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【取材】ドキュメンタリー映画「普通に死ぬ ~いのちの自立~」貞末麻哉子監督インタビュー

重い障害のある子と高齢になっていく親や家族、そして周囲を取り巻く現実を描いたドキュメンタリー「普通に死ぬ ~いのちの自立~」の監督である貞末麻哉子さんに取材をさせていただきました。


映画の概要

重度心身障害児・者と呼ばれる当事者の家族が起ち上げた静岡県富士市と富士宮市にある二つの生活介護事業所「でら~と」「らぽ~と」。
その開所までの5年間を追ったドキュメンタリー「普通に生きる ~自立をめざして~」(2011年完成)の続編となるのが、この新作「普通に死ぬ ~いのちの自立~」(2020年完成)。

前作の完成後、グループホームの開所や、設立10周年を迎えて次第に変わりゆく運営方針や、3つ目の事業所建設という流れの中で、年齢を重ねてゆく本人とその家族の人生を8年にわたって撮影。
撮影期間中に、「医療的ケア」を必要とする人の、在宅生活の中心的ケアラーであった母親が病に倒れ、母亡き後の地域生活の難しさなども写し出されています。

映画後半では、家族と支援者、医療者の葛藤や気付きを物語の軸に、兵庫県伊丹市で〈しぇあーど〉を率いる李国本修慈さんや、西宮市で〈青葉園〉を率いる清水明彦さんの活動を取材。彼らの「一緒に生き合う」取り組みを追い、希望を見出していきます。



マザーバードの取り組み

貞末さんが代表を務める映画制作会社「マザーバード」は2001年に3名の女性で結成された協働プロダクションです。

貞末さんに「普通に生きる ~自立をめざして~」「普通に死ぬ ~いのちの自立~」が撮られた経緯を伺いました。

貞末:
「朋の時間~母たちの季節~」(西山正啓監督作品)という、横浜市にある生活介護事業所「朋」のドキュメンタリー映画をプロデュースした際に、西山監督から撮影B班として、横浜で重い障がいを抱えながら一人暮らしをする細井道子さんを撮ることを提案されました。
4年間ほど道子さん宅に通って撮影し、2005年に、「晴れた日ばかりじゃないけれど~地域で生きる、一人で暮らす~」が完成しました。
2006年夏、富士市でこの作品の上映会を企画・主催してくださったのが、「でら~と」の設立代表者であり、富士市市議会議員の小沢映子さんでした。
そのご縁で、小沢さんから「富士市の現状も撮ってほしい」と依頼を受け、その年の秋から「普通に生きる~自立をめざして~」の撮影が始まりました。


「朋の時間 ~母たちの季節~」
養護学校卒業後に、重い障がいのある人たちが日中の時間を地域の中で過ごすためにつくられた、日本で初めてのデイ・アクティビティ施設 訪問の家「朋」(1986年に厚生省が認可)の活動を追ったドキュメンタリー(2003年公開)。


「晴れた日ばかりじゃないけれど ~地域で生きる、一人で暮らす~」
難病により四肢麻痺という重い障害を抱えながら、横浜市でひとり暮らしを続けた細井道子さんの日常生活とメッセージを、4年にわたって記録したドキュメンタリー(2005年発表)。


「普通に生きる ~自立をめざして~」
貞末さんは当初、2~3週間で撮り終えたいと思っていましたが、「でら~と」の利用者さんや、親御さんたち、また、富士市で一人暮らしをしていた脳性麻痺の渡辺雅嗣さんを同時に撮影する中で、結局5年もの歳月をかけた作品になりました。そして、続編となる「普通に死ぬ~いのちの自立~」へとつながっていきます。

マザーバードでは、ここでご紹介したもの以外にも素晴らしい作品がありますので、是非こちらのリンクからチェックしてみてください。



前作「普通に生きる」を踏まえて

今回、取材をさせていただくにあたり、医療的ケア児のお子さんを持つ矢﨑寛子さんにも参加していただきました。

矢﨑:
前作と本作を拝見させていただきました。
世間では子どもの幸せが第一で、親の幸せは二の次三の次という風潮が強い中で、前作公式パンフレットで、「子どもの幸せは親の幸せであり、親の幸せは子どもの幸せである」と寄せられていたのが印象に残っています。
前作から10年近く経ちますが、まだ親の自己犠牲が強く求められる状況は続いていると思いますが、監督はどう感じておられますか?

貞末:
前作「普通に生きる」の完成直後、朝日新聞で大きな記事が出てたのを機に、まだ映画を観る前の方から「この映画は、親たちにもっと頑張れという映画ですか?、そうであれば観たくない。」というお電話をいただきました。岩手県にお住まいの、重心のお子さんを持つお母さんでした。
そういうつもりで映画を制作したわけではなかったのでショックでした。しかし、考えてみれば、一日中わが身をすり減らして重い障がいの我が子に付き添い、介助・看護を続けてこられたお母さんが、助けて!という声さえ挙げられないような状況の中で、親が頑張ったという映画を見ることがつらいのはよくわかります。そう受け取られてしまっても仕方ないと思いました。
その経験を踏まえて、今回の「普通に死ぬ」は、親御さんが頑張ったことを強調する映画にはしたくないと思って撮りました。当事者や家族が頑張らなければならない社会ではなく、その役目を地域にバトンタッチできる社会、障がいのある方がありのままの姿で生きてゆける地域社会の重要性を強く思いました。親御さんではなく、自分たちは何をしたらよいのか!地域はどうあるべきなのか!そう思える映画にしなければならないと考えたのです。

社会がサポートをしないことは、ひいては社会の損失になる

映画に出てくる小沢映子さんは、長女 元美さんの障がいが分かった当時、小学校の教諭でしたが、介護のために仕事を辞めざるを得なくなり、一旦は家庭に入りました。
後に彼女は富士市市議会議員になりますが、もしその当時に地域社会で在宅介護のサポートをしっかりできていれば、彼女は仕事を辞めなかったかもしれないし、もっと早く社会に貢献する活動をできていたかもしれない・・・
つまり、社会が支えるということは、社会の利益になるんです。


富士市市議会議員・「でら~と」設立代表者 小沢映子さん



知ること


地域社会はどうなっていけば良いと思われますか?

貞末:
やはり、知ることが大切だと思います。子どもの頃から近くに障がいのある人と共に過ごすこと。その人たちと同じ空間と時間をほんとうの意味で共有し、その人たちのことを友人のひとりとして知ることができること。そういう意味では、インクルーシブな教育現場の重要性を強く感じます。
健常者(と思い込んでいる)人たちのまわりに、障がい者がいない状況が良くないと思います。自分のまわりにそうした存在自体がないと「知ること」が出来ませんよね。
障がい者一人ひとりにそれぞれの表現力があります。例えば、会話が成り立たない方を目の前にすると、私たちの多くは、この人は何も分からないだろう、意思など持たないだろうと思い込んでしまうのです。しかし、何らかの方法で表現手段さえ持てば、どんなに重い障がいのある方でも、感じていること、思っていることを表現することができます。SPO2(血中酸素濃度)を上げたり下げたりで表現される方もいるほどです。
私は、彼ら彼女らと接することで心が震えました。また、親御さんからも、新たな世界をたくさん教えていただきました。彼ら彼女らに出会う機会が少ないことは、心の豊かさにつながる機会を失うことでもあると感じました。それは社会にとっては大きな損失なんです。



自立とは


前作・本作と「自立」をテーマにされておりますが、監督が映画を通して考える「自立」とはどういったものでしょうか?

貞末:
何でも自分でやることや、できることが「自立」の概念と多くの方が思われていると思いますが、障がいのある方の「自立」とは依存先を増やすことです。自分ですべてやる、できることとは逆に、たくさんの選択肢の中から自分で選べるようにすることが大事です。そして出来ないことを地域に投げかける・・・そのためには、依存先を増やすことが大切なんです。
「助けて!」と言える環境を地域の中で守ること。実はこれは、健常者にとっても同じ事が言えるはずなんです。障がいのある方の生活モデルが、やがて生きづらさを抱えることになる地域の高齢者や病気の方々の先駆的存在となります。
生きてゆくために必要な支援は、堂々と国に求めればいいですし、それで得た支援を地域に還元すればよいのです。障がいのある方や、病気の方が地域で自立生活をするには、それを支えるたくさんの支援にお金が回ります。また地域で買い物をし、生活してゆくことで、支援はどんどん地域経済に還元されてゆくのです。そうやってどんどん社会を回してゆけたらよいと思うのです。つまり、障がい者が自立できる地域社会は、地域社会にとっても自立した社会を目指せることになるんです。


坂口えみ子さん(元「でら~と」副所長兼看護師長)と向島育雄さん



マイノリティが普通でいられる社会を


両作に使っている「普通」にどのような意味がこめられているのでしょうか?

貞末:
「普通」の定義って(ある意味)流動的ですよね。時代の流れにも左右されるし、政治的主導のもとによっても大きく変化します。でも概ね、私たちの多くは「普通」に在りたいと願うものです。いわゆるマイノリティと呼ばれる世界ではなく、大多数の世界に存在しようとします。でも、やがて「普通」はつまらないと感じるようになったり、「普通」に生きることが一番大変だよなぁ、などということを思ったりもします。
大抵、世の中の「普通」は健康な人の価値観を中心に暗黙のうちに定められていますので、障がいのある方やそのご家庭は、その「普通」の定義の中では生きづらさを感じることが多いのです。しかし、どなたも皆さん私たちと変わらず普通の人であり、普通のご家庭です。

だから、生きづらさにかかわる「普通」の概念自体を、障がいのある方々の状況や価値観(いわゆるマイノリティー)の視点を中心に置き換えてみたら、世の中はきっともっと生きやすい社会に変わると思うんです。
大切なのはいのちの視点・・・そうすると、誰もが「あるがまま」でよいと多様性を認め合える社会に私は近づいてゆけるのではないか、と考え、この両作のタイトルに敢えて「普通」を付けました。それぞれの方々がご自身の「普通」についても、よく再考してみていただけたら嬉しいなと思っています。


次回作の構想などはありますでしょうか?

貞末:
構想などという大それたものはないです。私自身アンテナはむしろ広げないようにしていて、自然と自分に向かってくるテーマをキャッチするようにしています。とはいえ、私自身がマイノリティだと思って生きてきたので、マイノリティの世界にどうしても吸引されてしまうようです。何作か、編集途中の作品がありますが、一番早く取り組んでいる中から完成しそうなのは、昨年鬼籍に入った実父の認知症の年月を追ったドキュメンタリーかな。
しかし、今はこの「普通に生きる」「普通に死ぬ」を広めていけば、この先に何かあると信じています。
障がい者という言葉で括って、社会がこの方たちと一線を置き、社会がこの方たちを障害するのではなく、マイノリティの方たちがあるがままに、その人の普通の定義で生きられる社会を目指せたら良いと思っています。


貞末麻哉子監督


貞末さんには、その他にも貴重なお話を伺わせていただきました。
どうも有難うございます!



取材後記

今回の貞末監督への取材にインタビュアーとして参加していただいた矢﨑さんにも感想を伺いました。

矢﨑:
今回のインタビューを終えて、貞末監督はとても心の綺麗な方なのだということが私の持った印象です。貞末監督だから、この様な作品に仕上がったのだと再確認しました。
「普通に生きる」は、重症心身障害児を育てながらも開拓していくご家族に希望がありますが、「普通に死ぬ」では、歳を重ねる子ども・家族に新たな乗り越えなければいけない現実が出てきます。
私自身、重症心身障害児を育てているので、心が痛くなる場面もありますし、目を背けたくなるような現実も多々あります。
このような現実を障害児・者を取り巻く方々のみならず、みなさんに知っていただけたらと思います。



「普通に死ぬ ~いのちの自立~」は現在、全国で上映会を開催しています。
上映日程の詳細は公式ホームページよりご確認できます。

また、マザーバードでは地域で開かれる自主上映会のために、作品の貸し出しもしています。
「上映会を地域で開いていただくことで、地域の方がご自身の活動を地域に広め、またあらたな地域の方との出会いによってつながりを広めていただく機会になります。上映会はそのためにとても重要だと考えています。今までにも、映画をきっかけに各地にあらたな居場所が生まれています。障害のあるなしに関わらず、広く、多機能的にこの運動が拡がってゆくと嬉しいと思っています。」と貞末さんは仰っていました。

上映会を企画したい方は、こちらから申し込みができますので、是非チェックしてみてください!


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