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他人に勝つことではなく共に歩むこと

note の「みんなのフォトギャラリー」はシリアスなキーワードに対してネガティブなイメージが多く、そういう話題を書くときに少し困りますね。
もっとプレーンなイメージが欲しいと・・
で、今回も希少なイメージを頂いてきました。

・・とまあ、自分もそうやって他人の結果を選んでしまうのですが、他人を選ぶということは、勝ち負けの構図に通じるものがあって、ちょっとゲンナリしますね。

ポジティブ過ぎて人の心を忘れないようにしたい

人の心は常にポジティブではいられず、ネガティブなときもあります。
でも世の中には、そういうネガティブな状態を自他共に毛嫌いする人がいますね。
ポジティブ過ぎるというやつです。

そういう人は、自分のなかのネガティブを受け入れられず、他人のネガティブを見るのも嫌なのです。

でも、客観的に見てポジティブとネガティブというのは言葉の定義であり、対義語であり、どちらかの反対側にはどちらかが必ずあるものです。
「どっちかの夜は昼間」です。つまり出現率は50%50%です。

ポジティブだけを見るというのは、世の中の半分の事象しか認識しないという意味です。
だからそういうことを続けていると、不完全な人間になるし、それで仮に他人に勝ったとしても、皆と共存することはできません。

共存

「共存共栄」という言葉がありますが「共栄」というのは本当に理想であると思います。
しかし「共存」は、栄えない人がいても成立するのです。

お互いを認めるということは、共栄ではないのです。栄えない人が必ずいるから。
そこを理解したうえで共に歩むのが「共存」なのです。

日本人の精神

古来より仏教国である日本は、共存しやすい精神構造を持っていると思います。
どんな存在も受け入れて、この世に存在させることができるから。
すべての人が、極楽浄土に行けるのです。

人類の最終目標は、いかに共存するかということに尽きると思います。
勝ち負けでは、解決できません。

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