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エモーショナル・ライティング

自分の音楽記事の良さを考えていたのですが・・
といってもそもそも音楽記事の体をなしていないのですが、体をなしていないなりの良さってあるのだろうと。

一般的な音楽記事

音楽記事というのは、歴史的なものや、アーチストの実績、音楽性、などを評価して「知識」やライターの「見方」を与えるものが多いと思います。

でも僕の場合は、よく知っているアーチストならある程度、書けると思いますが、音楽の勉強をしたことがないからテクニックや音楽性については語れません。
実績は調べればレコーディングレベルなら分かるでしょうし、歴史もWikipediaなどを見れば分かったりします。

そうやって調べたことを多くして記事を盛るのは、そう難しくはないけれど、それだとほとんど Webライターみたいなもので、内容的に大したオリジナリティはないのですね。

ひとことで言えばエモーション

僕が note で音楽記事を書くときは、自分の体験を軸に書きます。

それでよくありがちなのが、体験を中心にすると「メランコリー」な雰囲気になることで・・(もうちょっといい表現ないかな)それがなんか嫌な感じがすることがあります。

女性で、特定のミュージシャンを推してて、それで自分の恋愛体験と組み合わせて没入感たっぷりの文章を書くような人は、SNS にもブログにも多いと思うのですね。

でもそれは「感傷」であって「音楽記事」ではないと思うわけです。

だけど・・
音楽を聴くときの気持ちというのは、多分にエモーショナルだと思うのですね。作業用に聴くときはそうではないと思いますが、1つの作品として聴く場合には何らかの感情的な思い入れのようなものがあって普通でしょう。

だから、誰もがその音楽を聴くときの「気持ち」に近いエモーションを、記事のなかで表現するのがよいのでないか?と思っています。

その方法として、僕は自分の体験を少し盛って😊文章にしているのだと思います。
具体的な体験はひとによって全然、違うけれど、その作品を聴く「動機」や「気持ち」の有りようには似たものがあるのではないかと。それを自分の体験を一つの「例」として提示すれば、ある程度の共感が得られるのではないかと思っているわけです。

もちろん一般的な音楽記事で、ライターが書く専門的な内容(たとえば音楽の技巧のここが優れているとか)に共感して「そうだそうだ」と思う読み手の在り方も当然あると思います。

あるいは歌詞の内容について解説するような記事とか・・
まあそういう「説明的な」内容は、たとえば YouTube の音楽に添えられたイメージが歌詞の内容通りに展開するのと同じで、あまり芸術的ではないと思うのですね。

僕はその路線ではない音楽記事を書いているのだろうなと思っているのです。(その路線は無理!)それが僕の note の音楽記事の良さなのだろうなと、振り返って確認しているところです。

p.s.
きっとそれは被写体に感動して素直にキャプチャする僕の写真の在り方と同じでしょうね。

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