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息子に言いたいこと

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なかなか連絡してこないので、息子に言いたいことをここに書きます。
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#人生

片づけたい気持ちをおさえる

To Do Listをつくって出来る事からどんどん片づける癖がついている。 これが危険なのは出来る事から片づける事で、必然的に簡単ですぐ出来る事はどんどん片づくので気持ちがいいのだが、するのが難しい事はいつまでもリストに残ってしまう。で、難しい事は大体いつも重要な事だ。 さっさと出来る事をやってしまえば、残りの時間を難しくて重要な事に気持ちよく使う事ができる、とはならない。簡単にすぐ出来る事でも沢山してたら時間がなくなってしまうから。簡単ですぐに出来る重要でない事を毎日し

いよいよポルトガル

いよいよポルトガルに行く事になった。したい事があって、ゆっくりでもそっちの方に向かって進んでいくといつかは出来るようになるもんだな。 いろいろする事があるが、まず日本に戻らないといけないとかやることが山積みなのはいいが、決心しなければいけない事がおおいのが大変。決められた山積みの仕事を片つけるよりも、決めるほうがエネルギーを使う。なにかを決めるのには精神のエネルギー(気力)がものすごく必要だから、まだエネルギーがあるうちでよかった。 (老人になると気力がなくなって、何かを

最後まで手放せない物ってなんですか?

数えてみたら、なんと25回以上も引っ越しをしていた、、、、その半分以上は国をまたいだ引越しで、ほとんどが子供連れで、そして犬も連れていた。全部一人でやってきた自分ってすごい。                  * なのにまだ引越しが続くと思われるので、いろいろなものを処分しています。思い入れのないものはどんどん捨てられるけど、気持ちが残ってる物はJimotyでお譲りしています。まだまだ使えるけど、もう使うこともない。けれど思い出があって捨てられない物が他の人に使われるって

どんな理由でも、どんな人でも、暴言を吐く人とは離れた方がいい

ゴミだらけの家を一生懸命片つけているのに文句言われ続ける夢をみた。夢に見るほどのトラウマとなった経験だったので書いておこうと思う。                  * どんな人間関係でも、自分にとって猛毒だとおもったら絶った方が絶対にいいと思っている。でも、離婚することで、会社をやめることで、引越すことで、それで切れるなら切るもんね、という逃げの人生を送ってきた私でも、どうしても断てない毒の関係があった。両親はいなくなることで私をその関係から解放してくれた。     

舞踏会の手帖

18歳の時の私は、一番好きな映画は何か、と聞かれると必ず「舞踏会の手帖」(か、天井桟敷の人々)と答えていた。 今の私は、いままでで一番好きな映画は何か、と聞かれると「Galaxy Quest」と答える。 この間、この人の人生にいったい何が起こったのか(自分でも)知りたい。

もしもあの時

もしもあの時、、、と、自分が選択しなかった道を選択したらどうだっただろうかと考えるのが大嫌いだ。けれど、私が選択しなかった道を選択して、そして幸せに暮らしている方の記事に時々遭遇したりすると、もしもあの時、、、と思ってしまう事がある。もしもあの時「自分がもっと大人で早まらずにあっちの道を選んでいたら」今より幸せな人生だったのかなと思ってしまう事がある。それって、幸せに暮らしている記事、だからなんだけどね。 唯一言えるのは「まったく違う人生になっていた」という事だけだから、考

こんにゃく人生

日本から戻った友人にいただいたコンニャクを食べた。 久しぶりに食べたからもあるだろうが、ものすごく美味しい!そして、世界中(といっても行った国でだけど)でコンニャク的な食品に遭遇した事がないのに気づいた。ものすごくユニークだ。こんな味覚の食品って、コンニャク的な食品って無くないですか?                     *         作り方も不思議な気がする。芋を粉にするまではよくあるが、そこから団子とかケーキとかじゃなくて、あんなプリンみたいなものを作るこ

自分に自信を持てない君へ

自分にすごく自信がある人は、なんにも挑戦しなかった人なのかもしれない。挑戦しなければ、自分が無能であることを知ることもない。自分がどんなに小さい人間なのかを知ることもない。世界はものすごく広いことを知ることもないし、傷つくこともない。ずっとComfort zoneにいれば自信がたもてる。                * 母ちゃんが働いてた大学の数学科に19歳の大学院生がいた。「博士課程の学生だけどまだ1本も論文書いてないんだよね」というから「これからだもんね」と思ったら

逃げの転職とストレスと認知症と母

認知症とコルチゾールの記事をよんで思った事                                     * 私は10回ぐらい転職した。別の仕事が見つかったからもあるが、他の仕事を探し始めた元々の理由は会社でのストレスだった。人間関係だったり、仕事内容が自分の専門と違いすぎたり、能力の限界を感じたり、ものすごいパワハラだったり、いろいろとストレスを感じ始めるともう逃げ出したくなって、必死で逃げ道を探して、そして逃げた。 そうやって逃げまくる人生を繰り返してきた事

心が折れそうな時にする具体的な行動

心はしょっちゅう折れそうになる。息子もこれからいっぱいいっぱい心が折れそうになると思う。そんな時に母ちゃんはこうしてるということを書いておく。 とにかくすぐに忘れてほしい。反省したり、理由を考えたり、原因をつきつめようとしないこと。自分を責めないこと。どんなに考えたところで、多くの場合は他人の判断の結果だったりするから、だったら君とは関係ない。他人の気持ちなんてコントロールできないよ。 たとえば「お祈りメール」。 なんども転職している私だが、転職の陰にあるのは山のように届

自分の好きな事と勇気と楽観

去年亡くなった母(君の祖母)は数学が好きだった。私が子供の時、できない数学の宿題でうんうんいってると、いそいそと私の部屋にやってきては一緒に考えて、それでもできない時にも「やっと解けたあ」といって朝赤い目で私を起こしにやって来たこともあった。ひとりで台所で夜中に解いていたんだろうと思う。高校生の時には数学クラブにいたという母は、家の事情で大学にはいかれず農家+自営業の父に嫁いで、母の数学好きは終わった。もしずっと好きな事ができていたら、もしかしたら、もしかしたら、母の数学の才

自分はどんな時に幸福だっただろうと考えてみて驚いた事とお金

今までの人生で本当に一番心の底から幸せだったといえる、できるものならまた戻りたい、と思う時期は、なんと人生で一番貧乏な時だった、、、 乳飲み子を抱えて学生してたのに、養育費は振り込まれないし、収入もないし、わずかな奨学金とこずかい程度に払われるTAのバイト代だけで生活をしていた。自分も子供も洋服はいつもThrift Shopだった。毎朝自転車の後ろに息子をのせてデイケアにいって子供を預け、そこから大学に行き、帰りにまた息子を自転車の後ろにのせて大学の宿舎にもどる。もちろん車