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海沿いを走る。フォトポタリング

 平日の休みの日、普段通りに起きて、子どもたちの登園の準備をした。けっこう久しぶりの休日、子どもにも、保育園にも申し訳ないけれど、今日は休みをもらう。子どもらを保育園にやったら、一度荷物を詰め込んでさあ出発だ、と思いきや、まさに子どもたちを保育園にやろうとしたそのとき、子どもたちはお母さんがいい、と言って僕はお払い箱だった。子ども2人を乗せた妻の車が家を出るのを見送る。妻もそのまま仕事に行く。
 久しぶりの休日は、一人で過ごす時間となった。

 どこに行こうかと、ずっと考えてはいたが、結局久しぶりに、海沿いの観光地を南下してみようということになった。雨が降る日であれば、『すずめの戸締り』でも観ようかと思っていたが、微妙ではあるものの、雨は降らずに済んだ。自分が南下するその先に、映画の主人公が暮らす町がある。できればその町までペダルを漕いで行ってみたい。時間が許すのなら、そうしたいが、5時にはお迎えのミッションが待っている。

 車にブロンプトンとカメラと、チェアリング用の組み立て式椅子を載せて、ホテル脇にある無料の駐車場に到着する。平日ではあるものの、サーファーらしき人たちの車がけっこう駐車している。中年の男性が、ちょうどサーフボードを車から出して、準備をしているところだった。駐車場のすぐ近くには松林が迫っているが、その向こうはすぐ海が控えている。
 自転車を展開して、椅子を入れたフロントバッグをはめこみ、カメラバッグを斜め掛け、ヘルメットを被る。思ったほどには寒くない。風を防ぐ格好をしていれば、すぐに体はあたたまるだろう。

 浜辺には、サーフィンを楽しむ人、それを眺める家族や、写真を撮る人がぽつぽつと、その白い砂浜と波の上に浮かび上がっていた。向こうには、青島神社が見える。トンボロの上に懸けられた橋の上を、けっこうな人たちが行き来している。今日、平日だぜ? みんな旅行とかしてんだな、と思うと、この日の休みを過ごすとまた休みが来なくなる自分の働き方とはいったいなんだろうな、と自問したくなる。年休を取るのも難しい。というか後ろめたい。なんだか堂々と年休を取って、旅をしている人を羨ましく感じたりする。


 サドルに跨って、ペダルを踏む。ブロンプトンは海辺の歩道を滑るように進んでいく。決して心地のいい風というわけではないが、ゆったりとした空間を感じる。今日はこのまま青島神社を脇に見て、海沿いを行き、白浜という海水浴場前を走って海の突端に建てられたホテル前まで行く。車だったら、坂道を登って峠越えをしなくてはならないルートを、この道であれば、完全に海沿いを走る感じで平坦の道を行くことができる。それでとりあえず、内海という名のついた漁港まで行ってみることにした。ここは以前、出川哲郎さんが例のバイク旅で立ち寄ったところだ。ちょうど餅つきをしている団体さんがいて、交流されていた。今日は平日だし、そんなことはなかろう。静かな漁港を眺めたいと思った。

 白浜を抜けてホテルを左に見ると、海沿いの道につながる未舗装の場所がある。そこから海を見ると、巨大な柱が2本、海に突き刺さっているのが見える。東京で学生をやっていたころに、ここに外国籍の船が座礁して沈没、柱だけがまるで、海というスープに突っ込んだ箸のようにして残っている。
 青島神社を向こうに眺め、ひむか神話街道の下に伸びていることもあってか、「神の御箸」として名付けられていることをあとで知ったが、経緯が経緯だけに、これを観光名所として売りに出すわけにも行かないだろう、だからちょっと前までその存在を知らないでいた。が、これがちょっとおもしろい。
 海から伸びるそれぞれの柱が、その角度を異にしているため、見る場所によって、その佇まいが違うのだ。本当に御箸が海の中に入り込んでいるようにも見えれば、二本が平行に並んで伸びているように見える場所もある。なんにしても、ここでじっと待っていたら、海から箸の先がざっぱああんと上がってきて、クジラくらいがぴちぴち挟まっているんじゃないかな、と思うくらいの柱の位置関係。「海をまるごと、いきただきます」とか、「食欲がダイブする」とか「おはしがうたう日向灘」とかそんなキャッチコピーをつけてみみたくなる。

 この道は自転車や歩行者専用ではなく、普通に自動車も走ることができるようで、道端の未舗装のところには、ぽつんと一台停まっていたりする。海を見れば、釣り竿が磯に向かって伸びているのを見つける。しかし人という人はそれだけで、決して走りやすいとは言えないこの道ゆえに、僕以外は誰も通り過ぎることはなかった。

 やがてその道も終わり、内海という港まちにたどり着く。近くにある工場は平日らしく稼働中だが、岸辺には釣りをする人たちが何人かいて、思い思いに過ごしていた。その奥に、2人で腰を据えて会話するおばあちゃんがいた。
 ブロンプトンを停めてライカを取り出した僕に気づいたその人は、「カメラね?」となまりの強い口調でそう訊ねてきた。一人はほっそりとして小柄なおばあちゃん、しかし、知らない自分にずがずがと話しかけてきたように、芯のあるような、もしかしたら気難しい一面も持ち合わせているのかもしれない、といった顔つきを、けれども、その相好を崩してこちらを見ている。
 もう一人は、すこし大柄な感じで、柔和なイメージ、でも決して自分からは話しかけるようなタイプではない。
「どこから来たとね?」
 小柄なおばあさんは、見も知らぬ僕にさらに声をかけてくる。
「〇〇からです」
「そん自転車でね??」
 そりゃあ驚くかもしれない。ここまで50キロの道のりだ。それもブロンプトンは見た目、とてもしゃかりき走るようには見えない。車輪も小さい。そんなだから自転車で来たとなったら驚くだろう。ただ、ブロンプトンなら50キロくらいならなんとか走れないこともないし、そもそも僕は途中まで車で来ている。そのことを正直に言うと、それでも物珍しそうに僕の自転車を見ていた。
「ここらへんはさびれちょるじゃろ」
 小柄なおばあちゃんは続けた。
「昔は人もたくさんおったとやけど、もう年寄りしかおらんごつなった」
「あとはサーフィンで移住してくる人くらいやね」
 もう一人のおばあちゃんも続けて言った。
 なんでも小柄なおばあちゃんは、漁師の旦那さんについていく形で県外からやってきたのだそうだ。旦那さんはもともとこちらの人らしい。見も知らぬ場所に来た不安もあったろうが、僕が思ったのは、そんな場所で夫に先立たれ、残された人の気持ちだ。いやさすがに長年暮らしてきたのだ、隣にいるおばあちゃんのように気心知れる人もいるだろう。でもやっぱり自分の土地ではないところで、連れてきた本人不在のなか暮らすというのはどんな思いなのか、聞きたくなった。でもさすがに聞けなかった。

 昨年の冬、山間にある集落で神楽が行われた。そこで出会った中年女性、いや、還暦は過ぎているくらいか、そんな方と話をした。彼女はこの集落から一山越えた同じく中山間地域に暮らしている。
 彼女は夫と関西で出会い、結婚、2人とも山登りという共通の趣味があったのだと言う。結婚した当初は神戸だったか京都だったか、街で暮らしていたそうだが、夫が故郷に帰りたいと言う。それが件の中山間地域だった。夫の山好きは、おそらくその山に故郷のことを映し出していたからかも知れない。
 そうして山での暮らしが始まった。今よりはまだ人もいたろうし、賑わいもあったろうとは思うが、山での暮らしは楽ではなかったそうだ。何より関西に戻りたいと思ったと言った。息子が、まだ3歳かそこらの息子が帰りたいって泣くんです、と。
 2人とも働かねばならないから、子どもは山を降りたところにある幼稚園に預けに行った。そこまでの距離は軽く一時間はかかる。その中山間地域に行くには熊本に抜ける国道を途中まで登っていき、それから右に折れねばならない。右に折れた道は人がいなくなった今の方が荒れているとは思う。トンネルで新道が出来たが、その道を行ったとしても、その集落に行くまでの道はかなり落石も多く走りにくかった。さらに昔の国道はもっと狭くてくねくねしていたろう。そんな道を下っていくとすれば毎日往復2時間、神経を使う運転をせねばならない。

 子どもが高校にはいってからは、さらに宮崎市内にある進学校に進むことになる。集落と同じ市内の学校ではなく県有数の進学校へ越境通学となるのだから、色々工夫をしたとはおっしゃっておられたが、優秀なお子さんだったのだと思う。こうなるとさらに一時間は片道に費やすことになる。往復4時間。彼女は宮崎市内に職を求め、息子さんと一緒に通学通勤をすることにしたのだそうだ。

 そうやって続けた夫の故郷での暮らし。そして夫は先立ち、彼女だけが山に残っている。ある意味夫のわがままで連れてこられた場所に1人残される、そう考えたとき、けれど山からおりないのかおりられないのか、それが聞きたくて、でも聞くことは出来なかった。

 海辺で出会ったおばあちゃんも、ここに残されてどんな思いで暮らしているのだろう。それが聞きたくて、でもやっぱり聞くことはできなかった。

「写真撮るとね」
おばあちゃんがそう声をかけて、僕はええ、写真撮りながら走ってるんです、と答えた。
 おばあちゃんは、するとおもむろにピースサインをして身構えた。え?え?良いのかしら?と思いつつ、僕もおもむろにライカを構えた。
ピントを合わせて、シャッターを切った。そしてそれからもう1人のおばあちゃんも一緒に撮った。
 それからしばらく、この辺りの昔のことを聞いたり、僕の住む町のことを話したりしているうちに、1人、また1人とおばあちゃん達が増えていった。ああ、まだまだ、ここの人たちは話す人たちがいて、こんな時間が使えるんだな、となんだかほっとした気分になる。

 そろそろ、と、僕はブロンプトンにまたがり、挨拶をしてその場をさった。ここからはしばらく海辺のワインディングを走ることになる。と、目の前にローソンが見えてくる。ああ、そうだと閃いてローソンに立ち寄り、さっき撮ったばかりの写真を2枚ずつプリントした。急いで引き返して、まだ団欒しているおばあちゃん達のところに戻る。また人数が増えている。もう戻ってきたとやろか、という顔をしていたおばあちゃんに、写真を渡す。払う金はないよ?と言うようなことを言われるも、いやいやもらってください、と言って写真を手渡すと、そのまままたコンビニのほうへ向かってペダルを踏み込んだ。

 僕の妻は県の西側、つまり山側の出身だ。僕の住む町とは縁もゆかりもない(叔母が住んでいるから縁はあるのかな?)。そんなところに住むことになって、いごこちはよくなかったろうと思う。職場が宮崎市内だから、その辺りに住むのなら何も問題なかろうが、僕のいわばわがままで僕の故郷に暮らしている。さすがに実家ではなく町の市街地ではあるが。
 もし、僕が先にいなくなったら、彼女はどうするだろう。ものはハキハキ言うが、実は精神的に弱いところもある。1人でこの縁の切れた町に住み続けるだろうか? いや、そうはしない気もする。行動力はあるから、自分の暮らしを考え直すだろう。だがそれでいい。僕もまた誰かのことを縛ってしまっていることに、少し申し訳ない気がした。

 今朝、子どもらのお弁当を作るために台所に立つ。妻が仕込みしておいたものを調理する。あくびをしながら妻が起きてくる。誰かのことを縛ってしまっているが、それでまあ、少しでも幸せであってくれれば、こちらも幸いだ。

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