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「働きやすい社会」ばかりを目指して「産み育てやすい社会」を目指さない少子化対策の不思議

去年の出生率が過去最低になったという報道がされてました。

非常に寂しい結果だなあと落胆する気持ちもあるものの、「そりゃたいした実効的な対策が打ち出せてないしね」という「案の定」的な気持ちもあります。「ほら言わんこっちゃない」という感じです。

で、この報道が真に恐ろしいのは、ここで示されてる現状分析や対策がまた絶妙にピントを外しているものばかりということです。

どういうことか。

まずね、できるだけまず頭をからっぽにニュートラルな状態になってみてください。

「出生率が低い」という事実を受けて、その対策として思いつく方針って何になりますか?

まずは「子どもを産み育てやすい社会にしよう」が発想として出るのではないでしょうか。

だって、子どもが産まれないという話なのですから、そこをどうにかしようと考えるのが一番シンプルには自然ですよね。

ところが、上のNHKの記事を見てもらうと分かると思うのですが、ことごとく仕事と働き方の話ばかりしています。

つまり出生率低下の対策として出ているメッセージが「働きやすい社会にしよう」なんですね。

いや、この方針が間違ってると言ってるわけではないんですよ。現代社会において働き方が出産育児に強く関わってるのは間違いないですし、出生うんぬんにかかわらず働きやすい社会を目指すのはそれ自体真っ当な方針だと思います。

ただ、上述したようなまず先に出てくるはずの「産み育てやすい社会にしよう」が、ハナから「働きやすい社会にしよう」に横滑りした状態で話が始まる。ここに違和感が全くなさそうというところが、この報道の真に恐ろしいところなわけです。


具体的に見ていきましょうか。

たとえば、こうした厚労省のコメント。

少子化の要因には、経済的な不安定さや仕事と子育ての両立の難しさなどが絡み合っているので、厚生労働省として、男性の育休の取得推進や若い世代の所得向上など、必要な取り組みを加速させていきたい」としています。

去年の合計特殊出生率 1.20で過去最低に 東京は「1」を下回る -NHK

育休推進、所得向上。もちろん大事なことだと思います。

しかし、このいずれもが「就労していること」「仕事をしていること」が大前提の施策であるという偏りは見逃してはなりません。すなわち、仕事あってこその出産育児という感覚なんですね。

だから、仕事に就かずにただ出産育児している人のことは視界外ですし、仕事に関係ない部分での出産育児環境の整備もスルーしている。ここに極めて仕事中心主義的な思想が垣間見えるのです。


地域差の図表も見てみましょう。

去年の合計特殊出生率 1.20で過去最低に 東京は「1」を下回る -NHK

東京の出生率が低く、沖縄の出生率が高いという結果が強調されています。

で、これは皆さんも周知のことだと思うのですが、仕事が多いとか経済的豊かさという点では東京の方が充実していて、沖縄は仕事が少なく収入面も全国的にみて最低ランクであるんですね。というか、シンプルに平均年収で言えば、見事に東京が1位で、沖縄が最下位です。

地方には仕事がないからとか好みの仕事がないからといって、地方の若者が東京を中心とする首都圏に出て行ってしまっていることも、また十分に広く知られている問題でしょう。

だから、むしろ仕事面で言うと、働きやすい東京の方が出生率が低いわけです。にもかかわらずここで、出生率低下のてこ入れとして「働きやすく」「所得を上げる」だけ強調するのは、いかんせん筋が合わない感じが出てきちゃうんですね。

もちろん、これは最も素朴に東京と沖縄を対照した時の話であって、本当はもっと複雑な要素がからみあう話なので(別に収入ランキングと出生率がきれいに逆相関してるわけでもないですし)、これだけでただちに「だから働きやすさを求めるのはおかしい」となるわけではありません。しかし、そうは言ってもこのような「働きやすいはずの東京の方が出生率が低い」という現象の分析をしないままに、いきなり「働きやすい社会にしよう」という方針ばかり強調するのもあまりに拙速ではあるでしょう。

実際、NHKの記事の中でも、首都圏在住の方で子育てに対応するために「在宅勤務に切り替えた」とか、「転職した」とかいう事例が出てきていますが、こうした「在宅勤務に切り替えうる」とか「転職しうる」というのもまさに「働きやすさ」の一部と言うべきものでしょう。

しかし、これらの「在宅勤務に切り替えうる」とか「転職しうる」というのもまさにホワイトカラージョブ主体であったり職場の選択肢が無数にある大都会ならではの性質であることを見逃してはなりません。地方に多い農業や工場労働は在宅勤務にしえないですし、地方では勤務先の絶対数や多様性が乏しいので転職先の当てがないということになりがちです(たとえば医師も地域や科によっては勤め先の候補となる病院がそもそも絶対的に少ないので転職しようとすると他地域に引っ越さないといけないケースがままあります)。

つまり、これらの事例自体が、出生率最低ランクの首都圏が実は「働きやすいこと」を表しているとさえ言えるわけです。

にもかかわらず、ただひたすら「働きやすい社会を」的な対策だけ強調するのは、やはりどこか偏っていると言うべきではないでしょうか。

※なお、転職先のオプション(選択肢)が充実している点が都会の強みである点はこの本でも確か指摘されてました。


また、NHK記事でコメントされている専門家、筒井淳也氏の言説も矛盾を含んでます。

まず、このように氏は語っています。

……人口減少している地域では行政や社会を維持することが困難になるのではないか

その一方で

……現在の長時間労働や転勤が前提の働き方を改めることが大切

と言うのですが、転勤してくる人なくては(それこそ人口減少している)地域の維持は無理じゃないでしょうか。つまり、支社とかなしで、現地地域だけで経済を成り立たせるビジョンということでしょうか。

いや、江草個人的にはある程度の都会集中はもはや避けられないと思っている立場なので、(長時間労働や)転勤を抑制すること自体には異論は無いのですけれど、それは人口減少地域の維持とはなかなか両立しえないと思います。あるいは居住移転の自由を制限するかになりますね(憲法違反ですけどね)。

この辺は医学部地域枠問題や医師地域偏在問題によって、医師はみな肌身に知ってる重大なコンフリクトなので、あまりにスルッと両方を同時に提言されると驚いてしまいます。

まあ、今のは正直、本題からちょっと外れた些末な疑問点なのですが、もっと重要なのは、この専門家である筒井氏もひたすらに「働き方」にしか焦点を当ててないという点ですね。

未婚の人や子育て世代が子どもをもてると思えるような賃上げと働き方の改善が重要だ

繰り返しますが、別にこれらの提言が誤ってるとか、江草が反対してるとか、そういうわけではないんですよ。これはこれで大事なことだと思ってます。

江草が問題提起しているのは、その点ではなくって、このようにことごとく「働きやすさ」ばかりに注目してる、その視野の偏りです。

とにかく皆ひたすらに「産み育てやすい社会」ではなくって「働きやすい社会」ばかり推し進めてるわけです。

で、そろそろ皆さんもお気づきのことと思いますが、江草としては、今の出生率低下において何が起きてるかと言うと、「働きやすさ」が高まる一方で「産み育てやすさ」が高まってないってことなんじゃないかと思ってるんです。

そりゃそうですよね。極論、「めちゃくちゃ働きやすい」けど「めちゃくちゃ産み育てにくい」社会だったら、みんな働くばかりで、産み育てるのは控えますよね。ここで「さらに働きやすい社会を」とばかりやっても、「産み育てやすさ」にはつながりませんし、ある意味では逆効果な可能性すらあるわけです。

ここで注意しないといけないのは、ややこしいことに、この時代の前には、「めっちゃ働きにくい」し「産み育てるのは(女性の)義務」みたいな時代があったってことです。この時代の反省から、私たちの社会は「働きやすくする」「産み育てるのは義務ではないとする」という方向性に舵を切ったわけです。

保守的な人はどうかは分かりませんが、江草としてはこの方向性は賛同しています。前時代に戻るべきとは決して思いません。

しかし、この方向性の中で「働きやすさ」ばかりを進めたり、ましてや「働くことは万人の義務とする」という仕事中心主義が保存されていれば、そりゃ誰もが働くばかりで産み育てることが忌避される社会になるに決まってます。

つまり、前時代に後戻りすることなく、現行の方向性の中で出生率低下の対策を取ろうとするならば、「働きやすい社会を」だけでなく「(仕事あるなしにかかわらず)産み育てやすい社会を」の戦略も考える必要があるはずなんですね。

ところが、本稿でずっと見てきたように、NHK記事に象徴されるような一般的な少子化対策の分析では、その「産み育てやすさ」の視点がごっそり抜けていて、とにかく「仕事、仕事、仕事」の視点ばかりです。

賃金が上がったとしても、それがもらえるのは「働いている人」でしょう。
産休取った同僚の穴埋めに手当がつくとしても、それがもらえるのは「働いている人」でしょう。
育休給付金が充実させたとしても、それがもらえるのは「働いている人」でしょう。

いや、いいんですけどね、いいんですけど。
あまりに対策がこぞって「働いていること」に紐付きすぎではないでしょうか。

そもそも、そのいずれもが結局は「産み育てずに働いている方が経済的に有利である」という矛盾を抱えています。

賃金が上がった場合、その益を最大に享受できるのは、長時間働いている人です。一般的には労働時間に比例して賃金が決まりますからね。

産休取った人の穴埋めに手当てが付く人はつまりは産休や育休中でない人です。すなわち、できるだけ自身は産休や育休を取らずに仕事に従事している方がそれをもらえるチャンスも多いわけです。

育休給付金の充実については、確かに仕事を休むことで得られるメリットです。その点は上の二者とは異なります。
しかし、その給付額は育休取得直前の月収を基準としているので、どうせ育休を取るにしても産み育てる前に熱心に働いてキャリアアップしあらかじめ昇給しておく方が有利な制度なんですね。つまり、皮肉なことに人生プランの中で仕事を優先して産み育てるのは後回しにするためのインセンティブを内包している制度となっているわけです。
そもそも、育休を取ったとしても結局は月収以下しか給付がもらえないので、やっぱり働いている方が有利な側面は保存されていますし。

このように、少子化対策という名目にもかかわらず「産み育てずに働くと有利だよ」という点だけは頑なにメスを入れようとしない、いわゆる"No work, No pay"とか"働かざる者食うべからず"の視点から絶対に離れようとしない。そんな強烈な仕事中心主義のアンコンシャス・バイアスが、今回の報道で見て取れるわけですね。

江草としては、この点を今度こそ改めて見つめ直さないと、来年の統計結果でもまた同じく出生率低下が進むだけではないかと思っています。



本稿は以上なのですが、本稿の議論はNHK記事の批判的吟味にとどめたので、議論としてはもの足りない部分が多々あるかと思います。

なので、江草の考え方に興味がある方に参考になるかもしれない関連記事をご紹介。


仕事中心主義と出産育児の関連の問題についてはこちらの記事でも。


今回のNHK記事でコメントを出されていた少子化問題の専門家の筒井淳也氏の書籍に対する書評はこちら。

賛同するところも多々ありつつも、本稿でも見たように微妙に氏の視点は江草と異なってるので、批判が多めになってます。


あるいは、よく言われる「子育て支援政策は意味が無い」とか「コスパが悪い」みたいな主張に対する反論はこちら。


仕事の体験や待遇が家事育児のそれよりも快適になったならば、前者を選好する人が増えるのは自然なことだという話はこちらでも。

まさにそのテーマを論じてる書籍『タイムバインド 不機嫌な家庭、居心地がよい職場』の書評はこちら。(江草的には激推し殿堂入りの一冊)


解決策がすぐに仕事中心主義的な発想に至る世の中の傾向を批判してる記事はこちら。


「産み育てやすい社会」という点で言えば、実のところ子育ての何が大変で何が求められているのかを考察してるこれらの記事が参考になるかも。


うーむ。我ながら、いっぱい書いてますね。
ぶっちゃけ他にもいろいろとあったと思うのですが、今日のところはこれぐらいで。

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