ちょき

こんにちは、ちょきです。趣味に生きる木こりです。書くことは正直を生きることだと思ってい…

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こんにちは、ちょきです。趣味に生きる木こりです。書くことは正直を生きることだと思っています。自分の正直をこの場を借りて無限に証明していきたい。フォローしていただけると書く励みになります、よろしくお願いします。

マガジン

  • エッセイ

    なるべく短めで、読んでもらいやすいようなものを心がけたい 長文に暴走しないように自分を調教しながら書いてみます。

  • 日記

    書き綴った日記置き場

  • 僕は大阪や東京の路上で半裸やモヒカン、マクドの看板の上や、ビルのボイラー室やリッツの便所で、スケッチブックに黒鉛の塊で殴るようにして詩を書いたりしていました。 また、山や薪ストーブの前で優しく書くこともありました、そんないくつかの詩を紹介したり、新しく書いてみたりしたいと思います。

  • 過去の日記。セレクト。

    僕は18からだいたい15年ほど膨大な量の日記を書いてきました。 書物にしてみたら400ページ8冊程度のボリュームになりました。その中から、自分が読み返して気に入った日記を、セレクトしてここに並べます。 最近文章を書く余裕がないので、せめてたまに自分の日記を読んでみようと思い、その中から紹介していきます。

  • 読書〜突き抜けた書評〜

    本が好きです、そして書くことも好きです。読めば次第に書きたくなる、感想や書評にとどまることができません、いつしか著者になった気分になって無責任なドライブをしてしまいがちです、その刹那、本来自分のものではない思考や閃きと出会えたりするような気がするんです。

最近の記事

失敗レジスタンス

存在と僕の行間を埋めるために文字は存在する、もしそうだったら、文字をたくさん並べれば、それが橋となって僕は存在に近づけるだろうか。 握りしめた石のぬくもり、それは掌の血だ、石は冷たいもん、どくどくどく、僕の皮膚の内側にはあつい血が流れている。 ランチ時、陽射しをかわそうと半裸で作業道の赤土むきだしの斜面に身をかがめる、汗壺に漬け込んだみたくびしょ濡れの服は脱いで日に晒して乾かしている、まるで機銃掃射から身を守る塹壕の兵隊みたいだ、片肘を地面にさして安定させてコンビニで買っ

    • 届かない拳、届かない言葉

      もう少しで顔に届かない拳。あと少しで心に届かない言葉。 なぜなら足がその分だけ遠くにあるから、上半身を目一杯伸ばしても足が遠ければ届かない。スタンス。 人はどうやって距離をとり、その距離をぼやかせて接近するんだろう、若い頃の自分はまったく距離を無視することができた、言葉においても拳においても、もちろんこちらの拳が届くところでは相手の拳も届いた、言葉においても相手を容易に傷つけうるような言い方を平気でし、自分もまたそれによって傷つくことができた。言祝ぐような、祝砲のような、何

      • 。なし文

        あは、、 振り返れば夏があんなところに、でもまだ夏。だ。 陽射しは帽子を貫いて頭に直接に何か語りかけるみたいだ、それがもうやかましくって本来そこにあるべきはずの思考や思念や情感のようなものたちが、追い出されちまってる。 前に現場を監督と完了検査に立ち会った、現場までは車で行ける林道のどんつきからまだ作業道を15分ほど徒歩であるかないといけなかった、そこで担当の補佐をしていた人が途中突然立ち止まって動かなくなった、みると帽子の隙間からダラダラと汗が流れて目がうつろになってい

        • 魂の帰還者

          一般的にほとんどの人は何者にもなれない、そう思うと凹むけども、ちょっと踏みとどまって考える。 「何者」とは何者だ? 肩書き、実績、偉業、ブロンズ像、著者、芸能人、アイコン、チャンピオン。 何者たち、そして僕らは輝く彼らを見上げるだろう、憧れるだろう、夢見るだろう、それともそれは夢ではなく、目標であり、達成するための指標なのかもしれない。 僕は10代から20代の前半までは本気でチャンピオンになりたいと思っていた、だからチャンピオンに会いに行ってチャンピオンと練習したりした

        失敗レジスタンス

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          2本
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          11本
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          4本

        記事

          本音の一種

          夜が僕の背中を追い越して日をまたいだ0時半。 今日も文を書けたら嬉しいなと思っていたけど今日は明日になっちった、でも寝ていないからまだ今日だよな残今日の余興にちょと書こう、書いてるだけで幸せだ。 この文自体や貴重なこの文を読んでくれる人たちには失礼かもしれないが、文を書くのは余力においてな昨今である、まーじで1日なにやかにやで時間目一杯消費したわけだ、労働の日もある、いわゆる家族サービスな日もある、そしてもうひと踏ん張りおチビと一緒に寝落ちするところを踏みとどまって、目を

          本音の一種

          あさ

          っとも言えないような気だるい朝。 山をジップロックに入れてダッシュボードに数ヶ月放置したみたいに空気が白くかすれてる 空気腐っとるんか?こないだの地震で伊方ボンしたんちゃうやろななんて疑念 地震で翌日休みにしたピクニックした空気は白い末世かよ、子供達の笑顔は現世こそが現世で楽しいことがあれば爆笑するしムカつくことがあればなきわめく、だよな 松山に借りた部屋で朝食をとると仕事へのモチベが半減するので、出てからファミレスで朝食を食うていると何か書きたくなって仕事忘れて書き出した

          呪術散歩

          あぁ文章書きたい書きたい詩も書きたいなぁーと日々思ったまんまのクラウチングスタートの姿勢のままで今日に至る。痕跡、文字として痕跡が残らないと日々がまるで無いみたいだ、過去は記憶すべきもの?過去を燃焼し忘却のジェット噴射で俺たちは現在に立つことができているのかもしれない。それとも、過去は物質のように積み重なりその上に立つ高さによって人生は計られるんだろうか? 最近の人には性別も年齢も聞いてはいけないらしい、人に何で聞いたらあかんの?とたずねたら、年齢答えて「あら、お若いですね

          呪術散歩

          宗教の発生

          原始、はじめて屋根の下に入った人間はどう思っただろう はじめて神の視線からまぬがれ、はじめて自分の空間をもった人間をおもう 原始祭祀、人類の祭祀の痕跡を辿ればそこには必ず陰がある、岩陰。大きすぎる空を岩や大木に隔てられた閉じられた空間、なぜ空に向かって、高天原に、神がみに直接手を合わせることなく、岩陰でひっそりコソコソと神の目を盗んで祭祀を行うのか。 仏教は空を想い無を思う、それなのにどうして法衣が剃髪が仏閣が必要なのか 神道においては岩や山や杜こそが御神体でありそれを

          宗教の発生

          山の神

          朝から昨日とは質の違う寒気を感じていた、最近は毎日とは言わないまでも数日の度に質の違う気温、気圧、空気がたちこめている。 気候に体調や感情が左右されるのは年のせいだろうか、それにしても寒暖差に気圧差に、さらに僕の場合は仕事柄、標高差まで加わってくる しかし、社会の仕組みというものは気圧、寒暖、標高差、出勤移動距離などというものはパーソナルな問題に過ぎないと断じて、日常はあくまでも日常であると平均均質的な労働を僕らに求める。 山に向かうそばから雨だ。午前までの予報だったの

          住処に住む方法

          おそらく、18の頃からなにも変わってなどいない。 およそ20年の間僕は何をしていたのか、何かに挟まったままでここは何処なのか 夜、冷たい夜気の風に吹かれて、首をすぼめて自転車にのり走り去る人々、あらゆる人が僕を通過していく。 商店街は明るい、マクドやドンキ、大型のチェーンは空いているらしい、この空気。 19の頃、路上に座って詩を書いていた、鉛筆で100均の落書き帳を埋め尽くすように、内容などない、何も舞い降りてなど来ないのだから、こちらから書くしかない。誰のためでもない

          住処に住む方法

          とまる時間に物質が美しい

          仕事帰りのジムから半額の弁当を狙った閉店間際のスーパーへ、、 そのままいつも宿の代わりにしているマンガ喫茶にトボトボ向かう、じゃりじゃりと小さな足音がさっきまで明るかったけどあっという間に真っ暗になったフジグランの生活エリアの駐車場に小さく響く、今日の胸の内はなぜか静かで、というか今の胸の内はなぜか静かだ 焦燥に駆られる毎日で、季節は9時過ぎのフジグランみたいにあっという間に冬。 さっきまでの夏が嘘のようで、標高高い現場近くの公道の脇に残雪が見えてマジかと叫んだ 雪に現

          とまる時間に物質が美しい

          日記

          ずっと「筋肉痛じゃないところ」を探して全身の筋肉を散歩している。しまいにはありもしない筋肉へ思いを馳せる、あぁ全身にはもっとたくさんの部分の筋肉があれば良いのに、そしたらそこをどうやって鍛えようか考えることをしたい。ビッグヒデはこの世界からボディビルがなくなったらどうするか問われてこう答えた「またボディビルをはじめる」と。 それはなんて素晴らしい世界線だろう、ノウハウのないところで運動のことはじめ、まだ夏目漱石の猫が運動を馬鹿にしていた時代の、ボディビルは考えるだけで楽しい

          雑魚寝

          空調の効いた部屋、家族が川の字とまで整然といかない「田」とか「卍」とかの字で雑魚寝する寝室で帰宅してから転がっている。 真ん中と下のチビも転がって芋虫みたいに小さくなって転がっている、とても静かにスヤスヤとしているが、僕が帰宅する直前に泣き喚き疲れて2人同時に寝てしまったらしい。 今からアンパンマン列車に乗りたいとわがままを言って母ちゃんの足に絡みついて離れず、どーしても離れず、母ちゃんはトイレにもいけずちょっと漏らしてブチギレて足からひきむしって放り投げたら寝たらしい。

          静寂

          僕の最近の日常の心象は流れる便所のように喧しい。 別段口を開くわけもなく、人と視線を交わすことも日常会話を交わす相手もほとんどいない、ほとんどの言葉が口の中にしまわれていて、しなきゃいけない仕事、山に向かう足取りにあらゆる気晴らしが仕事の足を引っ張るように思いつく。 そんななかで時折訪れる本を開き文字を目で追う時間。物語にすっと入り込めるほどの集中力はほとんどなくて、目に入る言葉の固形物や風景、文字に河やタバコの煙と書かれていて、それらが適当に目に入って頭の中でバラバラに

          自由と旅、そのフリーウェイト

           社会性とは何かっていうと要するに自分への命令力なんだよ、自分を調教して調合して良い感じで他者との摩擦と自分との軋轢の中でブレンドしていくことだ。 ニートになってもフリーターなっても1人暮らししても旅人になっても個人事業主になっても自給自足しても、社会との接点を失うほどに直面するのは自分のバランス力だ、これは解放感とはむしろ真反対のものだ。 バーベルの動線にレールをひいた、スミスマシーンとバーベルだけのフリーウェイト、フリーと名がついてる分自由かといえばこれまた真反対であ

          自由と旅、そのフリーウェイト

          燃え尽きて残る生の残像

          今日もところてんのように背中押されて気が付いたらこんな時間(11時半) ぼくが自分の手の中に時間をつかんでいる実感があるのは、自分の脳の命令で足を動かし、大地を蹴ったり、自分の筋肉と筋肉を拮抗させて自分のカロリーで生み出した自分のエネルギーを自分の中で消しつくすような時だけかもしれない。 つまりそれはジムワークの時間、もしくはこういうテキストをタップしてる時間。この時僕は時間とダンスしている、素晴らしいこういう時間を人生だというのなら僕の最近の一日の人生時間は2~4時間程度

          燃え尽きて残る生の残像