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【マネジメント連載企画②】マネジメントできないマネージャーたち~介護経営の陥穽(おとしあな)~

第1章 陥穽(おとしあな)の実像➀


「落とし穴」はどこにあるのか

落とし穴の場所は特定できている。
それは、介護職キャリアパスの途中にある「マネジメントコース」の入り口にある。ベテランの大半はこのコースを選ばず、「専門職熟練コース」に行くのだが、経営層や現管理者から管理者昇格を打診された者、あるいは自ら手をあげて認められた者は、マネジメントコースの方に歩を進める。その足下に、深い穴があいているのだ。

この落とし穴は、一見、地面があるように見える。いや、実はよく見れば雑な仕掛けなのだが、経営層も、本人も、目が曇っているので見えにくくなっている、といった方が正しい。経営層は、「介護の仕事を知り尽くしたベテランなのだから、管理者を任せても問題ないだろう」と信じて疑わない。本人も、「この仕事のことはよくわかっているので、管理者になってもそれなりにこなせるだろう」と思っている。この両者の根拠のない思い込みが、ある重要なプロセスを見過ごしてしまう。それは、教育である。

マネジメント教育はブリッジだ。「落とし穴」の上に教育という橋を架けて渡れば、落下は防げる。だが、経営層は「教えなくても大丈夫だろう」と甘く見積もり、本人は「学ばなくても大丈夫だろう」とタカを括る。教えない。学ばない。だから、落とし穴に落ちるのである。


ケアとマネジメントは異なるスキル

現在管理者の方、管理者経験がある方は、よく思い出してみてほしい。管理者になるとき、引継ぎがあったと思う。その内容はどのようなものだっただろうか。シフトの組み方、勤怠管理、介護保険の請求、社外の取引関係の状況、利用者情報など、日々の業務の回し方、1カ月の流れの説明が中心だったのではないだろうか。

残念ながら、これらの大半は業務手順であって、マネジメントという仕事のごく一部に過ぎない。管理者としてひとつの事業所を運営していくならば、拠点長としてスタッフに向き合う姿勢や、事業所に求められている売上・原価・利益、それを実現していくための計画の立て方や進捗管理の具体的な方法を知っていなければならない。スタッフを動かしていくにあたっての注意事項や、サービス品質を維持・改善していく考え方を理解していなければいけない。

多くの場合、管理者になるのは、その事業所でいちばん「ケアができる人」だ。そうあるべきだろう。しかしながら、「ケアができること」と「マネジメントができること」は、かなり異なるスキルである。利用者に対していいケアができたとしても、スタッフに対していいマネジメントができるとは限らない。だが、現実的には、いいケアができるならいいマネジメントもできるだろうという根拠のない憶測のみで、ケアができるベテランが管理者になるケースが少なくない。


目的地を知らされないまま走り出す

もちろん、ケアができる人が管理者になることは正しい。その事業所でいちばんケアのことがわかっていてケアができる人が責任者になるのは、ひとつの理想だ。だが、ケアができることが、マネジメントができることの担保にはならない以上、マネジメントという、ケアとは異なるスキルについて新たに学ぶ必要がある。にもかかわらず、引継ぎ時にそれが行われることはほとんどない。

彼ら・彼女らは、マネジメントについて何も知らないまま、管理者としての日常をスタートさせる。それは、目的地を知らされないまま利用者と職員を乗せたバスの運転席に座り、運転技術もほとんど身につけていないのに、とりあえずアクセルを踏んで出発するようなものだ。

だから当然、おかしなことになる。ある者は、管理者になったことを一種の「ご褒美」だと勘違いしているので、急に傲慢に振る舞いはじめて職場の雰囲気を悪化させる。サービスに入らないのはまだいいとしても、何が管理業務なのか知らないので、できない、しない。したとしても的外れだ。またある者は、以前と変わらずサービスに入り続けて、こちらも管理者業務をしようとはしない。

引継ぎを受けた業務手順だけは何とかさばいていくので、一見したところ事業所は回っているように見える。だが、次月の売上見込みや欠員補充、人材育成のことなど、少し先のことや事業所全体のことを考えている人はひとりもいない。だからやはり、これは落とし穴なのだ。


「落とし穴」の正体は「中四病」

「中二病」というネットスラングがある。自意識過剰気味な中学二年生頃に、自分は特別な存在だと思い込んで誇大妄想を語りだすことを、揶揄や自虐を込めてそう言い慣わす。筆者は、既にマネージャーなのにマネジメントを学ぼうとしない者を、この中二病をもじって「中四病」と呼んでいる。意地の悪い言い回しだが、事の重大さに鑑みて、あえてこの刺々しい表現を使わせていただく。個人的嗜好で済まされる中二病と違って、この病は組織的悪影響があまりにも大きすぎるからだ。

新人時代を中一、中堅時代を中二、ベテラン時代を中三とするなら、管理者は高一になるのだと思う。専門職中学を一旦卒業して、マネジメント高校の新入生として謙虚にイチから出直すべきなのだ。それくらい、ケアの仕事とマネジメントの仕事は質がちがう。新たな学びが必要になる。

だが、「中四病」になった管理者は、中三の上にあたかも中四という学年があるかのように振る舞い、決してマネジメント高校の一年生になろうとはしない。その弊害は、部下に対して「放任」あるいは「過干渉」としてあらわれる。ある時は「中三という上級生がいるのだから」という態度であらゆる仕事を丸投げして管理責任を放棄し、またある時は「そうはいっても中四は中三の上なのだから」という態度でベテラン当時と変わらず現場に入り続けたり、あれこれ口を出したりして過干渉する。だが、いずれにしてもマネジメントはしないのだ。現場はたまったものではない。


~ 第1章 陥穽(おとしあな)の実像② へ続く ~


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