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「価値を生むもの」と残る「しごと」

「10年後、私の仕事はなくなる?」

いま、何が起きているのか?

今後消えていく仕事リストが雑誌などに多く乗っています。私が会う人の多くも「この仕事はAIで要らなくなりますから・・・」と自嘲気味につぶやきます。

しかし、事はそんなに単純かというと、そうではないでしょう。「この仕事は要らない」と感じている人が「自分の仕事がなくなる」と戦々恐々としているかというと、むしろ「こんな仕事したくねー」と感じている?

今、我々の「しごと」や「教育」の価値、そして「生きていることの存在意義」が変容しています。識者が指摘するまでもなく、いままでの固定観念は通用せず、新しい価値認識が必要になってきている。それは皆が感じていることだと思います。

しかし、日常に忙殺されてしまうと「今起きていること」の本質を振り返ってみることは難しいのです。だからこそ、改めて、テクノロジーによって何が起きているのか、を言語化することには意味があります。

改めていうならば、いま、我々にとって「価値を生むもの」が、劇的に変化しているといえるでしょう。

過去にも起きている「日常生活」の終焉

人類がここまで経験してきた様々な「進化」は多種多様な恩恵と害悪を人類と地球にもたらしました。特にテクノロジーの進化は次の進化のスピードを加速させ、今まで「時間を遅らせている壁」を取り去る、もしくは限りなく見えなくしてしまいます。

例えば、地球上のどこにいても光ケーブルでつながるようになっています。かつては馬車のスピード、車のスピードでしか届かなかった情報が、現在社会においては文字通り一瞬であり、ほぼ無料となっています。同じことは多くのインフラに対して言えるでしょう。

人の移動も簡単になりましたね。職人の世界では3Dプリンターがプロトタイピングを圧倒的に簡単にしたし、家庭にまで入り込んできたロボットはそれまでの日常を圧倒的に効率化しました。

昭和の時代なんて、「母さんが夜なべをして手袋編んでくれてた~♪」が日常だったんです。でもそんな日常は今は想像すらできない。ちょっと前までは一家に一台といわれたミシンですら、ある家は少ないのではないでしょうか。

と、いうように我々の日常生活や「しごと」は時代と共に変遷しました。昭和・平成迄の「しごと」というのは社会インフラを回すために皆が必死になって作業とルーチンを回していたのです。しかし、その時代は終わりを告げました。

我々は、テクノロジーが次に取り払うであろう「時間を遅らせている壁」をある程度予測できます。それは、物理的な距離であり、言語の違いであり、金融などの物質に依存している多くのデータです。

「価値を生むもの」の変化

そもそも「しごと」とは何なのでしょう。私はそれを、社会全体や誰かのために役に立つ「価値を生み出し」て対価と交換すること、として定義しています。つまり、だれかのために「価値を生み出している」ことが重要なわけです。

テクノロジーはこの「価値を生むもの」に対して劇的な変化をもたらしました。昭和・平成までは、そこに参加する人たちの画一的な作業や正確・精密なルーチンが「価値を生むもの」でした。全員で社会を回していたのです。

令和の時代に起きていること。それは、テクノロジーが進化した結果、「価値を生むもの」が違うものになってしまったということです。今まで我々が「価値を生むもの」であると考えてきたものは急速にコモディティ化してしまい、今後は人工知能やロボットが担うようになります。

社内で順調に出世してきた成功体験をもって経営層に加わることは辛い時代かもしれません。自身の成功体験とはまったく違う手を打たなければいけないからです。時代の変化を先取りし、自身の成功体験を否定する必要があるからです。

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変わらなければいけない教育システム

社会が必要とする「価値を生むもの」は変化しました。その時代に個々のスキルも同様です。

「作業やルーチン」といったオジサンたちが誇る過去の成功体験は完全にコモディティ化していることを理解しなければいけません。これからは、もっと芸術的な側面やデザイン、独創性や人間性に寄ったスキル、そして最先端テクノロジーの理解というものを身につけなければいけない時代です。

昭和・平成の時代に私たちが「しごと」と呼んできたものは今は仕事ではなくなってきています。そして令和の時代は、新たな「しごと」となります。今までのシステムや押しつけ型のワークライフバランスも当てはまらない新しい働き方が登場しています。

そんな状況ですから、高等教育についても社員教育についても、養鶏場のような育成システムを今すぐやめるべきでしょう。それはかつては国家の発展をもたらしました。しかし、今すぐ多様性と独創性を重視する方向に舵を切らなければなりません。なぜならそれしか残らないのだから、です。

所謂「職人」さんたちに必要とされる技能も大きく変化するであろうと考えています。今まで職人を職人たらしめていたスキルの半分はテクノロジーがコモディティ化するようになります。例えば、熟練の金属加工者しか作れなかったものを3Dプリンターがいとも簡単に作るようになるでしょう。

しかし、その時にこそ職人の本当の力が生きます。本当に独創的、芸術的、おもてなしなどの人間関係という「無形価値」に対して差別化がされるようになるからです。人もそこに対して価値を認めお金を払うようになるのでしょう。

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