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発信できるからこそ気づく凡庸さ
はじめまして
この一文から始めさせていただきます。
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昨年の12/31から投稿を続けてきた
単純に忘れてしまったり、疲れすぎて書けなかったり、最近は社会人になるに向けての準備でほぼツイートくらいの文字数しか書けなかったりと色々あった。それでも一応今日で365日連続投稿ということになる。
noteをずっと続けてきたから分かったことも勿論あり、基本的には続けてきてよかったと思っている。ひびの何気ないところに目を向けて、彩りや豊かさを感じるようになったのは間違いなくnoteのおかげだ。
とはいえ落ち込むこともある。それは己の凡庸さを突き付けられてしまうことだ。昔と違い、現代では誰でも発信ができるようになった。平等まではいかなくても、誰にでもチャンスがあるのが現代だ。
分かりやすいところだとYouTubeやTikTokだ。いわゆる芸能人じゃない素人でも何百万というフォロワーをかかえるのも夢ではなくなっている。この現象は夢があると同時にひどく現実を突き付けてくるのだ。
私が売れないのはまだ見つかっていないだけ、などという言い聞かせるような言い訳が通用しなくなっている。全てとはいかなくとも、良いものは良いと評価され広まり、平凡なものは埋もれていく。
noteもそうだ。ちゃんと良い記事、いい文章を書く人はたくさんのフォロワーがついて「スキ」の数も多い。1年続けてきてもフォロワーは300人を超えず、日々の投稿もスキが20を超えたら伸びたなーと感じる程度だ。どこまでも平凡な自分がついてまわる。
どうあがいても私はシンデレラにはなれない。
そういえば最近見た映画のなかでシンデレラという物語を滅茶苦茶に否定しているキャラがいた。見た目の良さだけで王子に一目惚れされてプロポーズされることが女の一番の幸せであり、ゴールであるかのように描いているのがむかつくとかなんとか。童話を斜に構えて見たことがなかったため、あぁなるほどと思った。
全然違う話をしてしまった。1年365日毎日投稿してきたゴールの日の投稿だというのにどこまでも凡庸だ。明日が大晦日。1月からは社会人になる。この投稿を一区切りにして、しばらくは不定期で投稿することにしよう。こんなこといっていると、どうせ投稿しなくなるのは目に見えているが。
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手の届く範囲にいるあなたが
幸せでいることを願います
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