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恋愛はドラッグ?

・ビートルズとプレスリー
世の中でラブソングというのが生まれたのはいつの頃なのでしょう?

ビートルズの曲はほとんどラブソングといっても過言ではないでしょうし、そのまた始祖であるエルビス・プレスリーは「Love me tender」が有名だし、いずれにしてもその頃から現在に至るまで、きっとほとんどのポップソングはラブソングだと思います。

恋愛感情はいつの頃からか万人に共通の感情となり、だからラブソングもポピュラーとなった、きっとそうに違いありません。

・「恋愛の発見」
私の本棚には「恋愛の発見」という本があります。古本屋で大昔に買った本。
その中にこんな一説があります。
「日本の近代文学を非常によく研究しているドナルド・キーン。この人が、明治の日本の近代文学の出発点について、日本の近代文学は欧米の近代文学に出会って、”恋愛”というものを発見したと言っている」。
この「恋愛の発見」という本を読んでみると日本の近代文学が恋愛をどのように取り扱ってきたかという経緯が見て取れて結構楽しいです。

”恋愛”という言葉に限らず、今私たちが使っている漢字二文字の言葉の多くは、たしか明治期に福沢諭吉先生等のお偉い先生方が外国の言葉を日本語に変換したものです。
「翻訳語成立事情」という本に詳しく記述されていて面白いのですが、恋愛もきっとこの手の造語、あるいは訳語(?)なのでしょう。


・理屈は不要
恋愛感情って普遍的で、このnoteの世界にも「恋愛」というカテゴリーがあって、きっと皆それぞれの持論やら最大公約数的な意見が無数に散りばめられていることでしょう。

恋愛のルールが自分にあるからそれぞれのルールで自由に語れます。別に何を根拠に書いているか注釈や出典をかかなくても、自分の感情や気持に根拠は必要なく語れるのですから。

例えば、ある女性が「私の彼の上目づかいに私に何か頼んでくるところが可愛くて好きなのよね」と言えば、「あ、そなの?」としか言いようがありません。理屈も何も必要なし。

誰を好きになろうが、どの人と恋に落ちようが、それは理屈で説明する必要はありません。だから誰でも語れる。

・恋愛と識字率
明治期に恋愛という言葉をめぐって文豪たちが、あーでもないこーでもないと思案する一方で、庶民は「恋愛」なんて言葉も、そしてどんな感情かも知らずに、生まれ、そして一生を終えて行ったのかもしれません。

明治の全国平均の識字率は男性で50~60%、女性で30%だったそうで、地域格差はかなり大きかったようです。今でいう都市部に当たるような地域が平均値を押し上げていたのでしょう。

恋愛なんて言葉を知ることも、聞くことも、そして体験することもなく一生を終えた人々は数多くいたはずです。

要するに恋愛が一般化してからほんの100年ちょっとくらいなのでは?と。
万葉集には恋の歌が多いそうですが、恋と”恋愛”はどもう違うみたいです。
長くなるので説明は省きますが。

・恋愛はドラッグ
実は、私、恋愛ってドラッグに近いのでは?と思ってます。
生きる上での不自由さやつらさを一時的にでも麻痺させてくれるから。

恋愛というもの、あるいは恋愛感情が他のあらゆるものから独立して、まるで神のように独自存在しているわけではありません。
あくまでも世の中の様々な出来事や感情との関係の上で相対的に存在しているだけです。

恋愛が賛美され、神聖化されればされるほど社会自体の不幸を表現しているみたいな。

その時々で色んな人が恋愛の素晴らしさをどんなに力説しても、多くの場合永遠ではありませんし、人々は相手を変え、恋愛を繰り返し、ただひたすら恋愛感情に酔いしれるひと時を過ごします。
場所を変え、時を変えて繰り返すドラッグのように。
嫉妬心がさらに拍車をかけて恋愛感情を補完する。

今一般的にとらえられている恋愛という言葉や感情に対して「もうそんなのなくていいよ!」とみんなが言う時代がもし来たとしたら、きっと社会は今とは全く違う姿になっているのだと思います。
恋愛に酔いしれる必要のない世界。
どんな世界でしょうね?


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