伝えた。社長は「あの程度の天候なら運行するのは普通だ」と言った。

たしかに、その業界の慣習としては許容範囲内の天候だったのかもしれない。社長から見れば僕はまだ学生で、業界の実態に疎いと思われていただろう。しかし、正木さんなら絶対にあの荒れた海への出航を許可しないはずだ。この対立を機に、僕はバイトを辞めてしまった。

荒れ狂う海の記憶は鮮明だが、それももう十五年前のことだ。最近はまったく船を運転していない。

年に何度か佐渡島に渡るので、そのときは大きなフェリーに乗って移動する。ホバークラフトの高速船もあるのだが、波の揺れを感じながらゆっくり進むフェリーのほうが好きだ。

フェリーが港を出ると毎回、僕は甲板に上がって、遠ざかる陸地が水平線に溶けていく様子をずっと眺めている。

◆ 8月17日:ハワイ・マウイ島山火事で、110人の死亡が確認された。1,300人以上が行方不明となり、アメリカで起きた山火事としては過去100年で最悪の被害と報じられる。

◆ 8月17日:甲子園大会ベスト8が出そろい「丸刈りじゃない」3校が勝ち上がったことが話題になる。(関連:『Number』青春の押し付け問題

◆ 8月17日:『奇奇怪怪』第二集発売。夕方、代官山蔦屋書店に行って購入する。うれしいなあ。(関連:『奇奇怪怪』の少年ジャンプ的な冒険心、あるいは上品さについて

◆ 8月18日:10月から適用される都道府県ごとの最低賃金が出そろい、全国の平均時給は1,004円となった。物価高騰を背景に、国の目安を上回る引き上げが相次ぐ。

◆ 8月19日:日米韓首脳会談にて共同声明の発表。中国が及ぼす安保と経済両面のリスクに備え「かつてない強固な関係」がうたわれる。

◆ 8月19日:イーロン・マスクXのブロック機能を廃止すると公言。是非はさておき、ブロック機能がない SNS は AppStore の審査が通らないと思うのだが、どうだろう?(Chooning はそれでリジェクトされたことがあるのだけど…。)

8月20日(日)

どんなに医学が発達しても、コンタクトレンズのウラオモテは無くならないのだろうか。両面どちらでも使えますよ〜というタイプがあれば爆売れすると思うんだけれどなあ。USB の端子だって Type-C のようにきちんと成長しているのだから、少しは見習っていただきたい。(意訳:またコンタクトレンズを無駄にした!)

夜、中野のビストロ・root で妹と食事をする。彼女は八年間北海道で暮らしていたが、この春その生活に一つの区切りをつけて帰ってきた。

僕は妹に対して「土地と自分のアイデンティティは切り離したほうがよい」「その土地に愛着を抱くことは大切だが、その気持ちを持っているのが自分らしさだと規定してしまうと、要らぬ制約を課すことになる」と、それっぽいことを言った。兄というのは人の気も知らずにそれっぽいことさえ言っておけばよいのだから楽なものだ。

帰ってきてから気づいたが、妹と会うのは二年半ぶりだった。

◆ 8月20日:東京都が今年21日目の猛暑日となり、年間最多記録を更新。35℃以上になった地点は全国で180以上。各地でゲリラ雷雨が相次ぐ。