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繋がっている、ということ。

おはよう、こんにちは、こんばんは!エバです。

お先に言っておきますと、

今日は面白くないです!多!分!

いや、面白くないというか、ギャグ路線ではないということです。ハイ。

しかもデリケートな話題だから賛否両論ありそう。

それでもいいよ!おかまいなしだぜって勇者はどーぞ。多分意味わかんない文章ですよ。起承転結もないでしょう。フランス映画のようにヌルッと始まりヌルッと終わります。よろしくお願いします。

※私はコロナが流行りだしてから現在まですこぶる体調面は元気なので心配しないでね!!!メンタルはボロボロだぜ!!!


今日はコロナとかいう厄介な得体の知れないウイルスが流行りだしてから

思っていることをつらつらと書いていきます。

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得体の知れないウイルスのおかげと言ったらとても皮肉じみていて嫌になるけど

繋がる、繋がり続ける、ということがどれほど尊いか

少しだけ、

ほんの少しだけ

わかった気がする


2020年。

ねずみどし。

オリンピックがあるはずだった。

海外旅行も「今年は何回行けるかな?」なーんてワクワクしながら考えた年明け。

1月。

年が明けてすぐ、韓国から彼が会いにきてくれた。

楽しい時間はあっという間に過ぎ、

お正月ムードも落ち着いてきた頃

徐々に始まる、不協和音。

1月の終わり頃。

近所の薬局のマスクが品薄になった。

写真を撮って友達にLINEして「やばいね」と言い合った

この時はまだ心配性のお年寄りが騒いでいるだけだと思った

2月。

韓国にいる彼に会いに行った。

まだ日本でも韓国でも爆発的には増えてなかったけど、それでも、心配性のたくさんの人たちの声は煩く、頭が痛くなった。この時期に韓国に行くことはあまり公に言えなかった。幸か不幸か、お土産も、この時ばかりは必要なかった。

インスタのストーリーもほんとは更新したかったけど、控えた。

ドキドキしながら飛行機に乗った。

3月。

スーパーから、トイレットペーパーが消えた。

マスクを求めて毎日早朝からたくさんの人が並んでいた。

家のすぐ近くに薬局があったので様子を見ていると朝の5時ごろから人が並びだした。朝の7時。列に並んでいた人同士で喧嘩が起こった。

日本が心配になった。

デマに踊らされて、必要以上に心配して、持ちすぎる人が多すぎる。

具体的な解決策が何も見つからず、ただただ恐怖と不安に押しつぶされそうになっている日本全体を見ていると少し哀れな気持ちになった。

この時、韓国では生まれた年の順番で薬局でマスクが買うことができる曜日が決まっていて一日一人◯個までとアプリで管理されており、たやすく買うことができるようだった。

高いところにいる人たちの決定した事に、群衆は右往左往してしまう。

そして3月末に仕事が完全リモートワークになった。

会社の仕事も減った。

そして、韓国にもノービザで行くことが出来なくなった。

知り合いの日韓カップルも続々と強制帰国。

4月。

自粛、ステイホーム、おうち時間。

蕁麻疹が出るくらいこの言葉を目にするようになった。

はじめのうちは楽しくお菓子を作った。

だんだん、

嫌になった。

リモート飲み会も一回目は楽しかった。

だんだん、

直接会いたくなった。

手の込んだ何かを作るということが

普段はできないから初めこそ楽しく作ったが

徐々にそれはいつまでも自粛がとけない事実を突きつけるようになった。

お菓子作りや料理が上達すればするほど、

皮肉にもそれは私に重くのしかかった。

5月。

ゴールデンウィークに希望はなかった。

本当なら韓国にずっといる予定だったのに。

寂しさと無力さがピークに達した。

意味のない休み。

お金もあって、時間もあるのに

飛行機に乗ることさえ許されない。

昔の旅行の動画を見漁った。

韓国にいる彼に国際郵便で手紙を出した。

6月。

寂しい、会いたい、遊びたい感覚が一定のところを超えて麻痺してきた。

無理矢理仕事を頑張った。

会いたいと口にしても不可能だとわかっているから口に出すのを必死にこらえた。口に出した途端、感情のダムが決壊してしまう。仕事のことを考えた。

それでも、会社の仕事自体が少なかった。

新規案件も増えず、会社全体が暗かった。

よくなる兆しは無かった。

自分で、

自分の力で、

何かを変えなければいけない。

そう思い始めた。

この頃、積極的に仕事関係の人と会う約束をし始めた。

7月。

新しい出会いがたくさんあった。

繋がりが広がっていくことを感じた。

コロナに、気持ちがころされてない人とだけ会うようにした。

そうこうしている間に

最近また感染者が増えてきた

正直、私は動揺はしていない。

このことについて意見を述べると大体二つに意見が別れる

大丈夫派閥と、心配派閥に。

明言は避けるけど、もうここまでくると感染者人数はもうどうでもいい

毎日毎日そんなことよりもっと知らなければいけないことがあるはず。

一人一人が衛生面を気をつけて、できることからしていけばいい

倒産も、

閉店も、

自ら命を絶つことも、

離れ離れになることも、

もう何も見たくない。

今、8月。

会社を辞めて、再出発する月。

2020年になって、

薬局から白いアイツがなくなって、

8ヶ月がたった

今、

私にできること。

しなきゃならないこと。

頑張らないといけないこと。

好きなこと。

繋がりたい人。

繋がっておきたい人。

会いたい人。

やりたいこと。

負けないこと。

諦めないこと。

挑戦したいこと。

目をそむけないこと。

体当たりすること。

守ること。

逃げないこと。

「今」だけに目を向けるのではなくて

ちょっと先を見ていたい。

今は絶望かもしれない。

だけど、1年後は?

2年後は?

少し深呼吸して

会いたい人に

会いたいと伝え、

穏やかにその日を待ち

今できることを一生懸命して、

疲れたら休憩して、

そう繰り返していくうちにもう8ヶ月がたたないだろうか?

今から8ヶ月後は2021年の2月。

その頃には「あの時こうだったなぁ」と振り返って

笑い合えていますように。


一歩、一歩。



こんな状況になって

疎遠になった人はいますか?

お金もある。

時間もある。

だけど、

会えない。

海外渡航が出来なくなった。

県を超えての移動が出来なくなった。

遊んでも、SNSで呟きづらくなった。

人の目線が怖くなった。

人との距離がわからなくなった。

接し方さえ忘れてしまった。

近くなることが怖くなった。

でも離れることももっと怖くなった。


今、

会いたくても、

会えない人はいますか?

2020年

顔にはいつも呼吸を少し苦しくさせるアイツをつけなくてはならなくなった。

ソイツを外しても、外しても、息苦しさは拭えなかった。

あなたがいない。

触れることさえ出来なくなった。

悲しいときにそばにいてあげることも

そばにいてもらうことも

届かないところにいるのが寂しくて

月を見るようになった

いつか会える日まで頑張らなくちゃと言い聞かせて

今日まで生きた

自分の感覚を騙しながら

また明日も同じ気持ちで




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