写真の美しさはリアル+αがあること
写真ならではの美しさとは、現実の美しさを「見える化」しているからだと考えます。(ここでいう現実とは三次元に近いものです)
もちろん美しさというのは人によって感じ方が違うし、現実にあるものも時間とシチュエーションによって違って見えるわけですが、そのどこか一点で撮影者が感じた「美しさ」をキャッチして見せることができるのが写真の醍醐味だろうと思うのです。
絵画との違い
(人間が)絵を描くには時間が必要だから、どんなに精緻でリアルな絵を描いたとしても一瞬の美しさを反映させることはできません。
すでに撮られた写真をもとに描くしかないでしょう。
そうでなければ、描きながら考えて、そのなかに自身の意向を反映させながら絵というものを作っていく作業になります。
絵というのは想像を形にするからこそ、その醍醐味を感じられるのだろうと考えます。
写真と絵画は似ている面もあり、全く違うプロセスがあると考えられます。
リアルが持つかけがえのない美しさ
現実はつまらないとか、現実は夢がないとかいう風に思いがちですが、現実にも美しいものはあるし、美しい瞬間があります。
動画も写真も絵も存在しない時代の人に、美しいもので感動することがなかったかというと、それは違うでしょう。
美しいものを見て感動するのは、太古の昔も今も全く同じだと思います。ただ、それを誰かに伝えることができたか、できなかったかの違いしかないと思います。
(おそらく「リアリズム写真」はこのような考えに基づいているのではないかと今、思いました)
リアルにこだわれるのは写真だからこそ
写真は「真実を写す」のではなく、現実のある一点をある方向から写し取ったものであり、現実のすべてを表したものではありません。
それが、写真が真実ではない所以です。
ただ、撮影者が「美しい」と感じたことは紛れもなく真実でしょう。
撮影者の真実を写し取ったものが写真だと定義した方がよかったのかもしれません。
初めに現実があって、そこに人の感じ方があって、その後に写真があるのです。だからリアルにこだわれるのは、写真だからこその醍醐味なのです。
「よりリアルに」と考えるのも「感じたことを表現したい」と考えるのも、現実があるからこその意図なのです。
意図は自由であっても構わないですが「初めに現実がある」ということだけは、写真に共通するモチベーションなのだと思います。
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