燃え尽きて残る生の残像


今日もところてんのように背中押されて気が付いたらこんな時間(11時半)
ぼくが自分の手の中に時間をつかんでいる実感があるのは、自分の脳の命令で足を動かし、大地を蹴ったり、自分の筋肉と筋肉を拮抗させて自分のカロリーで生み出した自分のエネルギーを自分の中で消しつくすような時だけかもしれない。

つまりそれはジムワークの時間、もしくはこういうテキストをタップしてる時間。この時僕は時間とダンスしている、素晴らしいこういう時間を人生だというのなら僕の最近の一日の人生時間は2~4時間程度かもしれない。かつての一人暮らしの時なんてのは毎日の人生時間が12時間以上あったような気がする。

今日も朝はぐずついた天気で、まずは整形外科で縫われた指の抜糸をしてもらった、そしてそのまま現場に行って作業をする、今の現場はなんというか多分僕は山の神様に嫌われてるのか、警戒せよと忠告されてるのか、なんなのか、どう考えても拒絶されているように感じる、なぜだろう。

ほかの幾多の現場では感じないなんとなくの恐怖心が常につきまとう、それは現場の草刈りの藪の中が崩れたり獣に荒らされたり身の丈を超す棘をもつ植物に鬱蒼としていて、さらに悪天が続きただでさえ悪い足場が崩れたりすべったりの繰り返しでなかなか前進できないからかもしれない。

夕方には当たり前のように雨が降り、突然はじまる雷の太鼓に、背筋が凍る、あの感覚はなんだろう、死神の視線のような、ひとりこんな山奥にいて、車から15分ほど登った藪の中にいるという事実に押しつぶされそうになるんだ、現場到着してもなかなか車から降りる気になれなくて、だだっこになる小学生にでもなった気分だ。

それでも、アホになることで僕は大人のふりをして、足を動かすことに集中して恐怖している脳をほったらかしに、とにかく体を現場に放り込み、エンジンを始動させて、それをわが身に持たせてやればかってに体は作業をはじめる。

こんな毎日だ、アホにならなくては身が、精神がもたない。スピリチュアルにここはなんだか嫌な気がするとかほざく同業がいたらぶん殴ってやる、仕事の邪魔でしかない、お神酒でもお供えでもなんでもいい、あほになってそのことを忘れることができる即席の演出でもやって、現場にこの体を草刈り機もたせて放り込め、前線に愛する同胞をばら撒くパラシュート部隊のように。

今日も終盤には雷雨、背後からあおりまくってくる雷神にビビりまくりながら、ゴムタイヤの上に鎮座する軽トラの座席にけつを滑り込ませるまでは安心できない、荷台に道具やヘルメットをぶっこんでる時に近くにぼかーんと雷、くそっ、これは誰だまるでぼろ雑巾、悲惨だ、なんで永遠に生えてくる草のそれもこんな人里離れた山奥に生える草を刈るために放り込まれた、前線に銃の扱い方もわからんのに銃を持たされて放り込まれた少年兵のような気分なんだよ。何が怖いかもわからんこわい、耳をふさいで叫んでいたいような気になる、雷雨の中で足を滑らせて全身に茨を巻き付かせてさらに足やや首筋にたかるアブにガジガジやられてる時なんてのは宛名のない絶叫の郵便物を天にぶちまけてる、そんなベトナムの前線にわが身を放り込むのはこの僕自身の命令によってなんだ。

余裕があるなら、軽トラの外で裸になってペットボトルの水を浴びる、水分をふいて、短パンでもなんでも着て、軽トラの座席に入り込めばもう安心だ、安心の空間がぼくを、町に町のジムに送り込んでくれる、空調の効いた部屋で、涼しい顔でマシーンを動かす人たちのいるところ。。

あしたは上の息子の、あさっては妻の誕生日だ、現場がぎりぎりなんだが、二つも用事が入った、きついけど優先はする、喜んでくれるようななにかはしたい愛している。物を欲しがる二人ではないけど、毎年なにかはプレゼントする、昨日は仕事終わり大きいモールまで車をとばして、真ん中の息子の普段の靴と、園での中庭ではく靴を探してそれぞれ安い目で買えた、それと妻のプレゼント迷いに迷ったけど、かわいらしい割と入るポシェットと、家でせんべいみたいにはきつぶれていつも転がってるスリッパなので、新しい妻の好きそうな柄のスリッパを。上の息子のプレゼントが難しい、何が良いかどうしても決まらず、今日に先延ばしで、今日は息子のプレゼントを探してドン・キホーテへ、喜びそうな光る流しそうめんマシーンと蟻の巣穴観察キットと、100円になってたワンピースの持ってる巻の続きを9冊、購入、これで十分だろう。明日は仕事を早めに上がって、ケーキを買って帰る。

なんとも忙しい、で、やっとフリーになってさぁってんでジムに行った、ん・・閉まってる。。
すごく悲しかった、明日から多分土日も休みにするから、今日はジムでベンチとスクワットどっちもやってやろうとしていたのに、、、

水曜は休館日、今日火曜やと思ってた。。
むかついた僕はそのままジムの用意をしていったん車から周辺を1キロちょい走った、でジムの荷物もってジムのすぐそばの公園に行って、おもっくそ筋トレした。

スクワット1500回して滑り台の手すりを使ってディップス200回
低いレンガのような塀を両手ではさむように持っての腕立て伏せを400回
軽トラに積んでいた1キロのダンベルが二つあったのでこれを持ってきてダブルダンベルカールを500回最後にダンベルカールをしながらワイドなスタンスで同時にスクワットをするという動きを500回やった

スクワットを計2000回したわけだが、これは人生で一番やった。
今までと違うのは休憩をはさみつつフォームを割と意識して1かい1かい数えながらやったこと、途中水分もしっかりとって、無理はしなかった。トレーニング前にはプレワークアウトという溶かして飲む粉を飲んだ、カフェインに筋肉がパンプする成分が入ってて体感もすごい、発汗もやばい。

トレーニング中はEAAというアミノ酸をしっかりポカリと一緒に摂取して水分もめっちゃとった、スクワット1500回の時点でもちろん半死に状態なのだが、そこで自作の抹茶と唐辛子と各種植物繊維の入ったカプセルを2錠飲んで、そこで再度奮起、全身の筋肉工場がマグマのように加熱して全身から蒸気が噴出するみたいになって発汗がとにかくすごい。

やり終えて、プロテインを飲んで、ひと段落。この全身の疲れ、案外1キロダンベル1000回はやってるときは余裕かと思ったが終わった後に乳酸の津波が襲ってきた、腕も足も曲がらん、でも明日も山で仕事だ、たぶんやれる、大人の最大の武器、あほになるというドーピングをぼくは接種できるから。

運動の反復の中で高まっていくパンプしていく筋肉の叫び、内側からこのちっぽけな体から、外に向かって暴れだそうとする筋肉たち、そいつらに耳を澄ませてシュッポシュッポと反復し続ける悦びはほとんど自分とのセックスだ、セックスはもちろんいつでもだれとでもやりたいわけだがいつでもだれとでもやるわけにはいかないので、自分とするという永遠の解決を得てしまった。

もはやある意味僕の中では「いい女とやる」ということは「いい男になる」ということに連結された、筋トレはほとんどセックスなんだ、実際にむらむらは筋トレの疲れとともにどっか消え失せる、健全である。

ぼくみたいな「ありありてありあまるもの」をこの社会が何か満たしてくれるということはない、社会に期待なんてするもんか、この永遠に「ありありてありあまらざるもの」である世界にぶつかっていくしかない。

十代の頃に書いた詩がある
「俺はちんこだ、世界はまんこだ、俺が動けば世界はきもちい」

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